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来月の新曲
ピアノを始めてはや三年、4月で四年目に突入です。 そして来月からの課題曲が、ヘンデルのパッサカリアと、 彼こそが海賊 「パイレーツ・オブ・カリビアン」の二曲です。この二曲は正反対の曲ですが、パイレーツオブカリビアンは、力強く、ガンガン弾くので今までのピアノの曲とは全く違う課題となります。それは正しく、今までやったことがないことです。 そしてちょっと練習しましたが、これがめちゃくちゃ難しい・・・・勢いと力強さが全面に出て、私の課題にはピッタリだと思いました。 不思議なもので、悶々としたり鬱々とした時は、ピアノを弾くことで軽やかな気分や気持ちのいい気分にさせてくれます。 ピアノの音色なのか、音楽の力なのか、初めた当初は面倒臭いと感じていたものが、今では自分を支える一つのツールとなりました。 そして新たな曲を覚えるたびに、その曲を味わう感覚があります。 抑揚、強さ、柔らかさ、弱さ、静けさ、自分も弾くことによってわかるその曲の侘び寂びが体に浸透してくるようで気持ちがいいのです。 新たな曲はどんな発見があるのだろう?きっと半年くらいかけて曲を完成させるので

渡邊 優
16 時間前
思考偏向だった
昨日は先生との個人セッションでした。そこでここ一ヶ月ほど私が悶々としていた意味がやっと分かりました。それは、語りかけや白黒ワークを頭でやっていたということです。 私はこうありたいとか、白パターンを選ぶ時にを頭でクルクル考えて、必死に選ぼうとしていたのです。しかしいくら考えても思考では選べない、変わらない、これもパターンでやっていたのです。楽になりたいから、早く成長したいからという動機でです。それで悶々としてしんどかったのです。 そして悶々としている間、この悶々は黒パターンだから、「黒パターンを選んでいるようじゃダメだ」と、自分を責めていたのです。このパターンを責めるパターンはどれだけ頭で、パターンはこうだから悪くないと考えても、思考では解決しませんでした。寧ろ悶々とした鬱積は募るばかりだったのです。 今回は苦しい時間が長かった分本当に、基本は大切だと痛感しました。 「黒パターンを選んでいるようじゃダメだ」にしっかり語りかけをして、時間をかけながら白黒ワークで白パターンを選んでいく。少し楽になったり、軽くなったりすると時間をかけずスキップする癖があ

渡邊 優
2 日前
パターンは悪なのか
パターンを嫌うパターンを見ていると、まるでパターンが悪のような存在だと思っています。 パターンとは自分勝手で自己中、だからレベルが低く見られるし、白い目で見られる、嫌厭される、そんな他人から嫌がられる悪い存在です。パターンを嫌うパターンからするとそう映ります。 しかし考えてみると、今までそのパターンで生きてきたということは、つまり、パターンに生かされてきたということです。パターンは子供なので「私」の資質は使えません。使えないなりに必死に自分を守る、生きるためのパターンなりの工夫だったのだと思います。そう考えると、パターンへの理解がぐっと深くなる気がします。 幼いながらも必死に働いてきたパターン達。 自分を守るために「私」の代わりに働いたパターン達。 子供であるが故、理性的ではないし、知恵もない。 だからこれからは「私」が働き、パターンには休んでもらう。 そして、主体を「私」が持つというものです。 この主体性が実はとても大事な気がします。 パターンから「私」への主体の変化です。 そこが本当の出発点の気がします。

渡邊 優
3 日前
赦すということ
自他を赦すということ、最近この大切さに気付かされます。 自分を赦せない時、心は悶々とし、イライラしたりストレスを感じます。 あんなこと言われた、こんなこと言われと他人を赦せないとき、怒りや恨みや憎しみを抱いて顔は眉間に皺がより、顰めっ面となります。心はネガティブな感情に支配されてとても苦しい状態です。自分の想いが自分に苦しみとなって返ってくる。これが因果広報や自業自得という宇宙の真理だと思いました。そして自他を赦したときそれは、健全な精神となって自分に返ってきます。これも同じ真理です。 自他を赦せないとき人は、人間関係に軋轢を生じます。怒りや憎しみのエネルギーで他人と関わるからです。だからか、と思いました。私が人間関係でよくトラブルを起こしてきたのがです。 赦す、という資質のエネルギー。こちらの方が心地いいのが分かります。 色んな場面で、この赦すということを使っていこうと思いました。 まずは自分から。

渡邊 優
5 日前
淡々と
最近先生の日記に書かれている「自分を好きになる」ということ。 これが人生の本当のゴールなのかもなと思いました。 思い通りの自分になるために、誰からも認められるために、私は努力をしてきました。そうすれば自分に自信が持てて、自己肯定感も上がって現実社会を楽に生きていけると思ったからです。しかしその道は際限がなく、どこまでいっても渇望が満たされることはありませんでしたし、とても苦しい道のりでした。なぜなら自分以外の自分にはなれなかったからです。 自分を好きになるとは、周りからの賞賛があるから、認められているから、自分を好きになれることではなく、この今の自分を、そのままの自分への肯定感と尊厳を持つことだと思います。それは、この自分でいいと思うことです。沢山のパターンがあって、その中には自分を否定するパターンも、他人と比べるパターンもあります。その全てにOKを出せること。そうやって全てのパターンを許していくことが「自分を好きになる」ことだと思いました。 「自分を好きになる」 憧れのような、目標のような、きっとそれは崇高なことではなく、淡々とワークをして、そ

渡邊 優
6 日前
冬季五輪
旅行先で両親と冬季五輪を見ていました。 そこで話にでたのが、最近の選手は本当に楽しそうに演技をするというものです。 昔のような、努力、根性、気合い、が前面に出る在り方ではなく、覚悟を決め、今までの自分の全てを出し切って楽しもうとする笑顔に、周りにも不思議と笑顔が移っていきます。この見ている方にもいい影響を与えるのがとてもいいと思いました。 一つのことに取り組んできた方達の本気は勿論そこにはあって、プレッシャーを感じながらも、それでも笑顔を絶やさずにいる姿に人は惹きつけられるんだな〜と思いました。 光が強ければきっとその影も濃いはずです。それを持ちながら進む、というのを見せてもらった気がしました。 オリンピック選手だから特別ではなく、きっと私たちと同じように影(黒パターン)を感じ、悩み、迷ったこともあると思います。演技が終わった瞬間の涙がきっとそれなのだと思いました。 そんな姿をTVで見て、自分も頑張ろう!そう思うのでした。

渡邊 優
7 日前
私の問い
今朝は、一つの根深いパターンに気がつきました。 「できていない、分かっていない、特別じゃない自分には価値がない」 というパターンです。 なぜこんなに苦しくなるのか。 それは、特別じゃない自分には誰からも見向きもされないし、必要ともされず、認められず、愛されない、そうパターンが信じているからです。 つまりパターンは、「愛されるには条件がいる」と思っているのです。 本当に恐れているのは、価値がないことではなく、選ばれないことだと思いました。 だからこそ、特別であれば自分を肯定できるし、成長していれは価値がある。 これも理想の自分を守ろうとするプライドだと思います。 しかし現実の自分は何者でもない。 できないこともあるし、わからないこともあるし、特別でもない。 この価値を足さない、何者でもない自分にオーケーを出せるのか、出したいのか。 これが今の私の問いです。 明日は早朝から両親と一泊二日で河津桜を見にいってきます。 不思議なもので、あれほど恨んでいた両親に対して今では、一番何者でもない自分でいられます。 しかも幸せと共にです。きっとここにヒントがある

渡邊 優
2月17日
色んなプライド
先日の勉強会で印象に残った話がありました。 それが、プライドがないことがプライドだった、というお話です。 私の場合、プライドがあることがプライドだったので、そういうプライドの立て方もあるのかと思いました。考えてみると、戦わないプライドもあるし、負けるプライドもあります。(自分は勝ち負けや戦いに興味ありません。そんなレベル低くはないですよ〜)というプライドです。 そう考えるとプライドのパターンというのは、自分を正当化するためや、他との比較においての優劣を様々な形で表現すのだと思いました。それだけプライドというパターンは自分を守ることに必死なのだと思います。私のプライドのパターンも存分にその傾向があるのでよくわかります。 その上で自分はどうありたいのか。 プライドではなく、自分に尊厳や誇りを持ちたいと考えています。 それは他人との比較や評価よりも、自分の真実を語ることを大事にしたり、自分で自分を裏切らないことです。その積み重ねが、自分への尊厳や誇りを育てるのだと思いました。 パターンという揺れを抱えながらも、ありたい自分という主体に戻ること。 その場

渡邊 優
2月16日
パターンの仕事
最近、もう十分語りかけたから大丈夫だろう、そう思っていたパターンが騒ぐ機会があります。 特に何かあった訳でもなく、パターンの思考や物語を通して、パターンの欲求がわかるのです。 特に、別れた彼女のについてのパターンは顕著でした。 自分の全てを認めてくれる、分かってくれる、受け入れてくれる、愛してくれる、だから帰りたいとです。 ここで理解できるのは、パターンが求めているのは、自分の全てを認めてほしい、分かってほしい、受け入れてほしい、愛してほしいです。 そうか〜と思いました。どうしてそれをパターンが求めるのか、それは単に、私のパターンに対する愛が足りなかったからです。パターンの叫びです。もっと愛してほしいと。 こうやってパターンは私たちに、感情、思考、物語を使って教えてくれます。 それがまるでパターンの仕事であるかのように。 それが分かったらまた改めて語りかけです。パターンが安心するまで続けていきます。

渡邊 優
2月15日
開示
道場では、仲間の言動や話に引っかかった際、 「今誰々の言ったことが私の何々のパターンに引っかかりました。 ですがそれは〜さんのせいではありません。私がパターンをケアしてこなかったからです。 〜さん、教えてくださりありがとうございます。これからパターンをケアしていきます。」 このくだりを相手にお伝えします。実は私、この開示が苦手でした。 自分のまだ引っかかっている部分(恥部)を露わにするのが、パターンを現実に表に出すのがです。 そしてそのお相手からジャッジされるんじゃないか、開示を聞いた他の人からも見下されたり引かれるんじゃないかと思っていたからです。そうすると苦手意識が芽生え、開示をするのが怖くなるんですね。 しかし開示するというものを改めて考えたとき、これって他でもない自分のためだと思ったんです。 パターンに引っかかった際、そのお相手にチッ、と思うことがほとんどです。 しかしパターンに引っかかるというのは、パターンを救うチャンスになるわけです。そもそも引っかからないと気づきません。そこを見過ごさずに、しっかりと開示して、自分でケアすると宣言する

渡邊 優
2月13日
勉強会
昨日は魂の道場、茅ヶ崎グループの勉強会でした。 去年一年はずっと一人でこれはなんだ?なんのパターンだ?と悩むことも多かったのですが、同じ学をしているもの同士だと、私の気がついていないパターンに気づかせてもらったり、また私とは違う角度から意見をもらえるので、腑に落ちる機会が多かったです。ありがとうございました。 そしてパターンのことをこれだけ人と話せる機会があるのも、一人ではできなかったことです。 共感というよりも(恐らく皆さんもうそこは必要としていない)パターンというものの構造や仕組み、それが自分にどう影響し、その先にある自分はどうありたいか、そこへの進め方。その体験や選び方。 今の自分の位置なども確認でき、私にとってはとても意味のある勉強会でした。 また勉強会の場所を提供してくださったRさん。ありがとうございました。 次のグループまで、自分のやることをやる。ただそれだけだと思いました。(きっと全てそうだな)

渡邊 優
2月12日
自分を裁くパターン
こんな自分ではダメだ、今の自分ではダメだ、黒パターンに引っかかる自分ではダメだ、などなど、自分を裁くパターンを見ていました。そして考えていました。なぜこれほど自分を裁くのかとです。 きっとパターンは「自分はできている、できているはずだ」という前提があるから裁きが起こるのだと思います。もっと詳しく見ると、自分はもうそこを通過した人間だ。わかっている側の人間だ。気づいている自分だ。この自己イメージに反したとき、パターンは現実の自分を裁かずにはいられなくなるんだと思います。だからこんな自分ではダメだが出る。それは、「できている、わかっている私」の立ち位置を守るために、現実の自分を切り捨てているようだと思いました。 しかし多くの人が、今の自分ではダメだと思えるから、頑張れると信じています。 そしてこの頑張りは短期的には結果が出やすいです。だからあらゆるところで裁きベースの頑張りがあるのだと思いました。 その上で自分はどうありたいのかを考えたとき、この自分でいいし、今の自分でいいし、黒パターンに引っかかる自分でいいと思いました。ここには肯定と事実があります

渡邊 優
2月10日
松蔭神社
昨日はオンラインで、松蔭神社の名誉宮司の「牢獄から日本を変えた吉田松陰」の講演があったので話を聞きました。 10歳から教鞭を取り、大人相手に兵法を教え、日本の危機を本気で憂い、言葉と文字で戦った松蔭先生のお話です。その中でも大事にしていたのが教育で、特に「待つ教育」を大事になさっていたようです。それが「自分でやらせる」ことだったようです。そして人間として、人としてどうあるべきか、日本と他国の違いの大和魂を教えていました。そんな人間学を大事にされていた松蔭先生のお話の中で特に印象に残ったのが、野山獄や江戸の牢獄でのお話です。 牢獄の中でも松蔭先生は、人の生き方と在り方を話し、教え、看守までものが松蔭先生のファンになっていたようです。そして当時の罪人は、身元引受人がいないと牢獄から出れないらしく、そんな希望を失った罪人達に「生きる希望」を与えていたとのことでした。自分がいつ殺されてもおかしくない状態でもです。吉田松陰とは、実はそんな愛の人だったと。 自分を顧みずに他のため国のために奔走した吉田松陰。 その遠い遠い遠い後ろ姿を見ながら、自分も頑張ろうと

渡邊 優
2月9日
インフルB型
今週の初めからインフルエンザのB型に罹っていました。 今回のインフルエンザは私が経験したインフルエンザとは違い、高熱ではなく37度台の熱が続くので、最初インフルエンザだとは気づきませんでした。ただ頭と目がめちゃくちゃ痛かったので、それでお医者さんに行って検査してもらったことろ、インフルエンザだとわかったのです。 そして薬ですが、以前はタミフルでしたが(この薬も一発で効いて感動したのを覚えています)今回は塩野義製薬の新薬、ソフルーザでした。ものすごい小さい薬で、米粒よりも小さかったです。これで本当に効くの?と思うほどの大きさでしたが、今回の薬は非常に自然で、ゆっくりとインフルエンザの症状が緩和されていくのがわかりました。個人的にはソフルーザの方が体には合っているかと思います。 そして病気をして毎回思うのが、健康の有り難さです。 この一週間、頭痛と目が痛すぎたのでほとんど記憶がありません。その間何かを考えたり、また自分を見ることもしないまま、寝ているか頭がボーっとしていたので、こうして頭が冴えてパソコンに向かってブログが書けるのがとっても有り難く感じ

渡邊 優
2月7日
本当の歩み
現実の自分を突きつけられた時、とても焦る瞬間があります。 それは、パターンの理想の世界にいたからだと思いました。 パターンの理想では、できている自分であったり、わかっている自分が存在します。ということはパターンは、自分は特別でありたいのだと思う。それは誰にでも認められ、受け入れられる特別な存在です。だから理想とは違う現実の自分を突きつけられた時、とても焦るのだと思います。なぜなら思っていた自分と違うから。 人はこのズレの中で苦しむのだと思いました。もちろん私もです。 ではどうしたらいいのだろう・・・ それは、現実の自分を認めていくことしかないと思います。理想とは違う、この自分でいいとです。 特別でもなんでもない、普通の自分を認めていくことです。 もしかしたらそれは、私のようにプライドが高い人間からすると、とても受け入れ難いことかもしれません。しかしパターンの理想から降りた時、やっと本当の自分としての歩みが始まるのだと思いました。 それは今までのような焦りや不安からではなく、自分という人間に尊厳を感じられ、一歩一歩を大事に生きている、そんな感覚があ

渡邊 優
2月3日
魂にとって
病気になることや、大切な人との別れなど、パターンにとってはとても辛いことです。 しかしそのお陰で自分の問題に気付かされたり、自分の課題に取り組む機会が与えられたりと、魂にとってはとても学びになる機会なのだと思いました。 私も昨年大きな別れがありましたが、最近そのことをよく考えます。 後悔や寂しさではなく、それによって気付かされた自分のパターンや、今生に生まれてきた課題についてです。それは精神的な自立になりますが、別れがなければ永遠に相手にしがみついていたかもしれません。それだけパターンの影響は強く強固だったのです。 一見辛く苦しい出来事ですが(実際パターンからしたら辛く苦しい出来事)後からにならないと、私にとっての本当の進歩という意味が分からなかったのです。 お陰で今は、あれほど拒んでいた孤独を楽しむようになりました。一人が嫌だ、寂しいというパターンが静かになり、少しづつですが孤独というプラスの意味づけを持てるようになってきたのだと思います。 もしかしたらパターンにとっての嫌なことや怖いことが、実は、魂にとっては進歩なのだと思いました。一般論とは

渡邊 優
2月2日
違い
昨日は地元の同級生に誘われて飲みに行ってきました。 飲みながらの話はもっぱら上司や仕事の愚痴です。そこで思ったのが、違いです。 いつの間にか私は、愚痴や不満がないことに気がつきました。愚痴や不満はパターンが思うことですが、日々の生活の中でいつの間にか自分で処理していたのです。 皆んなは感情の放出に花を咲かせ同調し合い、楽しいひと時であったと思います。しかし私はもう、そういうのを必要としてないんだなと思いました。きっと私が求めているのは、深さや探究や真理です。 それはどちらがいいとかではなく、単純に違いなのだと思います。趣味のような、ライフスタイルなのかもしれません。 何に興味を持つのかはそれぞれですが、一般的なところとは随分違うところに興味を持ち、そしてそれと共にいたのだと気付かされました。それと共にとは、日々のワークです。自分のパターンを見てそれをケアし、それと共にいられることを選ぶ日々のことです。私にはそれが健全だと思っており、だから続くのだと思いました。 飽きっぽい私ですが、今思えばこの学びだけは随分長く続いています。 それだけ私のどこかで

渡邊 優
2月1日
似ている
先日のピアノレッスンの際、ある小節で楽譜と実際の演奏のリズムが違い、タイミングがずれていました。それを先生に教えられ、その場で直そうとしても、一度体が覚え、馴染んだものを修正するのは困難でした。困難というのは、修正するときに今までのやり方が出てきてしまい、なかなか思うようにいかず、ストレスを感じるというものです。YouTubeなどで曲に合わせて弾いているとこのような現象に陥りやすいと言っていました。でもこれって、パターンに似ていると思ったんです。 パターンも全く同じで、心に染みついた習慣です。 今までの習慣をやめてそこから新たな習慣を身につけるのはストレスがかかります。 しかしです。新たな正しい在り方を習慣をにできたら、それは意識せずとも自然とそのようにいられると思ったんです。 きっとピアノも人の在り方も、このように常に更新し続ける必要があるのだと思いました。一つできたらまた次があり、その繰り返しで人は進歩するのだと思います。 大切なのは、与えられた課題を淡々とこなしていく継続力だと思いました。

渡邊 優
1月30日
小さな反応
コンビニの店員の態度に「チッ」 電車で先に座られてしまった時に「チッ」 その他にも私の気づいていない「チッ」がまだまだあると思います。 この小さな「チッ」を見逃さずにちゃんと観察するということが大切だなと思いました。そのは、自分のパターンの傾向をちゃんと自覚するというものです。 私は今年、現実の自分を歪みなく自覚する、というものを一つの目標に上げています。 なぜそれを目標にしたかというと、歪みなく自分を見れていないと思ったからです。 それは「できている」「分かっている」「知っている」「優れている」などなどのパターンの物語の中にいた自分に気がついていなかったから。これはパターンとしては、現実の自分を知ってショックでした。 歪みなく自分を見るということは、パターンを歪みなく見ると同時に、現実の自分として、できていなかったり、分かっていない、劣っている自分に目を向けることだと思います。 そうやって現実の自分を知ることで、諦めることもあれば、ここは頑張ろうと思えたり、諦めと頑張り、どちらも「私」のリードで選択することができます。それには些細な反応にも目を

渡邊 優
1月29日
人はひとり
最近、人はひとりなのだと感じる時があります。 人は一人で生まれて一人で死んでいくということを、どこかで聞いたか読んだことがありますが、きっとそうなんだろうなと思うのです。 では他人は何かというと、自分を知るために必要な存在だと思います。家族も、友人も、社会での付き合いも、全てがそうなのだと思います。自分を知って自分を再創造していくことを、人の魂はやりたいのだと思います。そうでなければこんな風に自分を見たり、そのことについてブログを書く理由が見当たりません。人が一人だと思う理由がここにあります。自分自身でしか自分を再創造することができませんし、自分のパイプは自分でしか綺麗にすることしかできないからです。それが、誰にでも与えられている「私」のセッティングだと思いました。 ということはです。他人のパイプと自分のパイプを比べること自体がナンセンスだと思いました。どっちが綺麗ですごいパイプだとです。そして、自分のパイプがどんなパイプなのかを知るのは大事だと思います。自分を勘違いしないためにです。 そして、自分は一人だと理解できるからこそ、きっと他人のことも

渡邊 優
1月28日
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