top of page
プライド
自分のパターンを見ていると、そして物心ついた頃からの自分を思い返してみても、自分の課題はプライドなのだと感じます。 言われたくない。自分は分かっている、できていると思いたい。認められたい。 振り返ると、多くの反応は「プライドが満たされるか」「プライドが傷つかないか」のどちらかで動いていたように思います。 そして今思えば、それもまた、自分自身が選んできた課題だったのだと思います。遥か昔に自らが用意したセッティングだったのだと。 一方で、「このままの自分ではダメだ」というパターンも、今でもよく動きます。 それは、いつまでも超えられない自分。同じ課題を何年もやっている自分。周りと比べて劣っている自分。そうした声が、何度も浮かんできます。そんな思い通りにならない自分に悶々としているとき、これもプライドなんだなと感じます。 そうして私はどうありたいのかと考えると、それらのパターンがあってもいいと、否定せずに見ていられる自分でありたいと思うのです。そのままを受け止められる自分でありたいと。 まずは自分のパターンから練習です。

渡邊 優
1月17日
分かっているパターン
自分は分かっている、できている、というパターンの構造を知ってから、私は自分の愚かさを痛感していました。それは、ただパターンの物語の中で生き、パターンを満たし満足させていただけだったからです。 それらはパターンにとって、とても気もちのいいものです。 なぜならそこには、「自分は学んできた」「自分は自分を見てきた」 「他人よりも分かっている、できている、知っている、気づいている」という、他者との比較の中で生まれる優越感があるからです。 そして何より、 その自分に気づいていなかったことに、反省しました。 自分を見て、パターン気づいて生きていくというのは、本当に時間のかかる作業だと感じています。 けれど、こうしてまた一つ学び、パターンから降りる作業ができるのも、今は素直に良かったと思えます。なぜならそれは、自分の在り方を変えていくことへの確かな動機となっているからです。 実は驚くほど単純なことだったのに、そこに気付けないほど、「分かっている自分」をパターンは守りたかったのだと思いました。それはプライドとも言えるし、保身とも言える、私自身の課題です。

渡邊 優
1月16日
分かってないから
先日道場仲間の Mさんのブログ を読んで、 「自分はわかっている」「自分はできている」なども、何もわかってないからそういうことを思えてしまう。 とても分かりやすい説明で、私は、自分が分かっていないから分かった気になれていた、ということがやっとわかりました。「物事の理が分かっていない」というのはこういうことなんだと気付かされました。目の覚める じゃあ分かっていることとは何だろうと考えると、それはあくまでも、自分が経験したことまでなんだと思いました。だから、90%の物事を知らずに死んでいく、ということに繋がるのだと思いました。 自分が気づいていなことを仲間のブログから教えてもらう。これも、自分の分かっていないことです。 謙虚さというにはきっと、本当の意味で、自分を歪みなくちゃんと見れるからなんだろうと思いました。 分かっていない自分をちゃんと認め、受け入れられる自分でありたいです。

渡邊 優
1月15日
靖国神社
昨日は靖国神社にお参りに行ってきました。 私はこの歳になるまで、実は一度も靖国神社に行ったことがありませんでした。 靖国神社の由来も、靖国で会おうという意味も、靖国神社じゃなければいけない理由も、何も分かっていなかったのです。そして、洗脳の怖さもです。 祖国の為に死ぬのは喜ばしいこと、それは英雄だと刷り込まれ、思い込み、信念となっていく。これもパターンだと思いました。 祖国のために戦ってくれた戦没者達に感謝では言い表せない感謝を述べ、明治維新から続く歴史を博物館で拝見しました。そこには先の大戦で亡くなった方達の沢山の写真と、妻や子供達、家族に宛てた手紙と、沢山の遺書がありました。当時の心情が伺えます。それは戦士ではなく、一人の人間としての想いがです。 妻に会いたい、子供達に会いたい、子供達の成長を見守りたい、そんな当たり前の思いと未練、それらを真に受け止めて、最後の手紙で皆感謝を述べていました。怖かったでしょうし、不安だったと思います。それでも行かざる負えない状況、何とも言えません。 このようなことを二度と起こさない為にも、パターンで生きないこと

渡邊 優
1月14日
姿勢
姿勢について考えていました。 背筋を伸ばす姿勢もそうですが、物事に対する姿勢をです。 それは学ぶ姿勢、聞く姿勢、言う伝える姿勢、向き合う姿勢、その全てに動機があって、どんな動機でそれをするのかをです。私の場合、プライド関係や言われたくないなどのパターンが強いので、そのパターンが発動するとなかなか素直に飲み込めないという問題が生じます。だからこの姿勢という、そもそもの動機をしっかり持ちたいと思いました。 きっとこの姿勢はあらゆることに繋がっていると思います。 素直に全てが聞けたら、素直に受け止められたら、素直に言えたら、素直に動けたら、そんなパターンを凌ぐ大きな動機、それが自分を前に進める推進力になるのだろうと思いました。 それは全てにおいての、生きる姿勢に繋がるとも思います。 そんな自分の姿勢を正していきたい、そう思うのです。

渡邊 優
1月13日
小さなパターン
今回のグループで学んだ、小さなパターンにも目を向けるというもの。 読み物などからパターンが反応した際に、その声にきちんと耳を傾けるというものです。 今の自分にはちょっと無理かもとか、いや、それはまだいいとか、これはまだ手放したくないなどのパターンの思い、そんな小さな声に耳を傾けることでわかる今の自分。それって、とても豊かなことだと思いました。 自分を見て知り、成長の糧にしていく。それは今まで私の知る豊かさとは全く次元の違う豊かさだと思いました。私の知る豊かさとは、お金や時間や物、はたまた立場や地位やそれで得られる満足感でした。しかし自分を育てる豊かさは、内面が充実したり、自分を好きになれたり、また時には嫌になったりしながらも、それすらも自分を育てる糧にして、自分の内面という精神性を育てる行為そのものです。 それができる、といういことが、とても豊かな在り方だと思いました。下手をしたら一生出会わないかもしれない豊かさです。それを与えられたことに感謝しながら、今日もパターンの思いに耳を傾けていこうと思います。

渡邊 優
1月11日
自分は分かっている・・・
久々にグループに出ると、今の自分がよくわかります。 人の話の最中に自分のことを考えていてちゃんと話を聞いていなかったなど、それもパターンでいたなど、今の自分を自覚する場面が多々ありました。 そして何よりも「自分は分かっている」というパターンです。 それは、分かっているから言われたくないにも通じます。 今年は学ぶ姿勢をしっかり持ちたいので、自分は何も分かっていないをしっかり腑に落としてあらゆることを学んでいきたいと思います。 今日はこれから二日目です。 しっかりと自分を見ながら参加してきます。

渡邊 優
1月9日
重心とか位置
パターンでいる時私は、重心が他人(外)になっているのがわかります。 それは、他人からの評価や視線、どう見られるかなど、自分をよく見せようとか、賞賛が欲しいなどの他人への重心(依存)です。 しかし「私」はどうありたいのかを考えると、そこでは重心が他人から自分に変わります。 自分の在り方という中心に重心が戻るのです。それは他人からではなく、自分で自分を認められる自分でありたいとか、襟を正したいとか、誠実でいたい、逃げずにいたい、強さを持ちたい、自分を理解できる自分でありたい、そのままを受け止められる自分ありたいなど、できない自分も含めて引き受けられる自分でありたいという、一見とても地味な在り方です。けれどこの地味さこそが他人に重心を置かない在り方だと思いました。 人の在り方というのは、本来そう在るのが自然なのかもしれないと思います。 自分に目線と重心を戻すこと。それは評価を得るためではなく、「私」として生きるための最低限の姿勢なのだと思いました。 今日はこれから1年ぶりの茅ヶ崎グループのセミナーです。 緊張もありながら、そして何よりも自分を見ながら学

渡邊 優
1月8日
自覚
自覚を持つ、ということが最近とても大事に感じています。 それは 今この瞬間、自分がどのパターンが反応してそれに気づき、何を選ぶのかだと思います。 パターンでいる時私は、自分に対して自覚を持つことは殆どありませんでした。 寧ろ自分はできている、分かっているとさえ思っていたのです。(何を根拠に!) またパターンが喜ぶことやパターンが満たされることを求め、パターンが嫌なことはしない、そんなパターン本意の在り方だったと思います。 他人を見ていると、「あ、この人は今、自覚がない状態だな」と感じることがあります。 けれどその視線を自分に戻したとき、全く同じことをしていた自分に気づいて、言葉を失いました。 だからこそ今改めて自覚を持つことの大切さを痛感しています。 日々の パターンの反応の中で何度も選び直していくもの、それが自覚なのだと思いました。 そしてそもそもまだ私の気づいていない、自覚していないパターンが多々あると思います。その一つ一つにちゃんと気づいて、自覚していくことを大事にしていきたいと感じました。

渡邊 優
1月7日
今年もこれ
昨日は年初めのピアノのレッスンがありました。 そこで反応したパターン、それが、言われたくないというものです。 一生懸命練習してきたから言われたくない、最後までやり切れたから言われたくない、言われた課題もこなしたから言われたくない・・・・そんなパターンの叫びです。反射的に反応するパターン、今年もしっかり向き合っていきます。 そしてそもそもレッスンというものを考えました。 レッスン + 教えを受ける、技術の習得、姿勢を学ぶ、アドバイスをもらう、練習、稽古、成長する 0 ただ一つの事象 ー あれこれ言われる、指摘される、ダメ出し、注意、怒られる、否定される マイナスの意味づけを見ると、パターンで受け取っているのがわかります。そしてプラスの意味づけでは、そもそもレッスンや学びというものは言われて当然であり、だからこそ学びになり、それは寧ろ自分の成長につながるというものです。だからレッスンなのだなと思いました。 意味づけの更新と、パターンのケア、今年も基本をしっかりです。

渡邊 優
1月6日
実家
久しぶりの日記です。 年末年始はほぼ実家にいました。 80歳を迎えた両親は、今までできたことが徐々にできなくなり、自分に憤りを感じたり、イライラしたり、はたまた子供返りをする姿を見ると、歳をとるということがどういうことか見せて貰っている気がします。それもパターンが子供の頃に貰えなかったもの(愛情)を欲しがるように私に甘える両親には、何故か理解と慈しむ思いが生まれてきました。両親も私と同じように何かを親に求め、それを貰えなかったんだなとです。 幸いなことに私は、自分で自分に与えるということを学びましたが、殆どの方はそれを貰えずに生きています。「本当はもっと愛されたかった」という思いと、「それをくれなかった両親に対する怒りや恨み」です。この不一致で、人は苦しむのだと思いました。私も体験済みです。 自分のことを思い返しても、両親に対するパターンをケアすることは非常に大事だと思います。 このパターンがケアされないと、心の根底に怒りや恨みが残ると思うのです。少なくとも私はそうでした。それを原動力に生きた時期もありましたが、そのエネルギーは体を毒します。何故

渡邊 優
1月5日
今年ともにいたパターン達
あっという間に一年が過ぎ、もう年の瀬です。 年初から本格的に取り組んだプライドにまつわるパターン、そして誰かに甘えたいパターン、賞賛を欲しがるパターン、今の自分に満足しないパターン。 振り返ると、それらはどれも、私にとって厄介でありながら、同時に多くのことを教えてくれました。 それは自分を理解するということが、やがて人間理解へと繋がっていく構造があることをです。 自分から始まり、理解が広がっていく。もしかしたらあらゆるものがそのようにできているのかもしれません。だから、まずは自分のことをです。自分の内側(パターン)を置き去りにしたまま前に進もうとすると、パターンは不満を覚えます。それだけパターンは注目して欲しいし、分かって欲しいのだと思います。もしかしたらそのパターン達は、子供の頃に貰えなかったものをただ求めているだけなのかもしれません。だから「私」が必要なものを与え、そして時には躾ける。 そんな関係性を築くのも、「私」の役割に感じます。 そして今改めて思うのは、全ては自分からです。 自分から変わろう、変えよう、パターンを見続けよう、受け止めよう

渡邊 優
2025年12月30日
一人の道
自己探究というこの道は、一人の道なのだと思いました。 その一人とは、他人に分かってもらおうとしない、他人に自分の居場所を求めない、そんな立ち位置の違いだと思います。 私も以前は、友人や彼女といることで自分は一人ではないことを確認し、安心していました。 しかし本来の自己探究とは、誰といても、一人でいても、どこにいても、 立ち位置は変わらない一人の「私」でいること、だと思ったのです。 他人はいるけど寄りかからない、普通に話すけど迎合しない、そんな関係性に変わるのだと。そしてそれは、精神的な自立だと思いました。 そしてそれを教えてくれたのが「誰かに甘えたい」や「一人では生きられない」というパターンたちです。それらは変わらずそこにあるのですが、そのパターンがあるからこそ、一人で立つ大切さや、自分で決める強さ、引き受けるという覚悟、責任、自分という人間に対して責任を持ちたいと思えたのです。 そう考えるとパターンから教えられることは山ほどあります。 陰があるから陽を知ることができるのと一緒です。 来年も倦まず弛まず、この一人の道を確かに歩んでいくのだと思いま

渡邊 優
2025年12月29日
来年の干支
先日干支学なるものを学んできたので、来年の干支について記しておきます。 さて、来年は午年、パカパカ走る馬ではないですよ。 午の語源は忤うを表し、物から心へ精神性を充実し、救済へと生き方を反転する新境地。反骨精神、火の力。 本来十二支とは12年を通して人間の成長を表します。そして来年の午年とは、その半分からの 7年目にあたり、子供から大人に切り替わる年でもあります。 そして十干では丙、万物の新芽が太陽の光を受けて、次第に姿を明らかにする力。火性の陽性。 どちらも火の力で、よい芽はどんどん良くなり、悪い芽はどんどん悪くなるとのこと。怒りっぽい人が増えると言っていました。丙午は激しくなるとはこのことかと思います。陰陽が激しくなるのかと。 私はそれを聞いたとき、パターンが反応しやすく、大きくなりやすいエネルギーの年なのかと思いました。益々自分をしっかり見る必要があるのだなと、そして知っててよかったという安心もありました。それはパターンという存在を、見方を、その扱い方を(ワークを)です。知っている(体験している)と知らない(体験していない)のでは大きな違い

渡邊 優
2025年12月27日
挫折と書いて・・
挫折と書いて、成功と読め。 今年松下政経塾の見学会に行った際、政経塾の部長さんが仰っていた言葉です。もちろんこの言葉は、松下幸之助先生のお言葉です。それだけ、挫折や失敗からは学ことが多いとのことでした。 私も今年は多くの挫折をしました。 自分のプライドが折れ、それこそ心を砕き、自分の愚かさや慢心、傲慢さ、それらを目の当たりにして、自分が嫌になったことは何度もあり、それでもその自分を認めることで、本気で自分を変えようと思えたのです。私の場合の挫折は、現実の自分を知ることから始まりました。パターンで生きていた自分、そのパターン一つ一つと向き合い(今もそれは続いています)自分という人間を知っていく。そうすることで、初めて自分への理解が生まれました。それはいい悪いではない、自分がどういう人間かという現実への理解でした。そして私という人間は、そこからしか出発できないという事実でもありました。 挫折と書いて成功と読め。 私はまだその域に達していませんが、少なくとも、挫折のお陰でやっとまともになれてきたと思います。それだけ挫折には、人間の色んな部分を浮き彫りに

渡邊 優
2025年12月26日
頑固
頑なに固いと書いて、頑固。 先日の忘年会で、この人頑固だな〜と思った瞬間がありました。頑固で不快だと・・ そしてそのパターンをよく見ていくと、頑固はダメだ、というものです。 そしてこのパターンのなぜならばを聞いていくと、自分の話を聞かない、受け入れない、拒否するからだというものです。相手の頑固に問題があると思っていたのに、なんと自分の問題だったのです。むしろ自分の頑固さが分かった瞬間でした。 相手に問題があると思った時ほど、自分を見た方がいいと思いました。 それは寧ろ、自分のパターンを写してくれるからです。 そう思うと、頑固なあの人は嫌な人だ、が、その人のお陰で自分のパターンをまた一つ知ることができたのです。感謝すら湧いてきます。 そして黒パターンの反対の白パターン、頑固でもいい。 それを思うとなんだかホッとします。 年末、クリスマス前の思いがけないギフトでした。

渡邊 優
2025年12月25日
ぐぬぬぬぬ〜〜〜
2〜3日前の出来事。 とっても細い道で前から大きなワンボックスがきました。すれ違うにはなかなか厳しい道幅です。そしてこちらは後ろにも車がいて2台、当然相手がバックをするか、横の駐車場に車の頭を入れて道を譲るものと思っていたら、全く譲る様子が見当たらない!そしてバックミラーを見ると、後ろの車はバックしているではないか!おいおいバックするな!俺まで下がらないけんくなるだろ!(心の声) しかしよく見るとギリギリ2台通れそうな気もしましたが、腹の中では全く納得できていなかったのです。そんななか縁石に肩輪を乗せれば通れると思い、タイヤを縁石に乗せた瞬間「ズルッ、ガリッ」と音がしたのです!おいこのやろー!お前のせいでやっちまったじゃないか!(パターンの声) そのあとはギリギリ2台が無事通過したのですが、私の内側では「ぐぬぬぬ〜なぜ俺が譲る側なんだ」という思いだけが残りました。 そのときは納得できなかったですが、家に帰って改めて見てみる と、そうか、自分が避けて負けた気がしたからだ、と分かったのです。負けたくない、そして、自分は正しいというパターンだったのです

渡邊 優
2025年12月24日
綺麗な人
先日両親と一緒に旅行に行った際のことです。 旅館の部屋で耳の聞こえない母が、このテレビを字幕を出るようにして欲しいと言われ、リモコンを弄りながら設定を探すのですが、私にはやり方がわからなかったのです。 そこでフロントに連絡してやり方を伺ったところ、すぐに一人の女性が来て対応してくれました。 その方は恐らく20代前半だと思うのですが、その対応と心添えがとても美しかったのです。 その美しさは見た目や所作ではない、心の美しさだと思いました。 役割や仕事という枠を超えた何か、その人本来の心の美しさを感じたのです。 その心で対応する、そこに本来の仕事を見た気がしました。 沢山稼いでいるとか、役職が偉いとか、どちらが上とか関係のない、本当の人の美しさを垣間見た気がしたのです。ほんの数分の出来事でしたが、本当にいい体験をしました。 そしてこの体験の前に実は、車で移動している際に父が「あいつ今凄い稼いでいるらしいぞ〜」などの話をしていて、私のパターンが反応していたのです。それは「稼いでいる人には価値がある」というパターンです。 その後にこのような心の美しさを垣間

渡邊 優
2025年12月23日
自分への厳しさ
自分への厳しさ、これはしっかり持っていたい、いや、育てていこうと思いました。それは自分という人間を引っ張るため、進めるためにです。 自分を見ていると、私はどうも自分に甘い。厳しいのが苦手で、キツイのや苦しいのも苦手。その安住の地では自分という人間は鍛えられないのだと思いました。キツイや苦しいの中に、筋肉と同じように精神や心も磨かれるのだと思います。打たれ強さや、本気で向き合う強さ、それらは甘さからでは養われません。厳しさからしか強くはなれないのだと思います。 パターン側にいるというのは、常にその厳しさから逃げていたように思いました。 年末にこのようなことを思うのは、来年への布石のように思います。来年の目標ですね。 今からでも遅くはないので、自分への厳しさを持って、甘えをなくすことをテーマに自分を観察していこうと思います。

渡邊 優
2025年12月22日
自分は正しい
今朝は、「自分は正しい」というパターンを考えていました。もちろん私のパターンです。 自分は正しいと思いたい、それを証明したい、わかってもらいたい、そのパターンの叫びの裏にあるもの、それが、安心したい願いなのだと思いました。 パターンは、それでいいよ、そのあなたでいいよと言ってもらいたい、この自分で間違ってなかったと言ってもらいたい、そんなパターンの思いが外側に向かって、自分は正しいんだと叫んでいるように思います。 ということは、パターンはこの自分でいいとは思っておらず、常に不安と恐怖を抱えているのだと思いました。もしかしたらこれは、パターン全体に言えることだと思います。それは、 多くのパターンは不安や恐怖から生まれた「守り」の仕組みなのだということです。 そこで思い出すのが、昔先生が話された、人類の課題とは不安と恐怖から降りることだという話です。それはつまり、 パターンをなくす、消す、戦うということではなく、 それに巻き込まれずに、別の立ち位置から生きるという意味だと思いました(私の理解です) 子供の頃や思春期に沢山こさえ、それが今でも使われてし

渡邊 優
2025年12月21日
bottom of page
