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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 3 時間前
  • 読了時間: 1分

私のパターンである「間違えたら生きられない」というものですが、このパターンができた経緯を考えていました。それはまだ私が幼い頃、自分が間違えたことで父から怒られ、折檻にあい、それの繰り返しで「間違えたら生きらえない」というパターンが生まれたことでした。


それは一人じゃまだ生きられない自分を守るために、生かすためにできたものばかりです。親に見捨てられないように、嫌われないように、間違えないように、失敗しないように、怒られないようにと顔色を伺い、自分を守るため、自分を生かすために作ったパターンがほとんどです。


そう考えるとパターンの見方が変わってきます。それは、幼い頃に自分を守ってくれたものたちです。子供ながらに必死に守ってきたのです。この私という個をです。

そう思うとパターンとは裁かれる対象ではなく、愛すべきものたちだと思いました。ということはパターンとは愛されるためにあり、またパターンはその愛を教えてくれる存在だとも思いました。


パターンから学ぶことはまだまだありそうです。

そしてもう一つ、私はどうありたいのかも、ヒントを与えてくれそうです。

そうやってパターンのルーツを考えるのも面白い。

 
 
 

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