top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 10月6日
  • 読了時間: 2分

瞑想を始めて数ヶ月が経ちますが、「私」かパターンかの感覚がよくわかる様になってきた気がします。「私」でいるときは、妙に腹落ちしていて内側に自分がいる感覚です。パターンでいるときは思考が先行して意識がまばらとなり、ふわふわした状態です。日常の中でもこの感覚が保てれば、すぐにパターンか「私」かの意識の違いに気づいて、瞬時に軌道修正できるのではないかと思いました。このようなパターンか「私」かの意識の違いというものは頭で理解するものではなく、体験や感覚として身につくものだと思います。瞑想には意識の感覚を研ぎ澄ましたり、集中力を上げる効果が効果があるのだと思いました。


最近スポーツ選手でも瞑想を取り入れる機会が多いようです。

私がよく見るサーフィンのオリンピアなども、試合前には必ず瞑想をして試合に挑んでいるようです。

そうすることで、ほどよい緊張感と集中力が高まると言っていました。


そんなことを考えると、誰が最初にこのような意識の変化のために始めたのかと疑問が生じます。もう何千年も前から坐禅など瞑想のようなことは行われていました。ということは何千年も前から人は意識の変化というものに魅せられてきたということです。「私」の感覚を定着させるためにも、瞑想は習慣にしていこうと思います。

 
 
 

最新記事

すべて表示
あるな、と思ったこと。

昨日は先生との個人セッションでした。 そこで他人と比較するパターンについての話がありました。なぜ人は他人を気にするのか、それは他人と自分を比べて優劣をつけて勝ちたい、このパターンはそういうものだと。 家に帰った後このパターンのことを考えていました。自分にも あるな と。 私が以前グループに出ていた際、その時はずっと心の中で人と比べていたのを覚えています。自分は上か下か、勝っているか負けているか、そ

 
 
 
目の前のことを

最近の自分のパターンの反応を見ていると、理想を求めることが多いなと実感します。 理想の兄を求め、理想の他人を求め、他にも理想の両親を求めるパターンもあれば、理想の自分を求めるパターンもあります。 あらゆることに理想を求め、それは尽きることがありません。理想を求めることは一見、やる気や目標を持つといった良いことに思われがちがちですが、パターンの理想は叶わぬ理想、妄想です。蜃気楼を追い求め、それが叶わ

 
 
 
甘え

自分は沢山の人に甘えてきたな〜、と振り返っていました。両親や祖父母や兄は勿論のこと、沢山の周りの大人にです。そしてそれは大人になってもパターンとして続き、先生や彼女や友人、そして甘えさせてくれない時には相手に腹が立ち、相手に問題があると思っていました。何ともパターンらしいです。 甘えが強い自分だから甘えについてはよくわかります。それは、他人に甘える人というのは、自分にも甘いし、他人にも甘いです。だ

 
 
 

コメント


​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page