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嫌われる勇気
もう何年も前に一度読んだことがある「アドラーの嫌われる勇気」という本をメルカリで買い直して読み直しています。改めて読んで思ったのは、当時の私はなんとも腑に落ちない内容で納得できずにいましたが、今はもの凄く腑に落ちる内容で自分にストンと落ちてきます。 その内容はいうのは、自分は変われない、変わりたくても変われない、なぜなら親の育て方が間違っていたから、育ちが悪いから、環境が、学校が、上司がと、外部要因のせいで自分はこうなった。だから変えたくても変えられない、というのがこの本の主人公の青年の意見です。しかし哲人の言うアドラー心理学はその意見に真っ向から反対し、それは自分で選んでいるのだと言います。 なぜならば、真の目的は自分の問題を外部要因のせいにして、自分は悪くない、だから仕方ないのだというのが真の目的だと。その考え方に対して当時の私は納得できずにいました。私も同じように誰かの、何かのせいにしていたからです。 しかし今これを改めて読むと、これこそパターンであり、プライドであるのがよくわかります。 外部要因のせいにしておけば自分は傷つかなくて済む、と

渡邊 優
2025年10月22日
何度でも
最近、あっ、これもパターンだ、この思考もパターンだ、こう見ているのもパターンだと、至る所で自分がパターンだらけなのがわかります。気づいたらその都度意識して我に帰る感覚を持つのですが、これほどパターンだらけとは思っていませんでした。 それだけ自分を見ているとも言えますが、それだけ今まで気づいていなかったとも言えます。 ショック、というほどでもないのですが、具に見ていくとあらゆる自分をパターンが支配していたのだと驚きました。そしてこれからですが、何度でも気づき続けるしかないのだと思いました。 パターンの思考に気づき、パターンの思いに気づき、パターンの行動に気づく。以前は気を張っていなと自分に気づけないと思っていましたが、一度気づいてしまうと気を張るというよりも、意志力を保つ、といった方がいいのかも知れません。しかもパターンでいるいよりもずっとリアルです。 人の意識とは面白いものです。以前はパターンでいた方が楽でいたのでしょうが、今ではその違和感に気づき思いっきり方向転換を図っています。 何度でも何度でもトライアンドエラーで続けていきます。

渡邊 優
2025年10月21日
まずは自分から。
「自分はどう在りたいのか?」 最初この問いを投げかけられた時、後から苦しさが込み上げてきました。なんだか今の自分ではダメだと言われているような、否定されているような苦しさです。もちろんこれはパターンで、語りかけをした後もう一度この問いを考えました。 そして自分は「そのままを受け止められる自分で在りたい」そう思ったのです。ということは、この苦しみさえもそのままを受け止めようと。寧ろパターンの苦しみこそ遠ざけるものではなく、変えようとするものでもない、そのままを受け止めていこうと。 そのままを受け止めるというと、他人のそのままを受け止めるイメージをしますが、まずは自分だと思いました。自分を受け止められるからこそ、他人も受け止められるのだと思います。 パターンの持つ意識は被害者意識です。 しかし「自分はどう在りたいのか?」は創造者意識です。全く逆の意識だと思いました。 自分を創造するとは、今までの自分の在り方を変え、新たな在り方へと変化させていくとこだと思いました。それもまずは自分から。

渡邊 優
2025年10月20日
どちら側か・・
語りかけワークをしていて、自分はどちら側なのか?と最近意識をしています。 語りかけで涙が出る時それは、パターン側に立っていると思っています。パターンがやっと分かってくれた、やっと気づいてくれた、受け入れてもらえた、それらの思いから涙が出るのだと思います。 そして「私」側からの視線だと、パターンを救えた、パターンが少し安心してくれてよかったと、親心の心持ちでパターンを受け止めます。この意識の違いがとても大事だと思いました。 私は当初ずっとパターン側でした。それが心地よかったし、パターンが救われた感があったのです(実際は私がパターンでいたので救われた気がして心地よかったのです)世間でもそれが浄化や癒しだと言われています。しかし「私」側の視点を体験すると、本来の在り方が違うのがよくわかりました。 そして、パターンを救えば救う意識であるほど「私」側の受容や愛が育つのだと思います。そしてその意識も拡大するのだと思いました。どちら側の意識なのか、意識こそが全て。

渡邊 優
2025年10月18日
どうありたいのか?
先生からの問いもあり、ここのところ自分はどう在りたいのか?とよく考えます。 今朝は、一人で生きていける自分でありたい、と秋空を見ながら思いました。そこには天晴れとした清々しさがあり、誰かに頼るのでもなく、誰かに求めるでもない、何かで満たすのでもなく、必要なものは自分の内で持って、自分を頼りにして人生を歩む自分の姿です。それは自分に嘘がなく、力みもない、たおやかで伸び伸びしている自分です。 きっと在りたい自分がハッキリしてくればそれがバックボーンとなり、何かでぶれてもまたそこに戻る事ができるのだと思います。それは指針となるもの、だから自分はどう在りたいのか?の問いは大事なのだと思いました。きっとそこには正解はなく、自分にだけわかる腑に落ちた理解です。こう在りたいのだな、自分は・・・という腹落ちするもの。それも時がつれて変わるのだと思います。 自分はどう在りたいのか?もっと自分を観察しながら考えたいと思います。

渡邊 優
2025年10月17日
価値化しない
色々なことを価値化しない、ということが大切だと思いました。 パターンは自分に価値がないと思っているので、あらゆるところに価値を求めます。 着る服や家、車や付き合う彼女や彼氏、仕事や勤め先など、そういった外側のものから内側のもの、自分の在り方や考え方、気づいたこと、知ったこと、分かったこと、知識や手に入れた情報まで、あらゆるところにパターンは価値付けをし、価値ある自分を求めます。 しかし本来はもっと純粋な動機でいいのではないか?と思いました。 価値があるからではなく、やりたいからやる、知りたいから知る、学びたいから学ぶ、考えたいから考える、乗りたいから乗る、食べたいから食べてみるなど、純粋な興味や好奇心で行い、後に残るのは充実感です。そこに価値をつけてしまうと突如優越感に変わります。 自分はどうありたいのか?と、ここ数日考えているテーマですが、純粋でありたい、と同時に、意識的でありたい。そんなことを思っています。

渡邊 優
2025年10月16日
自分はダメだとか・・
私は他人からあれこれ言われたくない、というパターンが強いです。 そしてあれこれ言われたことが事実であると、身に突き刺さる想いに駆られ「自分はダメなんだ」というパターンが発動します。 しかしよくよくそのパターンを見ていくと、自分はできている(はず)、分かっている(はず)だと思っているから、事実を突きつけられた時、「自分はダメなんだ」と思う事がわかります。 それはきっと、自分が何者なのかを分かっていないからだと思いました。現実の自分を知らないために、パターンができる(価値がある)できない(価値がない)と自分を評価して苦しむのだと思います。それはつまり、自分の事実を知らない、無知だからだと思います。 無知である事実。それはいけないものでも、価値のないものでもないのかも知れません。 寧ろそれをちゃんと受け入れた所からが、先に進めるのだと思いました。

渡邊 優
2025年10月15日
気づきとか知るとか
昨日は先生とのセッションでした。 そこで教えて頂いたことが何点かありました。自分の中での気づきとか、分かったことなど、知れば知るほど自分は無知だと気づいていくというものです。 私はどうも気づいたことや分かったことに対して、そこに価値づけをして「気づいた自分はすごい」とか「成長したい」とか「優れていたい」というパターンでいることがわかりました。そこをちゃんと見抜きなさいということです。 本来自分への気づきや理解とは、必要だから与えられるものです。ということは、実は何も気づいていなくて、何にも分かっていないということです。その自分に気づいていなかった・・・ もっともっとよく自分を見て、深く熟考する必要があると思いました。 知れば知るほど自分は何も知らない、分かっていない、腑に落ちる気がします。

渡邊 優
2025年10月14日
現実を生きる
現実をちゃんと見ていきたい、と最近思います。 あれこれ考えるよりも(思考の殆どがパターン)、過去や未来のことを憂うよりも、今の現実をちゃんと見て生きる。それが大事なのだと思います。そしてそれが、今ここにある、という意識だと思います。...

渡邊 優
2025年10月13日
義理
昨日は八王子の叔父の家に父と二人で行ってきました。 先祖の墓参りをして、叔父夫婦と食事をし、小学生の頃、父方の実家、この叔父の家に毎年の夏休みを一週間ほど遊びにきて、叔父の子供達、従兄弟とおもいっきり遊んだのを思い出しました。...

渡邊 優
2025年10月12日
リセット
パターンに引っかかって悶々とした時、それがパターンと知って語りかけをする。 すると自分の元いた場所に戻れる気がします。パターンという幻想から目が覚める瞬間です。これは知っているのと知らないのでは大違いだと思いました。自分で自分をリセットすることができる有り難さです。それはど...

渡邊 優
2025年10月10日
足るを知る
「吾唯足知」 この言葉を最近知ってよく考えます。もう随分昔の人が言った言葉ですが、その人たちが生きていた時代は今よりももっと厳しい時代だったと思います。何もかが今よりも貧しい時代にこういう考え方があり、その人たちから見たら自分はどう映るのだろうとです。自分を見ていても、足る...

渡邊 優
2025年10月9日
反省の先にあるもの
今年に入って、反省したことをほぼ毎日ノートに綴っています。 当初私の反省は、自分がどれだけダメだったかを顧みて懺悔するというものでした。しかしそれがパターンであると分かってからは、ただ自分の行動や動機を、またパターンを、ただ省みるというものに変えました。そして今思うのは、そ...

渡邊 優
2025年10月7日
「私」という感覚
瞑想を始めて数ヶ月が経ちますが、「私」かパターンかの感覚がよくわかる様になってきた気がします。「私」でいるときは、妙に腹落ちしていて内側に自分がいる感覚です。パターンでいるときは思考が先行して意識がまばらとなり、ふわふわした状態です。日常の中でもこの感覚が保てれば、すぐにパ...

渡邊 優
2025年10月6日
パターンは尊いもの
昔々のノートを見ていて「パターンは尊いもの」と書かれていました。 もう随分前に学んだことですが、こういう捉え方をしていなかったな、と反省しました。 パターンはエゴや自我とも言われますが、これらはあまりいい捉え方はされません。寧ろ厄介な存在に思われがちです。しかしこのノートに...

渡邊 優
2025年10月5日
普通ということ
最近自分は普通の人である、ということがよくわかります。 パターンでいた頃私は、自分は特別だ、上だ、すごいんだ、と自分を過剰評価していました。 傲慢であった、ともいえますし、なんとか自分に価値を感じたかった。その価値で自分が支えられるのだと信じていたのだと思います。そしてパタ...

渡邊 優
2025年10月4日
もう既にバレている
私の中には、本当の自分はバレたくない、というパターンがあります。 しかし、先日の先生の日記にも書いてある通り、その人から出ている何かが相手には伝わっているのです。そう考えると、必死に隠そうとしても、実はもう既にバレている、ということが言えると思いました。...

渡邊 優
2025年10月3日
神様の気
熊野三山と伊勢神宮、存分に神様の気を感じて無事に帰ってきました。 熊野本宮では2400年前のお社を感じながら、あまりに気がいいので数時間その場でのんびり過ごしていました。伊勢神宮ではズドンとして懐が広く、それこそ太陽のような気を感じ、のんびり散歩をしながら自分のパターンであ...

渡邊 優
2025年10月2日
自分の全てにOKを
向かっている先は、自分の全てにOKを出す、そこに行っているのだと思います。 自分の全てにOKとは、自分のパターン全てにOKを出すこと、それは全てのパターンを許すことでもあると思いました。 そこで一番ボトルネックになるのが、自分を裁くパターン、自分にダメ出しをするパターンです...

渡邊 優
2025年9月28日
パターンか「私」か
昨日書いた、パターンはそう捉えている、見ている、考えている、感じているを「私」が離れて観ている。この感覚を忘れずにいたいです。 私はパターンでいるとき、他人とは信用できない相手であり、ライバルや競争相手であり、比較の対象であり、勝つか負けるか、上か下か、そのように捉えていま...

渡邊 優
2025年9月26日
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