- 渡邊 優

- 9月26日
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昨日書いた、パターンはそう捉えている、見ている、考えている、感じているを「私」が離れて観ている。この感覚を忘れずにいたいです。
私はパターンでいるとき、他人とは信用できない相手であり、ライバルや競争相手であり、比較の対象であり、勝つか負けるか、上か下か、そのように捉えていました。
そのパターンの傾向としては、負けたくない、舐められたくない、責められたくない、傷つきたくない、騙されたくない、都合よく使われたくないなどです。
たまに気が合う相手がいればその人は貴重で、自分に害を与えない安心できる相手とパターンはみなしました。このパターンの傾向も、認められたい、分かってもらいたい、大切にされたい、怒られたくない、嫌われたくないなど、自分に害を与えず、寧ろそれらを満たしてくれる相手は安心できるという、相手によって安心できたりできなかったり、相手ありきの自分となってしまっていたのです。
では本当の「私」はどうか、それらと離れて見れるということは、そう見ていないし捉えてもいない、傷つかないしへこまない、ただただ自分の成長のためにどうあるか、そこだけにフォーカスしているように思いました。
きっと本来は本当にシンプルで、パターンか「私」それだけしかないように思います。

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