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バドミントン
昨夜は友人に誘われて、近くの体育館でバドミントンをしてきました。 もう何十年もやっていないバドミントン、軽く体を動かすつもりで行ったのですが、とんでもない、本気の集まりのバドミントンサークルだったのです。 ルールもわからずラケットの持ち方から教えてもらうのですが、その前に、試合でミスをしたら「ごめんなさい」とダブルスのペアの相手に謝るのがマナーだと教わりました。今夜は謝ってばかりになりそうだなと思いつつ試合開始、案の定空振りが多く、足を引っ張ってばかりいて「ごめんなさい」の連発でした。 そして1試合10分を12試合。練習も入れてみっちり3時間バドミントンをしました。(足ガクガク)そして最後にサークル長から私に、今日のメンバーはベテランばかりで楽しめなかっただろうから、今度は初心者の多いところのサークルがいいとアドバイスをもらいました。 ここでパターンが反応です。 自分が選ばれなかったような、遠回しに足手まといと言われているような気がしたのです。 現実は、サークル長からのただのアドバイスです。そして私の現実も、ただの初心者です。この現実を知ることが

渡邊 優
5月26日
弱さとプライドはセット
自分は弱い、というパターンへの語りかけをしていて、思ったことがあります。 私の場合、弱さとプライドがセットだとです。 全く無意識でしたが、弱さを隠すため、バレないために、プライドという鎧を何重にも着込んで、自分を大きく見せたり、ハッタリをかましていたわけです。そして弱いゆえ、力のありそうな人へ忖度し、持ち上げたり、顔色を伺って大きな傘の下で自分を守ってもらおうとしていたのです。しかしプライドもあるので、内面は安心したり悔しかったりと、何とも忙しい限りです。 これが、パターンで生きていたということです。 私の場合、人生のほとんどをパターンで生きてきました。パターンで生きている自覚すらなかったですし、何が問題なのかすらわかりませんでした。 しかし、自分を知っていくうちに、本当にそれでいいのか?と思うようになりました。 パターンという、依存、不安、恐れ、弱さ、それらでこの先も生きていくのか? それが本当に自分のやりたいことなのか?とです。 現実の自分を知るというのは、パターンが求める理想の自分を知る訳ではありません。寧ろその逆で、自分が思っていた自分で

渡邊 優
5月25日
ただやればいい
黒パターンから新たな白パターンを選び、行動する際、ただやればいい、ということを教わりました。 あれこれ考えるのはパターンなので、そちらにいかずに、ただやればいい、というものです。 あれこれ考えるのはパターン。自分はどうしてなんだろう、なんでそう思うのだろう。 散々語りかけをやった後ならもうわかると思います。それ以上考えるのは、やらない言い訳を探しているか、できない理由をパターンが求めているのだとです。 きっと黒パターンは変わって欲しくないのだと思います。 なぜなら、自分が消えてしまうと思うからではないでしょうか。 パターン寄りにならずに、ただやればいい。あまりにシンプルで、拍子抜けするほど的を得ていると思いました。もしかしたら、これくらい物事はシンプルなんじゃないかと思います。 なぜなら、結局は、やるかやらないかだけだからです。 やるから開ける、やり続けるから変わるのだと思います。 ただやればいい、練習からでも、自分を鍛えるためにやっていきます。

渡邊 優
5月24日
世界は贈与でできている
とても良い本でしたので、今日はその本を紹介しようと思います。 「世界は贈与でできている」 この本は資本主義の隙間にある、お金では買えない、普段私たちが気づいていない、でも実は与えられていた(贈与されていた)目に見えないものについて書かれています。 資本主義によくあるWIN WINや、ギブアンドテイクはあくまで交換です。しかし贈与とは、交換するのではなく、与えるだけの、与えっぱなしのものです。 その代表的なものが、親の愛情です。親の苦労子知らずとは、本来、親の苦労を子供が知ってしまったら、子供は耐えられない、だから知らなくていい、そういう意味だと著者はいいます。 贈与の中でも代表的なものがサンタクロースです。クリスマスにプレゼントを貰った子供は、誰に貰ったのかわからないので、返礼が必要ありません。しかもサンタクロースが実は親だったと気づいた時は、子は大人です。これが贈与だといいます。時間差で気づくもの、しかも、意識しないと気づけないもの、それが贈与です。 そして著者はいいます。 私たちの周りには贈与で溢れているとです。 空気も、水も、人間には作るこ

渡邊 優
5月22日
本当の問題
一人では生きられない、という自分の大きなパターンを見ていて思うことがあります。 それは、他人に精神的に自分を支えて欲しい、守って欲しい、わかって欲しい、愛して欲しい、満たして欲しい――そういった自分の渇きを、他人の言動によって満たそうとしている、ということです。 そして、それが他人への甘えに繋がっているのだと思います。 実際に、彼女や友人など、甘えさせてくれそうな相手を見つけて、自分の未消化の問題を満たしてもらおうとしても、最初は紛れるのです。しかし、時間が経つとその渇きはまた戻ってきました。 同時に気づいたのは、相手もまた、似たような渇きを抱えていたということです。(互いの欠乏が引き合っていたのかもしれません) つまり、満たしてくれない他人に問題があるのではなく、自分で自分の面倒を見られない自分に問題がある、ということです。 だからこそ、本当に向き合うべきなのは、「誰が満たしてくれるのか」ではなく、「なぜ自分は、そこまで他人に満たしてもらおうとするのか」なのだと思います。 本当の問題に目を向ける、大事なことだと思いました。 それでいいのか自分?

渡邊 優
5月21日
痛みあっての成長
痛みあっての成長。 先日、先生から教わった言葉です。 実際に自分のことを考えても、心に痛みがあったときは、一回り成長した場合が多いです。 ここでの痛みとは、やらかした自分の動機に気づき、その愚かさやセコさ、傲慢さや狡さを知って、ショックを受けるというものです。自分はこんな人間だったのだとです。 確かにショックにはなるのですが、その自分に気づかずに行けば、私は変わるチャンスも持てずに愚かなままです。 ということは、自分を知ったり、自分に気づいていくということは、自分を変えるチャンスにもなるということです。であれば、痛みは歓迎できるものかもしれません。私はまだまだその域にはいっていませんが、体験として、きっとそうなんだと思います。 そして痛みの真中でも、この痛みが成長へと繋がると冷静に見れるところが、私と先生の大きな違いだと思いました。 今は目の前のことを真剣にやっていこうと思います。

渡邊 優
5月20日
自分の課題
今日は先生との個人セッションでした。 今日のセッションでは自分の課題が如実にわかりました。それは自分の中の強さを育むというものです。 他人が怖いのも、他人の評価が怖いのも、笑って誤魔化すのも、他人によって態度が変わるのも、自分が傷つきたくなかったり、怒らせたくなかったりと、全て自分の弱さが原因です。保身という殻から出るのが怖いのだと思いました。 そして本当の強さとは何なのか、その辺りも自分の課題としてしっかり考えようと思います。 そして実践です。一番大事な部分だと思います。 実践については、道場仲間の胸を借りていこうと思います。 開示含めて、暫く取り組んでいきます。

渡邊 優
5月19日
笑って誤魔化す
気まずいとき、やらかしたとき、自分でもダメだな〜と思ったとき、逃げたいときなど、笑って誤魔化すことがあると、自分を見ていて思いました。パターン的には、波風を立てたくない、ダメだと思われたくない、突っ込まれたくない、怒られたくない、などです。しかしこれらを笑って誤魔化してしまうと、自分の課題も同時に誤魔化してしまう気がします。 自分を誤魔化さずにしっかりと向き合うとは、波風が立ってもいい、ダメだと思われてもいい、突っ込まれっていい、怒られてもいい、それでも自分のパターンとしっかり向き合って、自分の問題として引きとること、それが、笑って誤魔化さない在り方だと思いました。 日常の中にある、笑って誤魔化す。 これを減らしていこうと思います。それには、どんな自分の声も誤魔化さずに見ていくことが大事だと思いました。笑って誤魔化さずに、真剣でありたい。

渡邊 優
5月18日
お祝い
昨日は私が通っている魂の道場の先生の、古希のお祝いに参加しました。 還暦に古希、傘寿とありますが、このようなお祝いというのは、感謝を伝えるためにあるのだと思いました。 昔からある風習や慣わしには、こういった意味が込められているのだと思います。 それが、お世話になった方へのお礼です。 私は先生から数えられないほど沢山のことを学びましたが、その中でも一番魂に響いているのが、人間の生き方というものです。 義理を忘れるな、ケジメはつけろ、ズルはするな、正直であれ、卑怯はやめろ、など、まだまだありますが、その一つ一つがどういうことなのかを、先生の背中を見て、そしてパターンを通して学んでいる気がします。パターンでいるときは、自分が得することや、自分が満たされることを求めます。ですがそうではない本来の人間のあり方、それが私には、日本人の生き方を教えてもらっている気がするのです。 そこに気づき、それを生きる。 実は魂にとってはとても意味のあることのように思います。 先生にはここからさらに長生きしてもらって、まだまだ沢山のことを吸収したいと思います。...

渡邊 優
5月17日
父倒れる
昨日は朝に母から連絡があり、救急車で父が運ばれたと連絡がありました。 目眩と吐き気が酷く、血圧が突然高くなって、救急車で運ばれたそうです。 去年あたりから父は極端に体力がなくなり、そろそろお迎えが来る頃かもと思っていた矢先でした。 若いころは見た目もよく破天荒な父でしたが、晩節を汚すことなく、寧ろ歳をとってからの方が人間味が出てきて、周りからは好かれる傾向にありました。 私は父が倒れて初めて、自分の立場を考えました。父に何ができるか、どんな恩返しができるかなどです。私としては、少しでも軽くなって向こうに帰ってもらいたい、それが、父の魂にとって、一番のことのように思います。 私のパターンとしては、父を恨んでいた時期が確かにありました。 恨み過ぎて辛かったので、語りかけワークを本意でやり出したのが、私の最初のワークのとっかかりです。そう考えると、全てが線で繋がっているように思います。必要だったから学んで、自分を知り、パターンを知り、パターンをケアして新たな意味づけを持っていく。全て私に必要だから起こった出来事です。そのお陰で、今は良好な関係ができてい

渡邊 優
5月15日
黒パターンの行動
前回のセミナーから「他人の評価が怖い」のパターンへ毎日語りかけていますが、このパターンの大きな弊害が、他人から良い評価を得るためにあれこれ画策することだと思います。 それはご機嫌をとることや、ごまをすること、変に同調して本音を言わないこと、同調しすぎて善悪が分からなくなること、などが挙げられますが、つまりは他人中心となり、他人の言動に振り回されるということです。(他にも他人の評価が怖くて、チャレンジするのが怖かったり、失敗を恐れる傾向にあります)パターン一つでこれほどの行動に繋がります。 本来であれば自分の考えや哲学を中心に据えて、心地良い方へと選択していけばいいわけですが、パターンでの行動となるとどうしても恐怖と不安からの行動となります。 黒パターンに飲まれている時は、なかなか自分の行動がわかりませんが、冷静に考えると、なんて馬鹿なことをしてたのだろうと後から思います。 だから、黒パターンをケアする必要があるのだと思います。 そして、黒パターンではないあり方へと変化しなくてはなりません。 それは、白パターンであり、本当の「私」です。 本来の「私

渡邊 優
5月14日
一人では生きられないというパターン
私の大きなパターンの一つに「一人では生きられない」というパターンがあります。 しかもこのパターン、結構な割合で持っている方が多いです。 私はこのパターン全開でいたころ、あらゆることを他人に求めていました。 この自分を支えてくれ、分かってくれ、認めてくれ、肯定してくれ、この自分でいいと。褒めてくれ、この自分がいいと。甘えさせてくれ、安心させてくれ、なぜなら自分一人では自分を支えられないし、生きられないから。ということです。 そして結構な割合でこのパターンを持っているということは、お互いに求め合っているということです。だからおかしくなる。 強い共依存となるか、もしくは全く噛み合わないか。 そしてそれらを他人に求められるものではないということも、最近わかってきました。 それは、自分のパターンは他人には無理だ、ということを体験的に知っているからです。 そして向かう先は「一人で生きられる」ということろです。 それは、パターンの求めるものを「私」が理解という形で与えたり、厳しく接してパターンを躾けるということです。 他人には与えられない、けれど自分では与えら

渡邊 優
5月13日
自分を救えるのは自分だけ
救われたい、守ってもらいたい、愛されたい、認めてもらいたい、受け入れられたい、大事にされたい、そんなパターンの持つ、不安や恐れや怒りや寂しさを救えるのは、自分だけだと思いました。 それは、自分を救えるのは自分だけだし、自分の人生を作れるのも自分だけだと思いました。 誰かに、私のパターンの面倒を見てもらえないですし、私の人生を背負ってもらうことはできません。 それはつまり、人は一人で生きていくようにできているのだと思います。人は一人だと教わってきましたが、こういったことから、その意味が段々分かるようになりました。 どれだけパターンが、思う通りの反応を望んでも、思う通りの言葉を、共感を望んでも、本当の意味で、それを分かることはできないですし、分かち合うこともできないです。 そういう風に、自分にしかわからないことって沢山あると思うんです。 それを他人に任せようとするから、おかしくなるのだと思います。 それは思った答えと違ったり、思った反応と違ったり、望んだ結果と違ったりします。 だから不満やストレスが生じるのだと思います。 これからは益々、自分のことは

渡邊 優
5月12日
前を歩く人たち
魂の道場のセミナー、二日間が終わり、今回感じたことは、私の前には、前を歩く人が沢山いるということを、身をもって実感していました。 自分の方が上だ、負けたくない、そんな自分が強い私のパターンからすると、一見面白くない出来事のように思いますが、自分よりも確実に前を歩いている人がいて、その現実をしっかり受け止めた時、前を歩いている方達には、胸を借りて学んでいこうと思いました。 それはどういうことかと言うと、私の課題として、他人の評価が怖いというパターンがあります。それは、自己開示をするのが怖いというパターンです。こんな自分を見せたら嫌われるんじゃないか、引かれるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、そうしたら自分が傷ついてしまう。そう思い、自分を開示するのが怖いのです。 そんな私のパターンの弱さ、狡さ、卑怯さ、その話しをしていこうと思いました。 道場の仲間であれば、それを話す練習ができると思います。 道場仲間というのはきっと、こういう時のためにいる存在のように思いました。

渡邊 優
5月11日
力と強さ
昨日から魂の道場、茅ヶ崎グループセミナーに参加しています。 そこで昨日は、私の強力なパターンへの対応として、力と強さを使うことを学びました。 「あれこれ言われたくない」「思い通りじゃなきゃ嫌だ」の私のパターンは、物心ついた時から非常に強力で、何かあると常に私を支配していきました。そのパターンに対応する力が、強さになります。 パターンは暴れ馬だと教えてもらいましたが、私のパターンにはピッタリな表現で、その暴れ馬をどう調教するのかが、「私」の在り方になります。 今までは、そうだよねと、優しい母性で語りかけをしてきましたが、これからは力も交えてパターンに接していこうと思います。自分のパターンを力と強さで調教しながら、「私」の資質も育てることになります。この「私」の資質が育てられるところが、とても納得できます。なぜなら自分にできて初めて、他人にも使えるからです。 強さや厳しさは一見、傷ついたり、それで壊れたりしそうなイメージがありますが、力を使うことも時には必要で、自他を鍛えるという意味では、非常に有効な資質だと私は思っています。 私はまだパターンに対し

渡邊 優
5月8日
ゴールデンウィーク
昨日はゴールデンウィーク最終日、私の家には、鶴見から来た地元の友人5人が集まり、飲み会をしました。 実は友人達が来る前は、「人が沢山来るのは面倒だ」というパターンが反応していました。 何で面倒なのかをよく見てみると、自分がどう見られるか、比較して惨めな気持ちになるんじゃないか、ジャッジされるんじゃないかと、パターンがそう思い、面倒に感じていたのです。 きっと、この状態で友人といても気をつかって楽しくはなかったと思います。(自分がどう見られるかと気をつかって) このパターンに気づいて、新たな白パターン「もしかしたら、人が来るのは面倒だと、もう決めつけなくてもいいのかもしれない」を選んで友人達と合流しました。 すると中学生の時のように、何の気兼ねもなく、友人達と楽しく過ごすことができました。 各々仕事や家庭がある中で、このように時間を作って集まれるのは、貴重な機会だと思えたのです。 今回思ったのは、パターンは、傷つくのを極端に恐れるということです。 今回このパターンが騒いだのも、他人と関わらなければ傷つかないで済むからです。それを、面倒だとするのがパ

渡邊 優
5月7日
身をもって体験中
先日の先生の日記に、人の成長とは、恐ろしく時間がかかると書かれていました。 私もそれを身をもって体験しています。 どれくらい時間がかかるかと聞かれたら、人生が何回も必要なほど、人の本質的な変化や成長は、それくらいの時間が必要なのだと思います。それはまるで、DNAを時間をかけて書き換えるくらいの大仕事に感じます。書き換えたことないですが。。。 それほど染みついたパターンや、生まれる前から持ってきた、引き継いだパターンは強く強情だということです。そこに一つの楔を打つのが、自分はどうありたいのか、という一つの指針だと思います。 ある時から先生はよくこの言葉を使うようになりました。自分はどうありたいのかと。 問いが生まれ、初めて認識が育ちますが、きっとこの、自分はどうありありたいのかは、人によって全然違うものになると思います。 私の場合は、ちゃんと生きたい、誠実に生きたい、です。 色々な誘惑がある中、それを選び続けるのは至難の業ですが、それでもなお、それを選んでいきたいという思いが強いです。これは強くなる一方です。 時間をかけて自分を育てるというのは、今

渡邊 優
5月5日
似てる
去年から両親と旅行に行ったり、買い物に付き合ったり、病院に連れて行ったりして思うことは、自分と両親はパターンがよく似ているということです。 父のパターンを受け継いだのは、自分の方が上というパターンであったり、自分は正しい、負けたくないというパターンだったります。母からは、思い通りじゃなきゃ嫌だ、というパターンであったりします。二人の顔色を見ていると、パターンに引っかかり、顔色が変わっていくのがわかります。そこがとても似ているのだと思いました。 これは両親が悪いなどの話ではなく、そういう現実の自分がいるという理解であり、それらのパターンを引き受けていこうという覚悟です。 現実の自分を知っていくというのは、時に大変ですが、そこからが本当のスタートです。 私も以前は、何でうちの両親はこうなんだと不満を抱いていましたが、今なら分かる気がします。 そのパターンの連鎖を終わらすのが、自分の課題なんだろうとです。もちろん自分のパターンをです。 似てるからこそ、反面教師で学びになる。自分は頑張ろうと。

渡邊 優
5月4日


引退
昨日は、父、兄、甥っ子と私の4人で、真鯛釣りに行ってきました。 父は足腰が弱り、これが最後の船釣りになるだろうから、子供と孫の4人で行きたいとリクエストを貰い、兄が釣船を貸し切って実現した企画でした。 父が兄に釣りを教え、私が兄に釣りを教えてもらい、かれこれ50年近く釣りはしてきました。 家が川の側であったり、海の近くであったため、釣りはレジャーというよりも、生活の一部のように私たちの近くにいつもありました。 釣りを交えてコミュニュケーションが生まれ、あーでもないこーでもないと、いかにして釣るかなど、男同士の会話が盛り上がったのを覚えています。今年80歳になる父の最後の釣り。 本人はめちゃくちゃ嬉しかったらしく、満足した表情で最後の釣りを終えました。 釣果は4人で真鯛が12匹。これ以上クーラーボックスに入らないので10時に早上がりをして海を後にしました。 歳を重ねるというのはこうして何かを一つ一つ諦めたり、引退していくことだと、父の後ろ姿を見て教えてもらった気がします。お疲れ様でした。

渡邊 優
5月3日
完璧主義
以前の私は、もっともっと完璧主義であったな・・・と思い返していました。 自分に求める完璧、自分が完璧にできないとイライラして憤慨しストレスになる。と同時に他人にもそれを求めていました。そしてその完璧主義の正体、パターンは何であったのかを考えていました。 完璧を求めるのは「全て思い通りにしたい、全て思い通りじゃなきゃ嫌だ」というパターンだと思います。思い通りの自分、思い通りの他人、思い通りの現実、そこには、パターンの描く完璧な自分と、他人と、現実があります。 そしてパターンの求める完璧には、たとえ完璧にできたとしても、在れたとしても、その先には際限のないもっともっとがあると思いました。無限地獄です。 大切なのは、完璧よりもベストを尽くす在り方だと思います。 今日一日、ベストを尽くす。その日々の積み重ねが、人間を創るのだと思います。 完璧よりも、ベストを尽くす。そこには、柔軟性も育つように思いました。

渡邊 優
5月1日
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