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あるな、と思ったこと。
昨日は先生との個人セッションでした。 そこで他人と比較するパターンについての話がありました。なぜ人は他人を気にするのか、それは他人と自分を比べて優劣をつけて勝ちたい、このパターンはそういうものだと。 家に帰った後このパターンのことを考えていました。自分にも あるな と。 私が以前グループに出ていた際、その時はずっと心の中で人と比べていたのを覚えています。自分は上か下か、勝っているか負けているか、その戦いは尽きることがなく、無意識に一喜一憂してはよく疲れていたのを思い出します。そしてこのパターンは自分も当然比べられていると思っているので、自分の開示を極端に怖がります。近況発表の際、見下されていないか、ばかにされていないかといつもドキドキしていたのを思い出しました。当時はまだパターンは良くないものと思っていたので余計にだったと思います。 今見てもそのパターンは変わらずそこにあり、たまに気にして比べるので、しっかり語りかけて白パターンを選んでいこうと思いました。 あるな、と思うこと、まだまだありそうです。

渡邊 優
1 日前
目の前のことを
最近の自分のパターンの反応を見ていると、理想を求めることが多いなと実感します。 理想の兄を求め、理想の他人を求め、他にも理想の両親を求めるパターンもあれば、理想の自分を求めるパターンもあります。 あらゆることに理想を求め、それは尽きることがありません。理想を求めることは一見、やる気や目標を持つといった良いことに思われがちがちですが、パターンの理想は叶わぬ理想、妄想です。蜃気楼を追い求め、それが叶わないと知った時落胆し、悔しい思いをするのです。私も何度も味わいました。 そして最近意識したいと思っているのが、目の前の現実を受け止められる自分でありたい、というものです。 理想の兄ではなく、目の前の現実の兄を、理想の自分ではなく、現実の自分を、理想の両親ではなく、現実の両親を、そうしてあらゆる現実と向き合い、諦めていく。(諦めとは明らかに認めることと以前先生から教わりました)そして一番大事なのが、自分のパターンに対してです。自分のパターンを受け入れられるから、現実も受け入れられるのです。 自分のパターンを認め、そして目の前の現実も受け止められる自分であり

渡邊 優
2 日前
甘え
自分は沢山の人に甘えてきたな〜、と振り返っていました。両親や祖父母や兄は勿論のこと、沢山の周りの大人にです。そしてそれは大人になってもパターンとして続き、先生や彼女や友人、そして甘えさせてくれない時には相手に腹が立ち、相手に問題があると思っていました。何ともパターンらしいです。 甘えが強い自分だから甘えについてはよくわかります。それは、他人に甘える人というのは、自分にも甘いし、他人にも甘いです。だから停滞感やモヤモヤ感は常にありました。それは、全ての人が自分の思い通りに甘えさせてくれるわけではないですし、何よりも本来の人の生き方とは外れているのでいつもスッキリできないのです。 だから必要なことは外に自分の支えを求めるのではなく、頼りになる自分となり、自分を頼りに生きるということです。私はそうありたいと思いました。 そして同時に、沢山の人に支えられて育てられ、甘えさせてもらった感謝は忘れずに、今度は私がそちら側にいくと決めたことです。 そしてまずは自分から、パターンが甘えたい時は存分に「私」に甘えればいいし、甘えたくない時は甘えなくていい。そのまま

渡邊 優
3 日前
顔
久しぶりに自分の昔の写真を見ました。 まあ〜何とも恥ずかしいくらい生意気な顔をしています。 その顔を見ていて思ったのは、心は顔に出るんだな、ということです。 当時、20代〜30代頃の私の顔つきは、俺俺、俺様と、我が前面に出ていて、戦うモード、負けたくないモード、そんなイキっている顔つきをしていました。今思えばどれだけ自分を大きく見せて、舐められてたまるかと思っていたのを思い出します。そしてそのパターン(舐められたくない)は今でも変わらずそこにあり、変わったことといえば、以前よりもパターンが幾分か静かになったこと、そして幾分かコントロールできるようになったことです。 そして当時の顔と今の自分を顔を比べると、幾分か柔和になったようにも思います。 きっと人って、心の在り方がそのまま顔に出て、その人の雰囲気として現れるのだと思いました。 自分はどんな顔が好きかな?と考えた時、笑顔の素敵な顔でありたいと思いました。 穏やかな笑顔が自然と出る。それは作り笑いでも、苦笑いでもない、幸せな笑顔です。 そんな顔になれたら良いな〜と、写真を見ながら思うのです。

渡邊 優
4 日前
清濁併せ持つ
「清濁併せ持つ」以前先生が仰っていた言葉です。 その必要性を最近感じています。(遅い) それは、ただ純粋で良い人なだけではダメだということです。 世の中には色々な人がいて、人の尊厳を平気で踏み躙る人もいれば、人を利用する人もいます。そこに対して、はい良いですよ。ではダメだということです。 黒パターンは兎角嫌厭されがちですが、時には黒っぽい白パターンを使い、強く出る凄みも必要だと思いました。 白パターンだけだと極端な話、バカになってしまうと思います。 それは黒パターンがあるからこそ、黒パターンの思考や狡さなどがわかり、そこに乗らない自分でいられますし、時に黒っぽい力も使うことができます。そういった使い分けが必要だと思いました。それは黒パターンが自分の中にあるからこそできることです。 黒パターンは自分を育ててもくれますが、人を見る目や人との関わり方にも大きく影響できると思いました。そして黒パターンはなぜあるのか?と考えた時、必要だからあるのです。自分を育てるだけではなく、人生のエッセンスにもなるのだと思いました。 清濁併せ持つ、それが本来の人の在り方

渡邊 優
6 日前
全てに意味がある
起こる出来事にも、パターンに引っかかるのも、全てに意味があるのだと思いました。 しかも全て、良い方に行くためにです。 パターンが反応して不快な感情が湧く時、それはそれで嫌な出来事ではあるのですが、パターンに気づく機会でもありますし、本当の「私」に返る機会でもあります。 他にも後から思えば、あのお陰で今の自分があったり、あの人のお陰でまともになれたなど、当時ではとてもじゃないけど気がつかない、本当に意味のある出来事で少しづつ良い方に向かうことができるのだと思いました。きっと本当の「私」の意思がそうさせているのかもしれません。 そして面白いことは、後になってそれが分かるというものです。 ということは、どれほど大変で嫌なことであっても、嫌なことだという意味づけをしないで、淡々と自分を見てパターンをケアし、また白パターンを選び続けていくことだと思いました。 全てに意味がると思うと、パターンで争うことをせず、ただ信じて歩んでいけばいい。 それは何だか見えないものに動かされ、導かれているような気がします。

渡邊 優
11月21日
自分の課題
自分を見ていて最近つくづく思うのは、自分の課題です。 私の課題はズバリ、一人になることです。人一倍寂しがりやな私なので、だからこその課題だと思いました。それは他人に甘えず、一人で強くなるということです。 今思えば過去に付き合ってきた彼女達も、自分のプライドを満たしてくれたり、甘えさせてくれたり、寂しさを埋めてくれたり、愛されたい、大切にされたいという思いを満たしてくれたりと、あらゆる自分の内を満たしてくれる相手でした。(非常に自己中です) でもそれでは自立はできません。自立とは依存をなくし、オレオレという自己中心性からの脱却です。 何とも私らしい課題です。なぜならパターンはその真逆を望むからです。 人それぞれに人生の課題があると思いますが、もしかしたらパターンの真逆をいくのが、「私」が最も求めている生き方なんじゃないかと思います。魂の設定かもしれません。 自分の課題をしっかり胸に刻み、日々の自分の在り方に反映していこうと思いました。

渡邊 優
11月20日
本気の人達
小学生の頃から知っている、プロサーファーを目指している高校生がいます。 その子は周りの人とは違いました。(大人子供含め)小学生の頃からプロを目指していると言っていたので、見ている先が全く違ったのです。周りではなく、目指している先と、今自分がやるべき練習や課題、そこだけにフォーカスしていました。練習している時は常に集中して、少し面倒臭い大人がいると距離をとって、また黙々と一人練習をしていました。私はその子のその真摯な姿が忘れられません。 きっと彼にもパターンがあり、嫌なことやがっかりすることもあると思います。しかしそれを凌駕するほどの自分の在り方、生き方を小学生の時から持っていました。 パターンは過去に囚われたり、もしくは未来を憂いたり、妄想して今を見失います。 大切なことは今を真剣に生きる。彼を思い出したり見かけたりする度にいつもそのことを考えます。 自分は自分を厳しく見れてるだろうか、甘くないだろうか、今に在るだろうか、逃げてないだろうかと。そんな本気の人達から学ぶことは山ほどあり、それは年齢や性別関係なく、その魂から学んでいる気がします。..

渡邊 優
11月19日
他人の賞賛
他人の賞賛が欲しい・・・ 私のパターンです。なぜなら、他人から賞賛されれば自分に価値を感じられるし、承認欲求も満たされるし、自分の自信になると、パターンは思っています。そしてそれをもらえないと、パターンは怒ります。ということは、パターンの求めるものは他人からはなかなか貰えないということです。そう思うと他にもパターンの求める、愛、理解、許し、お金、地位、名誉、技術、人より優れているもの、などなどは、そう易々とは貰えないのだと思いました。もしかしたら他人も同じように求めているからかもしれません。 そう考えると、自分で自分を褒められたらどれだけいいだろう思います。私はこの部分を全くしてきませんでした。そしてここにもパターンがあったと気付いたのです。自分を褒めるのが苦手なパターンです。自分を褒めるなんて謙虚じゃない、ナルシストだ、自惚れだ、他人が聞いたら引くだろう、そもそも自分を褒めるところがない、などなど、パターンの思う自画自讃です。そして自分を褒めることのもう一つの意味づけに、謙虚さがあると思いました。それは他人に求めない、利用しない、自分でやってい

渡邊 優
11月18日
価値について
私のパターンで、地位や権力にには価値がある、というものがあります。 なぜならば、皆んなが一目を置くし、その人の言うことに従うし、誰からも認められるから、だから権力や地位には価値があると、パターンはそう信じています。そしてそれらを持っている人の前では何だか自分が下になったような、負けているような気がして萎縮するのです。あ〜自分はダメだなと・・・ そして思い出したのです。以前私が小さな会社をやっていた際、少なからずこのパターンが満たされていたのを。そして上には上がいて、そういう人達の前では同じように萎縮していたのをです。ということは地位や権力欲には際限がなく、満たされたり萎縮したりと変動するということです。 あるときは地位や権力があり、またあるときは実際に失脚したり、何かの出来事で地位や権力を失うこともあります。そんな時に本当に問われるのが、人間の在り方だと思いました。 最近思うのは、本当に価値があるのは精神性であり、それは人の在り方や生き方に自然と現れます。 それは本人にしかわからない内側の出来事で、他人には見えないし分かり得ないことかもしれません

渡邊 優
11月17日
魂を込めて
立派な人たちの話を聞いたり読んだりしていると、偉業を遂げた人達ほど、日々の当たり前のことに魂を込めてやっているように思います。掃除からトレーニングまで、あらゆる今、やることに真剣に向き合っている、そんな姿勢が伺えます。 私も朝の祈りから、あらゆるワーク、自分を見る姿勢、ピアノ、筋トレ、読書など、その一つ一つをただやるのではなく、丁寧に、真剣に魂を込めてやっていこうと思いました。 今日はこれから家族旅行です。 大人になってから行く旅行もいいものです。 私は家族の中でも次男だったので、色々と甘えさせてもらいました。してもらうことが多い立場でしたので、今日は私から何か与えらたらいいなと思っています。 家族が幸せを感じられる旅行、それを目指して行ってきます。

渡邊 優
11月15日
自分を知る方法
自分を知る方法は二つあると思います。その一つが、感情が出た時などに自分のパターンから自分を見るというもの、そしてもう一つが、他者との比較において、自分を知るというものです。 世の中には自分よりすごい人は伍万といて、そんなすごい人を知った時、あ〜自分はまだまだだと実感するのです。そこではパターンの出る余地がないほどの差を感じ、自分は何もわかっていなかったと実感するとともに、自分も頑張ろうと思えるのです。それは悔しさなどではなく、どこかで励まされているような感覚です。 本当に立派な人を前にしたり、聞いたり、読んだりした時、不思議と尊敬の念が生まれるのはきっと、自分よりも圧倒的な努力の差を感じるからだと思います。 大事なことは、現実という広い世界から自分を見た際、現実の自分の実力はどうだろうと直視する力が必要です。そして自分の知らないことや経験のないこと、理解の追いつかないことは山ほどあり、だからこそ少しでも学んで経験して、驕らず弛まず努力精進する必要があるのだと思いました。 あらゆる所から自分を知り、それを養分に変えていこうと思います。

渡邊 優
11月14日
理想の兄
先日、兄と両親が口論となり、それを見ていた私は盛大にパターンに引っかったのです。 何とも言えない不快感、そして少しの腹立たしさと共にある虚しさと寂しさ、そんな思いが湧き上がりました。 理想の兄じゃなきゃ嫌だというパターンです。 私が子供の頃に見ていた兄は、優しくて穏やかで、包容力があって、何でも受け入れてくれる器の大きな理想の兄でした。その理想の兄とそのとき見た兄はまるで別人で、どうしても受け入れられなかったのです。許せないようなやるせないような、腹の底にモヤモヤしたものを感じました。 そんな理想の兄を求めるパターン、子供の頃から変わらずに兄のことが好きな「理想の兄じゃなきゃ嫌だ」というパターンに今朝は語りかけをして、これからの兄に対する自分の在り方を考えていました。 今まではしてもらうことが多かった私ですが、これからは私が兄に、色々話を聞いたりして理解し、自分が兄を支えていきたい、そんなことを思いました。 パターンはパターンでしっかりケアして、兄に対する感謝と尊敬を大事に、兄との関わり方を変えていこうと思いました。

渡邊 優
11月13日
普通とは
両親や兄、そして祖父母を見ていて思ったのが、私は全く普通の人間だということです。 しかしパターンは特別になりたがります。特別な自分、特別扱いされる自分です。なぜならば、特別であれば皆んなから一目置かれて、自分のいうことを聞くし、思い通りに生きられると、そうパターンそうは信じています。そしてこの特別で在りたいパターンは劣等感の裏返しでもあります。特別になることで劣等感埋められると思っているので、そちらのパターンのケアも必要だと思いました。 そんなパターンのケアをしながら最近思うのは、普通の自分でも十分幸せに生きられるということです。五体満足で、ご飯が美味しく食べれて、家族や友人がいて、そしてその普通の自分を良しと思えたらもう十分幸せだと思いました。 普通は悪でも低いことでも何でもない、幸せだということです。 普通の家族に、普通の祖父母、でもそこに小さな個性がある。そういったものを大切にしたいと思いました。

渡邊 優
11月11日
両親の終活
今週末は両親とまた旅行に行ってきます。 六月に行った修善寺温泉です。前回行ったのがよっぽど良かったのか、今回は母親が全部出すからと言って両親と兄の4人での旅行です。 そこで思ったのは、あ〜、私は全然気づいていなかったのだということです。 パターンでいるときは理想のを両親を求め、言われたことやされたことに囚われて、本当は愛されていたことに気づいていなかなかったのです。私には子供がいないのでわかりませんが、もしかしたら親の子供への愛は、なかなか子供には伝わらないのかもしれないと思いました。 気を使わないで子供達と旅行に行きたいと言っていました。それは両親の終活です。 体もどんどん不自由になり、痛いところも増え、これが最後かも知れないと父は言っていました。 こうやって人の一生は終わっていくのだなと、何だか両親から教わっている気がします。 終わりよければ全てよし、できる限り二人のパターンを軽くして、見送りたいと思いました。 そう思うと、両親から教わったことは山のようにあります。 パターンが強い私だから、許すことや受け入れることは本当に苦手で、そこに一石を

渡邊 優
11月10日
大人とは
大人になる、その大切さを考えていました。 見た目の大人ではなく、内面的な大人です。自分で考え、自分で決めて、行動に移して行く、そしてその結果の責任も引き受ける。同時に自分の中で起こること、感情やパターンも引き受けるのが本当の大人だと思いました。 思い返せば私は随分甘えていたのだと思います。それは誰かの指示に従っている方が楽ですし、故にどこかで他責にできるからです。 そして他人に対しての怒りや恨みも甘えの裏返だと思いました。この自分を大事にしてくれない怒り、この自分をわかってくれないもどかしさ、本当はわかって欲しい、でもそれがもらえない時、パターンが他人を恨み、怒りや憎しみとして出るのです。 きっと本当の大人とは、そんな自分のパターンを全て面倒見れて、その上でこれからの自分のことを考え、どうして行くのか、その自分の全てに責任を持てるのが、大人だと思いました。 自分はどうありたいのかと聞かれたとき、きっと私は自立した大人でありたいと答えます。 覚悟とコミットを持って、そこを目指します。

渡邊 優
11月8日
一人の時間
昨日は旧友と飲みに行ってきました。 昔話に花が咲き、当時を思い出して馬鹿笑いして楽しいひと時を過ごしました。 そして家に帰ってからはまた一人の世界となり、自分を見る時間になります。 どんなに気心が知れていても、家族であっても、人間は一人なのだと最近実感します。 それは、それぞれがそれぞれの世界を持ち、別々の道を生きているということです。ですからその世界を汚しちゃいけないし、介入してもいけないのだと思いました。 私は今年に入って一人の時間が多くなり、自分のことは自分でやる、この意味が少しわかるようになってきました。それは、自分の中に起こることは自分で面倒を見るということです。 それを他人に依存し、他人に何とかしてもらおうと思っていた時はどこかに不安と恐怖がありました、その不安と恐怖を誰かに何とかしてもうおうと思っていたのです。そうすれば安心できると信じていました。 不思議なもので誰かに頼りたいと思っていた時よりも、自分で引き受けると決めた今の方が自分の中に安定感があります。それは少しづつ何かが育っているのだと思います。それが強さであり、覚悟なのだと

渡邊 優
11月7日
パターンを許せているか
昨夜釣りをしていると、隣の人とその隣の人とで一悶着ありました。 それを見ている中で、あっ、パターン同士が揉めているのだなと思ったのです。そして胸の辺りに軽い締めつけがあり、どこかで嫌悪感を抱きました。 片手に竿を持ちながら自分のパターンを探していると、パターンでの行動はいけないものだというパターンに気がつきました。自他のパターンを許せないパターンです。それは自分のパターンだけでなく、他人のパターンも許せません。これはいけない、これはだめ、あれもだめと自他をジャッジします。 パターンはダメだ、いけないものだと言っているパターンをもう一度ケアしようと思い、海を前にして語りかけをし、そして白黒ワークをしました。黒パターンの中では相変わらず窮屈さと締め付けを感じ、白の部屋では「もしかしたらパターンはダメなものだと、もう決めつけるのはやめよう」こちらを選ぶと肩の荷が降りたような開放感を味わいました。ということは、こちらが私にとっての真理です。 そして黒パターンは何のためにあるのだろうと考えました。 それは、必要だからあるのだと思います。ハッキリしているのは

渡邊 優
11月6日
一貫しているもの
他人の評価を気にするパターンが私にはあります。 それは他人の評価で自分の価値が決まったり、他人の評価が自分への自信や自己肯定感に繋がるとパターンは信じているからです。 しかしここ最近の課外授業での学びでは、一貫して人の在り方について説かれています。 京都では当時の僧侶の在り方と作法から、また昔の日本人の信仰心の深さや、時の天皇が作った様々な国宝などから人民に対する思いが伺えます。 松下政経塾では、人としての生き方や在り方を素直と表現し、その教訓が「企業は人なり」「真の繁栄は心の繁栄から」などの言葉からも垣間見れます。 それは自分は何を信じ、何を求め、どんな意識でいたいのか、何に集中したいのかなど、在り方を問われている気がしました。きっと真理はこちらなのだと思います。 以前他人の評価とは、他人のパターンが評価しているのよと先生から教わったことがありますが、それは当てになならいということであり、真理ではないということだと思いました。 先人たちが伝えている一貫しているのも、それが人の在り方であり生き方です。 パターンの先にはきっと、そちら側で生きる喜び

渡邊 優
11月5日


「素直」
私の家から歩いて10分ほどのところに松下政経塾があります。松下幸之助氏が作った次世代を担う日本のリーダー輩出のための私塾です。 松下先生は85歳で最後の事業としてこの塾を立ち上げ、5年間はこの塾で 精力的に 松下哲学を教えていたそうです。現総理の高市早苗氏や元総理の野田佳彦氏もこの塾の卒業生です。 そんな松下政経塾の見学会に参加して来ました。(費用はかかります) 塾内にある松下先生が作った根源社という社です。伊勢神宮と同じ作りだそうです。 松下先生はここで、素直な心でありすように、素直な心でありますように、素直な心でありますようにと、一万回祈りを捧げてやっと、素直の初段になれたと仰られたそうです。あれだけの方がそんな風に思われていたとは、いや、あれだけの方だからこそそうなのだと思いまいました。 茶室「松心庵」に掛けられた「素直」の掛け軸。どんな才能よりも、どんなセンスよりも、頭の良さやキレよりも「素直な心」が一番大切だと仰られているようです。 後で分かったことですが、ここでの素直とは、真理の前に自然と頭が下がる謙虚さや、自分の思惑を手放して「天の

渡邊 優
11月4日
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