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保身
保身のパターンと向き合っています。 私は人前に立ったり人前で話すのが苦手です。その理由を考えると、受け身でいた方が安全だ、というパターンに思い当たりました。それは自分を晒すのが嫌で、ダメな自分がバレないか、はたまた自分が何かを言ったことで責められないか、怒られないか、そして傷つかないか。そのように自分を守るパターンです。 思い当たるのは、このパターンが強いまま前に進もうと行動すると、もの凄くエネルギーを使い疲れることです。それはまるでブレーキを踏みながらアクセル全開のようなもので、心の中では嫌だと思いながら、ビクビクしながら人前に立つのです。そして必要なことにも気づけず、言えずに終わります。 「これでいいのか自分」 ここは私が 一念発起して、自分を変えるべく立ち上がる時だと思いました。 誰に言われるでも、やらされるでもない「私」が自分を面倒見ていくのです。 それはパターンをケアするだけではなく、前に進める推進力です。 新たな船出に出る気分です。

渡邊 優
11月2日
ネガティブだけじゃなく
最近自分のパターンを見ていて、パターンはネガティブな感情だけではなく、ポジティブな感情もよくだすのがわかりました。ネガティブな感情は当然不快なのでわかりやすいのですが、ポジティブな感情は快なので見落としがちです。そしてそれもネガティブと同じだけありそうです。 他人に認められた時の嬉しさ、他人といる時の楽しさ、褒められた時の喜び、通じあっているかのような分かり合っているかのような一体感、それをよ〜く見ていくと、パターンが喜んでいるのがわかります。それは高揚感として現れます。 それがいけないのではなく、誰がそう感じているのかを見分けないといけないと思いました。 その一つ一つの観察が、自分を育てていくのだと思います。今自分は何を選ぶのかと。 パターンとなるのか、「私」として機能するのかです。 世の中には沢山のパターンを刺激するものがあります。 物、インターネット、SNS、様々な情報、夜遊び、それらもちゃんと選ばないと、ただパターンを刺激して終わりそうです。 楽しそうに見えるものこそ、パターンを刺激し、パターンを満たすのだと思います。 そのあたりを見る目

渡邊 優
11月1日
複雑に絡み合った糸
先日の先生とのセッションから、パターンが複雑に絡み合った糸を解く作業をしています。 本来一つのパターンであったはずが、そのパターンのケアを怠ったため更にパターンを生み、そんな複数の絡み合ったパターンのケアしています。 そこで以前から先生より指摘のあった、権威や地位には私は弱いところがあるので、権威や地位には価値がある、というパターンをケアしています。 権威や地位に弱い、それは社会的立場です。役職や社長という立場、所属している団体が大きければ大きいほど偉いと感じますし、先生や医者や学歴、そのような地位を持っている人に対しても偉いと感じます。そして自分と比べ、自分を卑下するというものです。このパターンが強いと他人を対等に見ません。相手を自分より上とみなしたり、また逆にパターンから見た自分よりも地位の低い人に対しては、今度は自分を上だとみなします。無言の差別にも繋がるのです。 そしてこの地位や権威にはなぜ価値があるかですが、 なぜならば、皆んなが一目置くし、その人の言うことに従うし、誰からも認められると、あなたは思っているからなんだね。というものです。

渡邊 優
10月31日


タイムスリップ
昨日一昨日と京都奈良に行ってきました。千年前にタイムスリップした古都巡りです。 中学生のとき、修学旅行で一度行っていますが、当時の記憶は全くなく、一体何を見て来たんだ自分は?と違う意味で驚かされました。もしかしたら私が死んだ後も、自分は一体何しに地球へ、今生に行ったんだ?と後から気づかないよう、今をしっかり生きようと改めて思ったのが、京都での最初の印象でした。 ツアーの方から色々教えて頂いた中で印象的だったのが、仏像や銅像は見学するものではなく、祈りを捧げるものだということです。ただ見るだけではなく、是非千年前の時の霊能者たちが作った仏像で祈りを捧げて、その祈りを天に上げて下さいというものでした。 当時そこで何を学び、何に気づき、どんな思いで修行僧たちが祈りを捧げて来たのか。そんな想像を膨らませながら私も同じ仏像の前で祈りを捧げ、今生をしっかり生きると誓ってきたのです。 今も昔も変わらずにそこにあるもの。 それは私たちの内にある、本当の「私」それだけだと思います。 それを求め、それで生き、そして天と共にある。あらゆる宗教も教えもその一点に集約され

渡邊 優
10月30日
それをどう活かすのか
パターンに気づいてケアしたり、もしくは何かの意味に気づいた際、そこで終わりではなく、それを自分にどう活かすのか、実はこれがとっても大事だと思いました。 生きるとは選択の連続で、無意識でいると今まで通りのパターンの反応で選択をしてしまいます。(私も本当によくある)そこを変えるのがパターンに気づくことであり、様々なワークだと思います。そして真に大事なのが、実践編だと思いました。 外に出ると人との関わりは避けられません。そこでパターンが騒ぐ、その時に気づいて何を選ぶのか、ここが試されるところだと思います。以前は反応的な対応ばかりで、それこそ人は変えられないと諦めていたところですが、最近はこここそしっかりやろうと思っています。以前と違うのはこのやりたいと思うところです。変えたい、変わりたい、これは実践の場で磨かれるものだと思いました。 そして姿勢が受け身でいると保身のパターンが騒ぐので、そこは積極的に関わっていきたいところ。

渡邊 優
10月27日
自信とは・・
自信があるとはどういうことだろう・・・ 私の場合、他人からの評価が悪いと傷つくというパターンがあります。と同時にパターンは自信をなくしたとも言います。ということは、自信があったということです。自分の現実はできていなくて、わかっていないにも関わらず、パターンは自信を持っていたということです。で、他人からあれこれ言われたり、本当の自分という現実を突きつけられると、パターンは自信をなくすのだと思いました。 ということはパターンの持つ自信とは、幻想やファンタジーの世界で勝手に自分像を築き上げているだけのことだと思います。 これでやっと腑に落ちました。 自信をなくすとということは、自信があったからであり、自信があるから傷つくのだと思います。そしてそれは、プライドという自信で構成されているのだと思います。 プライドが幻想の自信を抱いて、ある意味自分を守る、そうやって傷つかない方に行こうとしているのだと思いました。 そう思うとパターンから目を覚ますのは大事なことで、そこからが本当の始まりのような気がします。 自信は必要ない、以前そう教わった気がします。確かに「

渡邊 優
10月26日
それは誰が?
それは誰が聞いているのか?誰が言っているのか?誰がやっているのか?誰が欲しがっているのか、誰が食べたがっているのかなど、パターンで思考し、パターンで行動し、パターン通りに生きてきた私は最近この辺りを大分気にしています。それほどパターンが染み付いているからです。 それは決して悪いことではなく、自分に気づくための肥やしであり、正しい道だと思いました。 パターンとは悪ではなく、私を育てるための存在かもしれません。そう考えるとあっていいしあって欲しいものです。 語りかけの中にある「あたなはそのままそこにいていいからね」この言葉の慈悲が今更ながらにわかった気がしました。以前先生から言われた「あなたの中にあるものでいけないものは一つもない」それは、裁くものは一つもないという意味だったのだと思います。 それは誰が?と問いながら、パターンを裁かずに共にいようと思います。 それだけでパターンは静かになる気がします。

渡邊 優
10月24日
自分との小さな約束
日記を書くこと、ワークをやること、本を読むこと、ピアノの練習をすることなど、自分との小さな約束を守ることは大事なことだと思います。特に私は中学の時国語が1だったので、文章を書いて人に見せるなど言語道断とすら思っていました。特に最初の頃は毎日が苦痛で、蕁麻疹が出たほどです。それでも自分との小さな約束を守ったお陰で、国語が1でもなんとかなるもんだと小さな喜びがあります。それは自分を肯定できる嬉しさです。コンプレックスがコンプレックスじゃなくなるという感覚です。 そうして自分との小さな約束を守った分だけ、小さく自分を褒めてもいいと思いました。 その数だけ自分を少し成長させ、少し前に進め、少し自分を信じる事ができるようになります。少し大人にさせるのです。 そしてこの約束は、絶対にしないことも大切だと思います。 体調が悪いときもあれば、予定があってできない日もある、そんな柔軟性も絶対にしないことで育まれます。 大切なことは、自分との約束を大きくしないことです。大きくすると執着に変わり、守れなかった時に罪悪感へと変わります。また守った時には俺すごいとなり、パ

渡邊 優
10月23日
嫌われる勇気
もう何年も前に一度読んだことがある「アドラーの嫌われる勇気」という本をメルカリで買い直して読み直しています。改めて読んで思ったのは、当時の私はなんとも腑に落ちない内容で納得できずにいましたが、今はもの凄く腑に落ちる内容で自分にストンと落ちてきます。 その内容はいうのは、自分は変われない、変わりたくても変われない、なぜなら親の育て方が間違っていたから、育ちが悪いから、環境が、学校が、上司がと、外部要因のせいで自分はこうなった。だから変えたくても変えられない、というのがこの本の主人公の青年の意見です。しかし哲人の言うアドラー心理学はその意見に真っ向から反対し、それは自分で選んでいるのだと言います。 なぜならば、真の目的は自分の問題を外部要因のせいにして、自分は悪くない、だから仕方ないのだというのが真の目的だと。その考え方に対して当時の私は納得できずにいました。私も同じように誰かの、何かのせいにしていたからです。 しかし今これを改めて読むと、これこそパターンであり、プライドであるのがよくわかります。 外部要因のせいにしておけば自分は傷つかなくて済む、と

渡邊 優
10月22日
何度でも
最近、あっ、これもパターンだ、この思考もパターンだ、こう見ているのもパターンだと、至る所で自分がパターンだらけなのがわかります。気づいたらその都度意識して我に帰る感覚を持つのですが、これほどパターンだらけとは思っていませんでした。 それだけ自分を見ているとも言えますが、それだけ今まで気づいていなかったとも言えます。 ショック、というほどでもないのですが、具に見ていくとあらゆる自分をパターンが支配していたのだと驚きました。そしてこれからですが、何度でも気づき続けるしかないのだと思いました。 パターンの思考に気づき、パターンの思いに気づき、パターンの行動に気づく。以前は気を張っていなと自分に気づけないと思っていましたが、一度気づいてしまうと気を張るというよりも、意志力を保つ、といった方がいいのかも知れません。しかもパターンでいるいよりもずっとリアルです。 人の意識とは面白いものです。以前はパターンでいた方が楽でいたのでしょうが、今ではその違和感に気づき思いっきり方向転換を図っています。 何度でも何度でもトライアンドエラーで続けていきます。

渡邊 優
10月21日
まずは自分から。
「自分はどう在りたいのか?」 最初この問いを投げかけられた時、後から苦しさが込み上げてきました。なんだか今の自分ではダメだと言われているような、否定されているような苦しさです。もちろんこれはパターンで、語りかけをした後もう一度この問いを考えました。 そして自分は「そのままを受け止められる自分で在りたい」そう思ったのです。ということは、この苦しみさえもそのままを受け止めようと。寧ろパターンの苦しみこそ遠ざけるものではなく、変えようとするものでもない、そのままを受け止めていこうと。 そのままを受け止めるというと、他人のそのままを受け止めるイメージをしますが、まずは自分だと思いました。自分を受け止められるからこそ、他人も受け止められるのだと思います。 パターンの持つ意識は被害者意識です。 しかし「自分はどう在りたいのか?」は創造者意識です。全く逆の意識だと思いました。 自分を創造するとは、今までの自分の在り方を変え、新たな在り方へと変化させていくとこだと思いました。それもまずは自分から。

渡邊 優
10月20日
どちら側か・・
語りかけワークをしていて、自分はどちら側なのか?と最近意識をしています。 語りかけで涙が出る時それは、パターン側に立っていると思っています。パターンがやっと分かってくれた、やっと気づいてくれた、受け入れてもらえた、それらの思いから涙が出るのだと思います。 そして「私」側からの視線だと、パターンを救えた、パターンが少し安心してくれてよかったと、親心の心持ちでパターンを受け止めます。この意識の違いがとても大事だと思いました。 私は当初ずっとパターン側でした。それが心地よかったし、パターンが救われた感があったのです(実際は私がパターンでいたので救われた気がして心地よかったのです)世間でもそれが浄化や癒しだと言われています。しかし「私」側の視点を体験すると、本来の在り方が違うのがよくわかりました。 そして、パターンを救えば救う意識であるほど「私」側の受容や愛が育つのだと思います。そしてその意識も拡大するのだと思いました。どちら側の意識なのか、意識こそが全て。

渡邊 優
10月18日
どうありたいのか?
先生からの問いもあり、ここのところ自分はどう在りたいのか?とよく考えます。 今朝は、一人で生きていける自分でありたい、と秋空を見ながら思いました。そこには天晴れとした清々しさがあり、誰かに頼るのでもなく、誰かに求めるでもない、何かで満たすのでもなく、必要なものは自分の内で持って、自分を頼りにして人生を歩む自分の姿です。それは自分に嘘がなく、力みもない、たおやかで伸び伸びしている自分です。 きっと在りたい自分がハッキリしてくればそれがバックボーンとなり、何かでぶれてもまたそこに戻る事ができるのだと思います。それは指針となるもの、だから自分はどう在りたいのか?の問いは大事なのだと思いました。きっとそこには正解はなく、自分にだけわかる腑に落ちた理解です。こう在りたいのだな、自分は・・・という腹落ちするもの。それも時がつれて変わるのだと思います。 自分はどう在りたいのか?もっと自分を観察しながら考えたいと思います。

渡邊 優
10月17日
価値化しない
色々なことを価値化しない、ということが大切だと思いました。 パターンは自分に価値がないと思っているので、あらゆるところに価値を求めます。 着る服や家、車や付き合う彼女や彼氏、仕事や勤め先など、そういった外側のものから内側のもの、自分の在り方や考え方、気づいたこと、知ったこと、分かったこと、知識や手に入れた情報まで、あらゆるところにパターンは価値付けをし、価値ある自分を求めます。 しかし本来はもっと純粋な動機でいいのではないか?と思いました。 価値があるからではなく、やりたいからやる、知りたいから知る、学びたいから学ぶ、考えたいから考える、乗りたいから乗る、食べたいから食べてみるなど、純粋な興味や好奇心で行い、後に残るのは充実感です。そこに価値をつけてしまうと突如優越感に変わります。 自分はどうありたいのか?と、ここ数日考えているテーマですが、純粋でありたい、と同時に、意識的でありたい。そんなことを思っています。

渡邊 優
10月16日
自分はダメだとか・・
私は他人からあれこれ言われたくない、というパターンが強いです。 そしてあれこれ言われたことが事実であると、身に突き刺さる想いに駆られ「自分はダメなんだ」というパターンが発動します。 しかしよくよくそのパターンを見ていくと、自分はできている(はず)、分かっている(はず)だと思っているから、事実を突きつけられた時、「自分はダメなんだ」と思う事がわかります。 それはきっと、自分が何者なのかを分かっていないからだと思いました。現実の自分を知らないために、パターンができる(価値がある)できない(価値がない)と自分を評価して苦しむのだと思います。それはつまり、自分の事実を知らない、無知だからだと思います。 無知である事実。それはいけないものでも、価値のないものでもないのかも知れません。 寧ろそれをちゃんと受け入れた所からが、先に進めるのだと思いました。

渡邊 優
10月15日
気づきとか知るとか
昨日は先生とのセッションでした。 そこで教えて頂いたことが何点かありました。自分の中での気づきとか、分かったことなど、知れば知るほど自分は無知だと気づいていくというものです。 私はどうも気づいたことや分かったことに対して、そこに価値づけをして「気づいた自分はすごい」とか「成長したい」とか「優れていたい」というパターンでいることがわかりました。そこをちゃんと見抜きなさいということです。 本来自分への気づきや理解とは、必要だから与えられるものです。ということは、実は何も気づいていなくて、何にも分かっていないということです。その自分に気づいていなかった・・・ もっともっとよく自分を見て、深く熟考する必要があると思いました。 知れば知るほど自分は何も知らない、分かっていない、腑に落ちる気がします。

渡邊 優
10月14日
現実を生きる
現実をちゃんと見ていきたい、と最近思います。 あれこれ考えるよりも(思考の殆どがパターン)、過去や未来のことを憂うよりも、今の現実をちゃんと見て生きる。それが大事なのだと思います。そしてそれが、今ここにある、という意識だと思います。...

渡邊 優
10月13日
義理
昨日は八王子の叔父の家に父と二人で行ってきました。 先祖の墓参りをして、叔父夫婦と食事をし、小学生の頃、父方の実家、この叔父の家に毎年の夏休みを一週間ほど遊びにきて、叔父の子供達、従兄弟とおもいっきり遊んだのを思い出しました。...

渡邊 優
10月12日
リセット
パターンに引っかかって悶々とした時、それがパターンと知って語りかけをする。 すると自分の元いた場所に戻れる気がします。パターンという幻想から目が覚める瞬間です。これは知っているのと知らないのでは大違いだと思いました。自分で自分をリセットすることができる有り難さです。それはど...

渡邊 優
10月10日
足るを知る
「吾唯足知」 この言葉を最近知ってよく考えます。もう随分昔の人が言った言葉ですが、その人たちが生きていた時代は今よりももっと厳しい時代だったと思います。何もかが今よりも貧しい時代にこういう考え方があり、その人たちから見たら自分はどう映るのだろうとです。自分を見ていても、足る...

渡邊 優
10月9日
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