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小さなパターン
今回のグループで学んだ、小さなパターンにも目を向けるというもの。 読み物などからパターンが反応した際に、その声にきちんと耳を傾けるというものです。 今の自分にはちょっと無理かもとか、いや、それはまだいいとか、これはまだ手放したくないなどのパターンの思い、そんな小さな声に耳を傾けることでわかる今の自分。それって、とても豊かなことだと思いました。 自分を見て知り、成長の糧にしていく。それは今まで私の知る豊かさとは全く次元の違う豊かさだと思いました。私の知る豊かさとは、お金や時間や物、はたまた立場や地位やそれで得られる満足感でした。しかし自分を育てる豊かさは、内面が充実したり、自分を好きになれたり、また時には嫌になったりしながらも、それすらも自分を育てる糧にして、自分の内面という精神性を育てる行為そのものです。 それができる、といういことが、とても豊かな在り方だと思いました。下手をしたら一生出会わないかもしれない豊かさです。それを与えられたことに感謝しながら、今日もパターンの思いに耳を傾けていこうと思います。

渡邊 優
11 分前
自分は分かっている・・・
久々にグループに出ると、今の自分がよくわかります。 人の話の最中に自分のことを考えていてちゃんと話を聞いていなかったなど、それもパターンでいたなど、今の自分を自覚する場面が多々ありました。 そして何よりも「自分は分かっている」というパターンです。 それは、分かっているから言われたくないにも通じます。 今年は学ぶ姿勢をしっかり持ちたいので、自分は何も分かっていないをしっかり腑に落としてあらゆることを学んでいきたいと思います。 今日はこれから二日目です。 しっかりと自分を見ながら参加してきます。

渡邊 優
2 日前
重心とか位置
パターンでいる時私は、重心が他人(外)になっているのがわかります。 それは、他人からの評価や視線、どう見られるかなど、自分をよく見せようとか、賞賛が欲しいなどの他人への重心(依存)です。 しかし「私」はどうありたいのかを考えると、そこでは重心が他人から自分に変わります。 自分の在り方という中心に重心が戻るのです。それは他人からではなく、自分で自分を認められる自分でありたいとか、襟を正したいとか、誠実でいたい、逃げずにいたい、強さを持ちたい、自分を理解できる自分でありたい、そのままを受け止められる自分ありたいなど、できない自分も含めて引き受けられる自分でありたいという、一見とても地味な在り方です。けれどこの地味さこそが他人に重心を置かない在り方だと思いました。 人の在り方というのは、本来そう在るのが自然なのかもしれないと思います。 自分に目線と重心を戻すこと。それは評価を得るためではなく、「私」として生きるための最低限の姿勢なのだと思いました。 今日はこれから1年ぶりの茅ヶ崎グループのセミナーです。 緊張もありながら、そして何よりも自分を見ながら学

渡邊 優
3 日前
自覚
自覚を持つ、ということが最近とても大事に感じています。 それは 今この瞬間、自分がどのパターンが反応してそれに気づき、何を選ぶのかだと思います。 パターンでいる時私は、自分に対して自覚を持つことは殆どありませんでした。 寧ろ自分はできている、分かっているとさえ思っていたのです。(何を根拠に!) またパターンが喜ぶことやパターンが満たされることを求め、パターンが嫌なことはしない、そんなパターン本意の在り方だったと思います。 他人を見ていると、「あ、この人は今、自覚がない状態だな」と感じることがあります。 けれどその視線を自分に戻したとき、全く同じことをしていた自分に気づいて、言葉を失いました。 だからこそ今改めて自覚を持つことの大切さを痛感しています。 日々の パターンの反応の中で何度も選び直していくもの、それが自覚なのだと思いました。 そしてそもそもまだ私の気づいていない、自覚していないパターンが多々あると思います。その一つ一つにちゃんと気づいて、自覚していくことを大事にしていきたいと感じました。

渡邊 優
4 日前
今年もこれ
昨日は年初めのピアノのレッスンがありました。 そこで反応したパターン、それが、言われたくないというものです。 一生懸命練習してきたから言われたくない、最後までやり切れたから言われたくない、言われた課題もこなしたから言われたくない・・・・そんなパターンの叫びです。反射的に反応するパターン、今年もしっかり向き合っていきます。 そしてそもそもレッスンというものを考えました。 レッスン + 教えを受ける、技術の習得、姿勢を学ぶ、アドバイスをもらう、練習、稽古、成長する 0 ただ一つの事象 ー あれこれ言われる、指摘される、ダメ出し、注意、怒られる、否定される マイナスの意味づけを見ると、パターンで受け取っているのがわかります。そしてプラスの意味づけでは、そもそもレッスンや学びというものは言われて当然であり、だからこそ学びになり、それは寧ろ自分の成長につながるというものです。だからレッスンなのだなと思いました。 意味づけの更新と、パターンのケア、今年も基本をしっかりです。

渡邊 優
5 日前
実家
久しぶりの日記です。 年末年始はほぼ実家にいました。 80歳を迎えた両親は、今までできたことが徐々にできなくなり、自分に憤りを感じたり、イライラしたり、はたまた子供返りをする姿を見ると、歳をとるということがどういうことか見せて貰っている気がします。それもパターンが子供の頃に貰えなかったもの(愛情)を欲しがるように私に甘える両親には、何故か理解と慈しむ思いが生まれてきました。両親も私と同じように何かを親に求め、それを貰えなかったんだなとです。 幸いなことに私は、自分で自分に与えるということを学びましたが、殆どの方はそれを貰えずに生きています。「本当はもっと愛されたかった」という思いと、「それをくれなかった両親に対する怒りや恨み」です。この不一致で、人は苦しむのだと思いました。私も体験済みです。 自分のことを思い返しても、両親に対するパターンをケアすることは非常に大事だと思います。 このパターンがケアされないと、心の根底に怒りや恨みが残ると思うのです。少なくとも私はそうでした。それを原動力に生きた時期もありましたが、そのエネルギーは体を毒します。何故

渡邊 優
6 日前
今年ともにいたパターン達
あっという間に一年が過ぎ、もう年の瀬です。 年初から本格的に取り組んだプライドにまつわるパターン、そして誰かに甘えたいパターン、賞賛を欲しがるパターン、今の自分に満足しないパターン。 振り返ると、それらはどれも、私にとって厄介でありながら、同時に多くのことを教えてくれました。 それは自分を理解するということが、やがて人間理解へと繋がっていく構造があることをです。 自分から始まり、理解が広がっていく。もしかしたらあらゆるものがそのようにできているのかもしれません。だから、まずは自分のことをです。自分の内側(パターン)を置き去りにしたまま前に進もうとすると、パターンは不満を覚えます。それだけパターンは注目して欲しいし、分かって欲しいのだと思います。もしかしたらそのパターン達は、子供の頃に貰えなかったものをただ求めているだけなのかもしれません。だから「私」が必要なものを与え、そして時には躾ける。 そんな関係性を築くのも、「私」の役割に感じます。 そして今改めて思うのは、全ては自分からです。 自分から変わろう、変えよう、パターンを見続けよう、受け止めよう

渡邊 優
2025年12月30日
一人の道
自己探究というこの道は、一人の道なのだと思いました。 その一人とは、他人に分かってもらおうとしない、他人に自分の居場所を求めない、そんな立ち位置の違いだと思います。 私も以前は、友人や彼女といることで自分は一人ではないことを確認し、安心していました。 しかし本来の自己探究とは、誰といても、一人でいても、どこにいても、 立ち位置は変わらない一人の「私」でいること、だと思ったのです。 他人はいるけど寄りかからない、普通に話すけど迎合しない、そんな関係性に変わるのだと。そしてそれは、精神的な自立だと思いました。 そしてそれを教えてくれたのが「誰かに甘えたい」や「一人では生きられない」というパターンたちです。それらは変わらずそこにあるのですが、そのパターンがあるからこそ、一人で立つ大切さや、自分で決める強さ、引き受けるという覚悟、責任、自分という人間に対して責任を持ちたいと思えたのです。 そう考えるとパターンから教えられることは山ほどあります。 陰があるから陽を知ることができるのと一緒です。 来年も倦まず弛まず、この一人の道を確かに歩んでいくのだと思いま

渡邊 優
2025年12月29日
来年の干支
先日干支学なるものを学んできたので、来年の干支について記しておきます。 さて、来年は午年、パカパカ走る馬ではないですよ。 午の語源は忤うを表し、物から心へ精神性を充実し、救済へと生き方を反転する新境地。反骨精神、火の力。 本来十二支とは12年を通して人間の成長を表します。そして来年の午年とは、その半分からの 7年目にあたり、子供から大人に切り替わる年でもあります。 そして十干では丙、万物の新芽が太陽の光を受けて、次第に姿を明らかにする力。火性の陽性。 どちらも火の力で、よい芽はどんどん良くなり、悪い芽はどんどん悪くなるとのこと。怒りっぽい人が増えると言っていました。丙午は激しくなるとはこのことかと思います。陰陽が激しくなるのかと。 私はそれを聞いたとき、パターンが反応しやすく、大きくなりやすいエネルギーの年なのかと思いました。益々自分をしっかり見る必要があるのだなと、そして知っててよかったという安心もありました。それはパターンという存在を、見方を、その扱い方を(ワークを)です。知っている(体験している)と知らない(体験していない)のでは大きな違い

渡邊 優
2025年12月27日
挫折と書いて・・
挫折と書いて、成功と読め。 今年松下政経塾の見学会に行った際、政経塾の部長さんが仰っていた言葉です。もちろんこの言葉は、松下幸之助先生のお言葉です。それだけ、挫折や失敗からは学ことが多いとのことでした。 私も今年は多くの挫折をしました。 自分のプライドが折れ、それこそ心を砕き、自分の愚かさや慢心、傲慢さ、それらを目の当たりにして、自分が嫌になったことは何度もあり、それでもその自分を認めることで、本気で自分を変えようと思えたのです。私の場合の挫折は、現実の自分を知ることから始まりました。パターンで生きていた自分、そのパターン一つ一つと向き合い(今もそれは続いています)自分という人間を知っていく。そうすることで、初めて自分への理解が生まれました。それはいい悪いではない、自分がどういう人間かという現実への理解でした。そして私という人間は、そこからしか出発できないという事実でもありました。 挫折と書いて成功と読め。 私はまだその域に達していませんが、少なくとも、挫折のお陰でやっとまともになれてきたと思います。それだけ挫折には、人間の色んな部分を浮き彫りに

渡邊 優
2025年12月26日
頑固
頑なに固いと書いて、頑固。 先日の忘年会で、この人頑固だな〜と思った瞬間がありました。頑固で不快だと・・ そしてそのパターンをよく見ていくと、頑固はダメだ、というものです。 そしてこのパターンのなぜならばを聞いていくと、自分の話を聞かない、受け入れない、拒否するからだというものです。相手の頑固に問題があると思っていたのに、なんと自分の問題だったのです。むしろ自分の頑固さが分かった瞬間でした。 相手に問題があると思った時ほど、自分を見た方がいいと思いました。 それは寧ろ、自分のパターンを写してくれるからです。 そう思うと、頑固なあの人は嫌な人だ、が、その人のお陰で自分のパターンをまた一つ知ることができたのです。感謝すら湧いてきます。 そして黒パターンの反対の白パターン、頑固でもいい。 それを思うとなんだかホッとします。 年末、クリスマス前の思いがけないギフトでした。

渡邊 優
2025年12月25日
ぐぬぬぬぬ〜〜〜
2〜3日前の出来事。 とっても細い道で前から大きなワンボックスがきました。すれ違うにはなかなか厳しい道幅です。そしてこちらは後ろにも車がいて2台、当然相手がバックをするか、横の駐車場に車の頭を入れて道を譲るものと思っていたら、全く譲る様子が見当たらない!そしてバックミラーを見ると、後ろの車はバックしているではないか!おいおいバックするな!俺まで下がらないけんくなるだろ!(心の声) しかしよく見るとギリギリ2台通れそうな気もしましたが、腹の中では全く納得できていなかったのです。そんななか縁石に肩輪を乗せれば通れると思い、タイヤを縁石に乗せた瞬間「ズルッ、ガリッ」と音がしたのです!おいこのやろー!お前のせいでやっちまったじゃないか!(パターンの声) そのあとはギリギリ2台が無事通過したのですが、私の内側では「ぐぬぬぬ〜なぜ俺が譲る側なんだ」という思いだけが残りました。 そのときは納得できなかったですが、家に帰って改めて見てみる と、そうか、自分が避けて負けた気がしたからだ、と分かったのです。負けたくない、そして、自分は正しいというパターンだったのです

渡邊 優
2025年12月24日
綺麗な人
先日両親と一緒に旅行に行った際のことです。 旅館の部屋で耳の聞こえない母が、このテレビを字幕を出るようにして欲しいと言われ、リモコンを弄りながら設定を探すのですが、私にはやり方がわからなかったのです。 そこでフロントに連絡してやり方を伺ったところ、すぐに一人の女性が来て対応してくれました。 その方は恐らく20代前半だと思うのですが、その対応と心添えがとても美しかったのです。 その美しさは見た目や所作ではない、心の美しさだと思いました。 役割や仕事という枠を超えた何か、その人本来の心の美しさを感じたのです。 その心で対応する、そこに本来の仕事を見た気がしました。 沢山稼いでいるとか、役職が偉いとか、どちらが上とか関係のない、本当の人の美しさを垣間見た気がしたのです。ほんの数分の出来事でしたが、本当にいい体験をしました。 そしてこの体験の前に実は、車で移動している際に父が「あいつ今凄い稼いでいるらしいぞ〜」などの話をしていて、私のパターンが反応していたのです。それは「稼いでいる人には価値がある」というパターンです。 その後にこのような心の美しさを垣間

渡邊 優
2025年12月23日
自分への厳しさ
自分への厳しさ、これはしっかり持っていたい、いや、育てていこうと思いました。それは自分という人間を引っ張るため、進めるためにです。 自分を見ていると、私はどうも自分に甘い。厳しいのが苦手で、キツイのや苦しいのも苦手。その安住の地では自分という人間は鍛えられないのだと思いました。キツイや苦しいの中に、筋肉と同じように精神や心も磨かれるのだと思います。打たれ強さや、本気で向き合う強さ、それらは甘さからでは養われません。厳しさからしか強くはなれないのだと思います。 パターン側にいるというのは、常にその厳しさから逃げていたように思いました。 年末にこのようなことを思うのは、来年への布石のように思います。来年の目標ですね。 今からでも遅くはないので、自分への厳しさを持って、甘えをなくすことをテーマに自分を観察していこうと思います。

渡邊 優
2025年12月22日
自分は正しい
今朝は、「自分は正しい」というパターンを考えていました。もちろん私のパターンです。 自分は正しいと思いたい、それを証明したい、わかってもらいたい、そのパターンの叫びの裏にあるもの、それが、安心したい願いなのだと思いました。 パターンは、それでいいよ、そのあなたでいいよと言ってもらいたい、この自分で間違ってなかったと言ってもらいたい、そんなパターンの思いが外側に向かって、自分は正しいんだと叫んでいるように思います。 ということは、パターンはこの自分でいいとは思っておらず、常に不安と恐怖を抱えているのだと思いました。もしかしたらこれは、パターン全体に言えることだと思います。それは、 多くのパターンは不安や恐怖から生まれた「守り」の仕組みなのだということです。 そこで思い出すのが、昔先生が話された、人類の課題とは不安と恐怖から降りることだという話です。それはつまり、 パターンをなくす、消す、戦うということではなく、 それに巻き込まれずに、別の立ち位置から生きるという意味だと思いました(私の理解です) 子供の頃や思春期に沢山こさえ、それが今でも使われてし

渡邊 優
2025年12月21日
致知
秋口から定期購読を始めた月間 「致知」 この雑誌が非常に面白いです。 この雑誌に登場する方々お一人お一人にリアルな物語があり、深い歴史がある。それも本人にしかわからない歴史がです。その歴史とは、記憶と体験(内側)の歴史です。いいことも悪いことも全て最終的には受け入れて、教訓としていく、学んでいく、そして強くなっていく。そんな人間ドラマがこの雑誌にはありました。 人はときに「なんで自分ばかりこんな目に、なぜ俺だけ」そんな思いに駆られる時があります。ですがこの雑誌を読むと、みんなそれぞれ色んな大変なことがあって、その命を懸命に生きているのがわかります。しかもできる限り清らかに正しく、自分の魂に恥じない生き方を「追求」しています。 そんな生き様を読んでいると、まだまだだな自分はと、喝をもらえた気がするのです。 そして自分に照らし合わせて「自分はどうありたいのか」を改めて考えさせられました。 以下はこの雑誌の理念です。 ……………………………… 「人間学」とは何か ……………………………… 過去にも未来にもたった一つしかない、 この尊い命をどう生きるか―

渡邊 優
2025年12月20日
ただの体験
人に感謝されたり、喜ばれたり、認められたとき、ふとパターンが喜ぶ瞬間があります。 それは自分が認められた気がして、価値がある人間だと思えた気がして、すごい自分な気がしてパターンが喜ぶのです。そしてそれを握りしめると執着になり、もっともっと、もう一回あの優越感を体験したいと囚われてしまう。これらのパターンには、このような力があると思いました。 そして中立ワークの中心の、ただ一つの体験、絶対ではない、人による、この意味づけが、ただ一つの出来事であったことに気づかせてくれます。 日々の出来事というのは崩れては消えるを繰り返す、それはまるで波乗りのようだと思いました。今日の波は今日の波、明日の波はまた違う波がある、そんな変化と通過の繰り返しだと。 人に感謝されたり喜ばれた時も、よかったねとして通過させる。 それがあらゆる質を向上させる気がしました。 ただの一つの体験、ただの一つの役割、ただの・・・ただの・・・ パターンからしたらもの足りないかもしれないけど、一番真理のような気がします。

渡邊 優
2025年12月19日
これがあった
そうか、これがあったなと、今朝は一つパターンを見つけました。 それが「自分は精神性が高い」と思っているパターンです。 真理や哲学、内面の学びをしていると、全く気づかぬうちに、ごくごく自然にこのパターンが入り込んでいました。そして気づきや学び、あらゆる知識さえも、パターンを成立させる養分にするのです。 このパターンは精神性を「価値」に変えていきます。 精神性を自分を守る新たな鎧とし、それを価値や肩書きにしていくのです。つまり、ただの自分では足りないということ。ですが精神性とは本来、何かを主張したりするものではないはず。 思い出すのは、先生が話してくれたスイミーの話です。 私たちは特別な存在ではなく、ただの凡人で、ただ一つの役割を生きているだけだ、という話です。 学びを思い出していくと色々なものが結びついていきます。それは全て、パターンから降りる学びです。 今日はこのパターンをしっかり観察することを心がけます。 明日からは両親とまた旅行です。二日ほど日記をお休みします。 いつもの母の故郷、修善寺に行ってきます。 男家庭では父親はなぜか全てにおいて後回

渡邊 優
2025年12月16日
シーズンイン
忘年会のシーズンです。この時期、私のパターンは反応しやすいです。それもそのはず、自分とは全く違う境遇や価値観など、自分と比べるパターンや、社会的評価に一喜一憂する「地位や名声には価値がある」というパターンが反応するからです。 他人と比べて優劣を決めるパターン。それは勝ち負けや上下、幸不幸など、どちらが優っているかを無意識に決めているパターンです。今年はそこにリアルタイムで意識を向けようと思います。 その他にも、認められる、必要とされる、受け入れられる、大切にされる、注目される、そんな優越感や満足感など、パターンのご馳走が世の中には無限にあります。自分で自分に与える時すらあります。大勢の中にいるときこそ、自分を観察し続けることを忘れずにいたい。それくらいパターンという習慣の力は強いからです。 このハイシーズン、ただ飲んで楽しむだけでなく、そんな自分を観察し、選び続ける自分でありたい、そう思います。

渡邊 優
2025年12月15日
痛みからこそ
人は「痛みから逃げない時にだけ成長する」のではないか、自分を見ているとそのような理解があります。 痛いところを突かれた、心が「ウッ」となる、「ズキッ」とした、締め付けられる、プライドが折れる←私にはこれが一番効く、などなど、そこが自分のネックであり、パターンが一番反応する場面です。 一般的にはその苦しさから逃げますが、逃げないで向き合うところに、強さや勇気が養われるのだと思いました。そして逃げにないとは、何よりも自分に対しての誠実さだと思います。 他人を目を向けると自分から逃げられる言い訳は無数にあります。 あの人もそうだから、この人も同じだから、みんなそうだから、私も以前はそうでした。 しかし自分はどうありたいかを考えたとき、私は自分で決めたいというのがあります。 それらのパターンの痛みを背負って、自分で決めたことに責任を持ちたいのです。 人は逃げているとき、停滞します。そして進歩とは、自分で決めたことに責任を持ち続けることだと思いました。私の先生がよく言うところの、自分で決めればいいとは、このようなことと思います。 自分で決められる、それは他

渡邊 優
2025年12月13日
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