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勉強会
昨日は道場仲間との勉強会でした。 勉強会では、最近始めた開示の練習や、質問や自分の意見を言うという自分の課題に取り組みました。 私にとってこの課題の意味は、自分を鍛え、そして強くなるための課題です。その課題を道場仲間を相手に練習させてもらいました。 家で練習していった成果か、自分がパターンでいた話やそのパターンへの取り組み、またパターンに引っ掛かった際の開示は、それほどパターンは怖がることなく話たり開示することができました。 そしてこの練習というものが、とても大事に思いました。 開示や質問、意見する練習の場というのは、普通は中々存在しません。 しかも自分のネガティブな部分、黒パターンの話をするというのは、寧ろ引かれる可能性すらあります。その黒パターンの話をしつつ、勇気を使って克服する練習ができる環境。 一人ではできないことなので、これがとても有り難かったですし、グループならではなの醍醐味に思いました。 この私の課題はあと数年単位で見ているので、しばらく続けていこうと思います。 ということは、しばらく付き合ってもらうということです。笑...

渡邊 優
6月15日
朝活
今朝はバドミントン仲間と早朝から待ち合わせをして、サーフィンに行ってきました。 朝から体を動かすのは気持ちいいのですが、それ以上に、友人とワイワイ一緒に何か遊びをするのが楽しかったです。 そしてそのような友人と一緒にいて思うのは、それまでの自分は随分傲慢であったなということです。 友人の話にいちいち心の中でジャッジして、自分の方が上な気でいました。なんの根拠もなく、勝手に上になったつもりでいたのです。また自分より上の人を見ると下になり、下の振る舞いをしていました。腰を低くし、謙虚になったつもりでいたのです。このように人によって態度を変えたりすることを、果たしてそれでいいのだろうか、ということです。 上とか下とかの、自分の中の差別をなくしたい、そのままの相手を受け止められる自分でありたい、と思います。であるならば、まずは自分の中の差別をなくして、自分のパターンをそのまま受け止められるようになることが先だと思いました。 こうして友人との関わりでよくわかるのは、自分のことです。 今自分はどうなのか、以前との違いは何か、これからどうありたいのか。 朝活を

渡邊 優
6月14日
あれこれ言われていい
私の強い黒パターンに、「あれこれ言われたくない」というパターンがあります。なぜなら自分は正しいし、分かっていて、できているからというもの。 一言でプライドとも言えますし、生意気とも言えます。そんな生意気なパターンでいたとき、ふと「もういい加減言われたくないよ、言われなくなる時は来るのか!」と不満が込み上げました。その時どこからか聞こえた声が「そう思わなくなったときだよ」と言われた気がしたのです。 そう思わなくなった時、それは、「あれこれ言われていい」の白パターンを選んだ時だと思いまいました。それはもう、あれこれ言われていると取っていない、言われたことをそのまま、アドバイスや導きとして素直に受け取れている状態、それがこの白パターンの本質だと思いました。 なので、本気で「あれこれ言われていい」を選んでいこうと思います。 なぜなら、これだけ自分を突きつけられると流石に、自分が正しいとは思えない。 寧ろ、随分間違った在り方を選んでいたなと思うんです。 ですからしっかりワークをして、実践していきます。 あれこれ言われていい、この響きだけでなんだか開放感があ

渡邊 優
6月12日
パターンを抑圧してた
自分は随分パターンを抑圧してきたんだな〜と、考えていました。 いつまでもパターンに引っかかっているようではダメだとか、パターンはいけないもの、パターンでいた自分はダメだなど、これらのパターンでいたから、パターンを変えようとし、抑圧していたのです。 そもそも、パターンとは勝手に反応するもので、それがパターンだと教わりました。 ということは、パターンを抑圧しない、自由に反応させてあげるのも、こちら側の在り方のように思います。そこでパターンが苦しむのであれば、語りかけでケアをする。パターンに対してできることとは、それだけだと思いました。 その上で自分はどうありたいのか。 上の例でいくと、この白パターンは選びたいです。 いつでもパターンは反応していいし、パターンとは普通にあるもので、パターンでいた自分はダメではない、です。もちろんすぐにそうなれるわけでもなく、またパターンに引っかかり、ネガティブな感情は生まれるのですが、目指す先がそこなわけです。 そこには、広がりや可能性を感じます。 同時進行で、自分という可能性を広げるのです。 それと同時に、全てのパタ

渡邊 優
6月11日
自分は間違っていた
最近、昔はこうだったよね、前はああだったよね、と言われる機会が多く、そのたびに自分は正しい、わかっている、できているというパターンがショックを受けています。パターン的には、ガラガラと崩れる瞬間です。 そして分かったのは、自分は大きく間違っていたということです。 それまでは、パターンでいたことに、パターンで行動していたことに、無自覚でいました。言われて初めて気づく衝撃でしたが、自分のことを、自分が一番分かってあげなきゃいけないのに、自分が一番分かっていなかった。 パターンと自分を分離する。できているつもりで、全然できていなかったです。 残念でもあり、でも、ここからやり直せるというのも、事実です。 そしてただやる、これも大事。 余計なことを考えず、ただやっていきます。

渡邊 優
6月10日
自分の弱点
自分の弱点を考えていました。 散々人から言われてきたのですが、こうして改めて自分の弱点を考えたこともなかったので、良い機会と思い考えました。 真っ先に頭に思い浮かんだのは、弱さ、私の「一人では生きられないという」パターンの持つ弱さです。一人で生きられないから、強いものへ忖度する。一人で一気られないから、自分以外の何か、自分より強い人やお金に頼る。一人で生きられない(自分を支えられない)から他人に助けを求める。 一人で自分を支えなければいけないところを、他人に甘えるという一番の弱点です。 こうして改めて考えると、ピンチの時はいつも他人に助けてもらっていました。 逃げてばかりでなく、寂しくても、悲しくても、怖くても不安でも、その自分を自分で支える。 それを自分は一人でやりたいのだと思いました。 自分の弱点をしっかり見ると、今までの自分がどうだったかがよくわかります。 これからの自分はどうありたいのか、しっかり考えて、自分のためにやっていこうと思いました。

渡邊 優
6月9日
ヴィヴァルディと私
昨日は、「ヴィヴァルディと私」という中世ヨーロッパの音楽を舞台にした映画を観てきました。 師のヴィヴァルディと、弟子の女性天才バイオリニストのお話です。 中世のヨーロッパでは教会で曲(ソナタ)を披露することが多かったらしく、当時の音楽が貴族の嗜みとして扱われていたのが印象的でした。しかし奏者は教会の孤児の方達、弟子も同じく両親の顔も知らないで育った一人の20代の女性です。 そこでのルールは、貴族に気に入られたら結婚をし(処女が条件)音楽をやめるというルールです。 しかしこの弟子の女性は、音楽を続けたいがために処女をゆきずりの男性に捧げ、教会の恥だとして牢屋に入れられてしまいます。しかし彼女は、「それでも音楽は残った」と言って牢に入ることも覚悟の上で、音楽のためにそれを選んだのでした。 そこまで音楽に狂えるって、幸せだと思いました。 自分の身よりも、音楽。 命よりも、音楽。 何よりも、音楽ができればそれでいいという、純粋な思い。 そこに希望を感じました。 そんな生き方、いいと思います。

渡邊 優
6月8日
自分が嫌い
思い通りに物事が進まない時、思い通りに自分が成長しない時、自分自身が思い通りにいかない時、「あ〜、もう嫌だ!」という思いに囚われます。これは何なのかと考えると、「自分が嫌いだ」というパターンだとわかりました。 思い通りにいかない自分に、理想と現実の自分のギャップに、自分が思っていた自分よりもレベルの低い自分にショックを受け、腹が立ち、嫌悪感を抱くのです。そうやって、自分自身からから逃げたくなり、自分を攻め続けるのだと思いました。 最近はこの「自分が嫌いだ」のパターンに語りかけています。語りかけていて思ったのは、このパターンでどれだけ理想の自分を追い求めていたかということです。 逆にいうと、自分を好きになれる自分というのは、思い通りの自分です。 強くて、堂々としていて、親分肌で、誰からも好かれて、誰のことも理解できて、誰からも愛されるような人です。それ以外の自分は好きではないのだと思います。だから、パターンは苦しいのだと思いました。 パターンをしっかり救っていきます。 それが、ワークの本質。

渡邊 優
6月6日
パターンへの厳しさ
最近パターンへ対して、どちらが主人かを明確にするために、厳しさを持って対応しています。 具体的には、黙れ!と一喝する場面が増えました。 特にプライド関係のパターンは、傲慢さや慢心が際立つパターンなので、他人をジャッジしている際などでは役に立つことが多いです。そしてよくわかったことは、それらのパターンに対して今までは、放置していたということです。正確には、パターンでいた、ということです。 他人への比較やジャッジは、どちらが上かや、勝ち負けで判断するくせが身についているので、その細かなパターンの動きに敏感に気づけたことも良かったです。 パターン自体は、語りかけワークという理解や気づきで救われることは多かったですが、厳しさを持ってどちらが主人かを明確化にするというのは、こちら側にとっても、「私」が主人だということを一瞬で思い出させてくれるので、調教師としての自覚が育つ気がしました。それだけ境界が曖昧だったのです。 パターンと「私」は別物。 そのあたりをしっかり意識していこうと思いました。

渡邊 優
6月5日
先を見る
自分のパターンに気づけて、原因がわかってよかった。語りかけワークをして、パターンが少し落ち着いてよかった。白黒ワークをして白の世界を体感できてよかった。それで終わりではない、ということを考えていました。(寧ろ、だから?)くらいこれだけでは変われないのだと思います。 パターンが落ち着くとついついそれで問題が解決したかのような気になりますが、全然そうではなく、その先があるのだと思います。それが、選んだものを生きることだと思いました。行動するということです。そしてここが一番、勇気や覚悟が必要だと思いました。 選んだものを生きる、それは、今までしてこなかったこと、選んでこなかったことなので、私にとっては苦手な部分です。パターンがざわつき、恐怖におののき、不安に飲まれることもあると思います。 それでも、それをやってみたい、挑戦したいという思いが、どこからか湧いてくる。 私はそれをやりたいんだなと、思います。 それが、人間の発展や成長につながるのだと思いました。 まだまだ先がある。知らない先が。

渡邊 優
6月4日
パターン
私の「自分は弱い」というパターンには、パターンにとって、弱いなりのメリットがあることを昨日のセッションで習いました。今日はそのメリットについて考えてみました。 パターンにとって、弱いなりのメリット ① 守ってもらえる ②許してもらえる ③甘えられる ④助けてもらえる ⑤傷つかなくて済む ⑥弱いからと理由になる ⑦同情される ⑧頑張らなくていい これを見て思ったのは、パターン的には、弱いからしょうがないという言いわけがあることです。 そうすることで自分を正当化するのです。今までの私の思いや言葉にはそれがよく含まれていました。 そしてそこに居続け、そのパターンを使い続けるとは、自立とは程遠いことだと思います。 果たして自分はそれでいいのか?というところです。 そして、「自分は弱い」のパターンを使った場合のデメリットを考えました。 ①成長なし ②停滞 ③他人次第 ④自分で自分を助けられない ⑤自分で自分を守れない ⑥自分で自分を支えられない ⑦自立しない ⑧弱いままの人間となる これは、この先何を選びたいのかは、火を見るより明らかです。 このパターンを

渡邊 優
6月3日
再認識
今日は魂の道場での個人セッションでした。 私の強いパターンとして、あらゆることを怖がるパターンがあり、それはパターンであって、「私」と同一化しない、ということを再認識しました。 それがパターンである、ということをすっ飛ばしてついつい、自分は怖がりだ、自分は弱いと意味づけし、それが自分だと決めつけていたのです。ですがそうではなく、怖がりなパターンがあって、自分は弱いと思っているパターンがある、ということです。ここを同一化して、弱いと言っているパターンを克服しようとしていたのです。それは、強い自分にならなくては、怖がらない自分にならなくてはとです。しかしパターンは変わらない、変われないのです。大事なことは、バランスをとるということ。 ここの認識が間違っていました。 間違っているとどんなことが起こるのか、それは、変わらないパターンを、無理に変えようとするのです。変わらないものを、変えようとする。自分は弱いと言っているパターンに、強くなれと言っているようなものです。しかも変われないから、悶々とします。これが悶々とする正体でした。 誰が誰に何を語るのか、そ

渡邊 優
6月2日
いけすかない奴
昨日久しぶりの友人に会い、「ユタカって変わったよな、前はもっといけすかない奴だったよ」と言われました。驚きと同時に、そうだよな〜と納得です。 舐められたくない、俺のほうが上だ、俺はわかっている、俺はできる、そんな俺様的な戦闘体制のパターンや、どうよ俺という上から目線のパターンで接しられていたら、そう思われて当然だと思います。 今思えば、自分が生意気であったという心当たりがありますし、今もそのパターンは健在です。 そして彼の話はまだ続き、「そう思っていた人は結構いたと思うよ・・」と。 私は更に、ガーンとショックを受けるのでした。どんなところがいけすかなかった?と聞くと彼は、「プライドが高いところ・・・」と答えてくれました。 周りはわかっていたのです。私のことを。 自分のことを一番わかってなかったのは、私自身だったのです。 彼はきっと、褒め言葉として言ったのだと思います。本当に貴重な意見だと思いました。 いいことを言う人は多いけど、本当のことを言う人は少ない。 自分を知る上での、最高のギフトでした。

渡邊 優
6月1日
練習
私には「他人が怖い」というパターンがありますが、このパターンは、他人に傷つけられたり、ジャッジされたり、利用されることを恐れています。 そこで最近、開示の練習を毎日続けています。これは、自分はどんな人間で、こんなパターンがあり、でもそれは自分の問題だと宣言することです。当然そこでは、ジャッジされる怖さや不安が付き纏います。だからその怖さに飛び込んで、実際に体験しながら超えていく必要があるのだと思いました。 実際の社会では、自分のネガティブな面を自分で表明する、自分を曝け出す機会というのは中々ありませんが、道場での粗治療を繰り返すことで、他人からの評価やジャッジに対して打たれ強くなるという強さを身につけられるのだと思います。 バドミントンをやって思ったことですが、何事も練習なのだと思いました。 頭の中であれこれ考えるより、飛び込んで練習し、また実践して失敗しながら、練習する。すると気がつかないうちに、自分のものになっているのだと思います。 ということで、今日も練習です。

渡邊 優
5月30日
本当に大切なもの
本当に大切なものとは何だろう? お金、名声、地位、資産、家、友人、家族、仲間、etc これらは死んだら持って帰れないものです。 しかし今私が学んでいることは、魂を磨くことです。それは心をケアし、整え、人格を向上させます。 そしてこちらは、死んだらその魂として、向こうに帰ります。 夢中になって追いかけたお金も、地位も名声も、家族も友人も、そこから何を学び、何を魂として得たのか。もしかして私たちは、分かりやすく得た価値よりも(一般的にはそちらに価値があると思われている)そこから何を学んだかの方が、魂としては大事なのだと思いました。 それは良くも悪くも経験であり、今までしてこなかった努力や、勇気、挑戦、そのような内的なものです。それが今生の私たちの魂に刻まれるのではないかと思います。そう考えないと寧ろ腑に落ちないことが多い気がします。 人は一人で生まれ、一人で死んでいく。 以前先生が仰っていた言葉ですが、最初聞いた時は真意がよく理解できませんでした。ですが今なら少しわかる気がします。人は自分の魂をどんな魂にするのか、その魂でどう生きるのか、これを一人

渡邊 優
5月29日
ワイエス展
昨日は実家の用事を済ました後、東京都美術館100周年記念の、アンドリュー・ワイエス展に行っていました。 テーマは、「境界」と「世の無常」 こちらとあちらの境界、生と死。そして色をあまり使わないで表現している「世の無常」 私は、世の無常というのが、とてもスッキリ感じました。 アンドリュー・ワイエスは、実父の死から「世の無常」というテーマで作品を作ったそうですが、そこからは感じたのは、個人にどれほど大変な事が起こっても、世界は変わらずに動き続ける、という世の儚さを表現しているように思いました。 けれどそれは決して冷たいわけではなく、それによってこちら側も救われるような、希望を感じられる作品でした。 光と影を使った描写は秀逸で、しかし、その光と影は、物事の外側だけでなく、人間の内側にも内包された美しさを描いているようでした。 何でもない日常と、いつもの変わらない風景からあらゆるものを読み取る作者の感性がとても素晴らしかったです。 東京都美術館100周年という、ちょっと気合の入った展覧会。 見応え抜群でした。

渡邊 優
5月28日
バドミントン
昨夜は友人に誘われて、近くの体育館でバドミントンをしてきました。 もう何十年もやっていないバドミントン、軽く体を動かすつもりで行ったのですが、とんでもない、本気の集まりのバドミントンサークルだったのです。 ルールもわからずラケットの持ち方から教えてもらうのですが、その前に、試合でミスをしたら「ごめんなさい」とダブルスのペアの相手に謝るのがマナーだと教わりました。今夜は謝ってばかりになりそうだなと思いつつ試合開始、案の定空振りが多く、足を引っ張ってばかりいて「ごめんなさい」の連発でした。 そして1試合10分を12試合。練習も入れてみっちり3時間バドミントンをしました。(足ガクガク)そして最後にサークル長から私に、今日のメンバーはベテランばかりで楽しめなかっただろうから、今度は初心者の多いところのサークルがいいとアドバイスをもらいました。 ここでパターンが反応です。 自分が選ばれなかったような、遠回しに足手まといと言われているような気がしたのです。 現実は、サークル長からのただのアドバイスです。そして私の現実も、ただの初心者です。この現実を知ることが

渡邊 優
5月26日
弱さとプライドはセット
自分は弱い、というパターンへの語りかけをしていて、思ったことがあります。 私の場合、弱さとプライドがセットだとです。 全く無意識でしたが、弱さを隠すため、バレないために、プライドという鎧を何重にも着込んで、自分を大きく見せたり、ハッタリをかましていたわけです。そして弱いゆえ、力のありそうな人へ忖度し、持ち上げたり、顔色を伺って大きな傘の下で自分を守ってもらおうとしていたのです。しかしプライドもあるので、内面は安心したり悔しかったりと、何とも忙しい限りです。 これが、パターンで生きていたということです。 私の場合、人生のほとんどをパターンで生きてきました。パターンで生きている自覚すらなかったですし、何が問題なのかすらわかりませんでした。 しかし、自分を知っていくうちに、本当にそれでいいのか?と思うようになりました。 パターンという、依存、不安、恐れ、弱さ、それらでこの先も生きていくのか? それが本当に自分のやりたいことなのか?とです。 現実の自分を知るというのは、パターンが求める理想の自分を知る訳ではありません。寧ろその逆で、自分が思っていた自分で

渡邊 優
5月25日
ただやればいい
黒パターンから新たな白パターンを選び、行動する際、ただやればいい、ということを教わりました。 あれこれ考えるのはパターンなので、そちらにいかずに、ただやればいい、というものです。 あれこれ考えるのはパターン。自分はどうしてなんだろう、なんでそう思うのだろう。 散々語りかけをやった後ならもうわかると思います。それ以上考えるのは、やらない言い訳を探しているか、できない理由をパターンが求めているのだとです。 きっと黒パターンは変わって欲しくないのだと思います。 なぜなら、自分が消えてしまうと思うからではないでしょうか。 パターン寄りにならずに、ただやればいい。あまりにシンプルで、拍子抜けするほど的を得ていると思いました。もしかしたら、これくらい物事はシンプルなんじゃないかと思います。 なぜなら、結局は、やるかやらないかだけだからです。 やるから開ける、やり続けるから変わるのだと思います。 ただやればいい、練習からでも、自分を鍛えるためにやっていきます。

渡邊 優
5月24日
世界は贈与でできている
とても良い本でしたので、今日はその本を紹介しようと思います。 「世界は贈与でできている」 この本は資本主義の隙間にある、お金では買えない、普段私たちが気づいていない、でも実は与えられていた(贈与されていた)目に見えないものについて書かれています。 資本主義によくあるWIN WINや、ギブアンドテイクはあくまで交換です。しかし贈与とは、交換するのではなく、与えるだけの、与えっぱなしのものです。 その代表的なものが、親の愛情です。親の苦労子知らずとは、本来、親の苦労を子供が知ってしまったら、子供は耐えられない、だから知らなくていい、そういう意味だと著者はいいます。 贈与の中でも代表的なものがサンタクロースです。クリスマスにプレゼントを貰った子供は、誰に貰ったのかわからないので、返礼が必要ありません。しかもサンタクロースが実は親だったと気づいた時は、子は大人です。これが贈与だといいます。時間差で気づくもの、しかも、意識しないと気づけないもの、それが贈与です。 そして著者はいいます。 私たちの周りには贈与で溢れているとです。 空気も、水も、人間には作るこ

渡邊 優
5月22日
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