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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 10月18日
  • 読了時間: 1分

語りかけワークをしていて、自分はどちら側なのか?と最近意識をしています。

語りかけで涙が出る時それは、パターン側に立っていると思っています。パターンがやっと分かってくれた、やっと気づいてくれた、受け入れてもらえた、それらの思いから涙が出るのだと思います。

そして「私」側からの視線だと、パターンを救えた、パターンが少し安心してくれてよかったと、親心の心持ちでパターンを受け止めます。この意識の違いがとても大事だと思いました。


私は当初ずっとパターン側でした。それが心地よかったし、パターンが救われた感があったのです(実際は私がパターンでいたので救われた気がして心地よかったのです)世間でもそれが浄化や癒しだと言われています。しかし「私」側の視点を体験すると、本来の在り方が違うのがよくわかりました。


そして、パターンを救えば救う意識であるほど「私」側の受容や愛が育つのだと思います。そしてその意識も拡大するのだと思いました。どちら側の意識なのか、意識こそが全て。

 
 
 

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