top of page
松蔭神社
昨日はオンラインで、松蔭神社の名誉宮司の「牢獄から日本を変えた吉田松陰」の講演があったので話を聞きました。 10歳から教鞭を取り、大人相手に兵法を教え、日本の危機を本気で憂い、言葉と文字で戦った松蔭先生のお話です。その中でも大事にしていたのが教育で、特に「待つ教育」を大事になさっていたようです。それが「自分でやらせる」ことだったようです。そして人間として、人としてどうあるべきか、日本と他国の違いの大和魂を教えていました。そんな人間学を大事にされていた松蔭先生のお話の中で特に印象に残ったのが、野山獄や江戸の牢獄でのお話です。 牢獄の中でも松蔭先生は、人の生き方と在り方を話し、教え、看守までものが松蔭先生のファンになっていたようです。そして当時の罪人は、身元引受人がいないと牢獄から出れないらしく、そんな希望を失った罪人達に「生きる希望」を与えていたとのことでした。自分がいつ殺されてもおかしくない状態でもです。吉田松陰とは、実はそんな愛の人だったと。 自分を顧みずに他のため国のために奔走した吉田松陰。 その遠い遠い遠い後ろ姿を見ながら、自分も頑張ろうと

渡邊 優
2月9日
インフルB型
今週の初めからインフルエンザのB型に罹っていました。 今回のインフルエンザは私が経験したインフルエンザとは違い、高熱ではなく37度台の熱が続くので、最初インフルエンザだとは気づきませんでした。ただ頭と目がめちゃくちゃ痛かったので、それでお医者さんに行って検査してもらったことろ、インフルエンザだとわかったのです。 そして薬ですが、以前はタミフルでしたが(この薬も一発で効いて感動したのを覚えています)今回は塩野義製薬の新薬、ソフルーザでした。ものすごい小さい薬で、米粒よりも小さかったです。これで本当に効くの?と思うほどの大きさでしたが、今回の薬は非常に自然で、ゆっくりとインフルエンザの症状が緩和されていくのがわかりました。個人的にはソフルーザの方が体には合っているかと思います。 そして病気をして毎回思うのが、健康の有り難さです。 この一週間、頭痛と目が痛すぎたのでほとんど記憶がありません。その間何かを考えたり、また自分を見ることもしないまま、寝ているか頭がボーっとしていたので、こうして頭が冴えてパソコンに向かってブログが書けるのがとっても有り難く感じ

渡邊 優
2月7日
本当の歩み
現実の自分を突きつけられた時、とても焦る瞬間があります。 それは、パターンの理想の世界にいたからだと思いました。 パターンの理想では、できている自分であったり、わかっている自分が存在します。ということはパターンは、自分は特別でありたいのだと思う。それは誰にでも認められ、受け入れられる特別な存在です。だから理想とは違う現実の自分を突きつけられた時、とても焦るのだと思います。なぜなら思っていた自分と違うから。 人はこのズレの中で苦しむのだと思いました。もちろん私もです。 ではどうしたらいいのだろう・・・ それは、現実の自分を認めていくことしかないと思います。理想とは違う、この自分でいいとです。 特別でもなんでもない、普通の自分を認めていくことです。 もしかしたらそれは、私のようにプライドが高い人間からすると、とても受け入れ難いことかもしれません。しかしパターンの理想から降りた時、やっと本当の自分としての歩みが始まるのだと思いました。 それは今までのような焦りや不安からではなく、自分という人間に尊厳を感じられ、一歩一歩を大事に生きている、そんな感覚があ

渡邊 優
2月3日
魂にとって
病気になることや、大切な人との別れなど、パターンにとってはとても辛いことです。 しかしそのお陰で自分の問題に気付かされたり、自分の課題に取り組む機会が与えられたりと、魂にとってはとても学びになる機会なのだと思いました。 私も昨年大きな別れがありましたが、最近そのことをよく考えます。 後悔や寂しさではなく、それによって気付かされた自分のパターンや、今生に生まれてきた課題についてです。それは精神的な自立になりますが、別れがなければ永遠に相手にしがみついていたかもしれません。それだけパターンの影響は強く強固だったのです。 一見辛く苦しい出来事ですが(実際パターンからしたら辛く苦しい出来事)後からにならないと、私にとっての本当の進歩という意味が分からなかったのです。 お陰で今は、あれほど拒んでいた孤独を楽しむようになりました。一人が嫌だ、寂しいというパターンが静かになり、少しづつですが孤独というプラスの意味づけを持てるようになってきたのだと思います。 もしかしたらパターンにとっての嫌なことや怖いことが、実は、魂にとっては進歩なのだと思いました。一般論とは

渡邊 優
2月2日
違い
昨日は地元の同級生に誘われて飲みに行ってきました。 飲みながらの話はもっぱら上司や仕事の愚痴です。そこで思ったのが、違いです。 いつの間にか私は、愚痴や不満がないことに気がつきました。愚痴や不満はパターンが思うことですが、日々の生活の中でいつの間にか自分で処理していたのです。 皆んなは感情の放出に花を咲かせ同調し合い、楽しいひと時であったと思います。しかし私はもう、そういうのを必要としてないんだなと思いました。きっと私が求めているのは、深さや探究や真理です。 それはどちらがいいとかではなく、単純に違いなのだと思います。趣味のような、ライフスタイルなのかもしれません。 何に興味を持つのかはそれぞれですが、一般的なところとは随分違うところに興味を持ち、そしてそれと共にいたのだと気付かされました。それと共にとは、日々のワークです。自分のパターンを見てそれをケアし、それと共にいられることを選ぶ日々のことです。私にはそれが健全だと思っており、だから続くのだと思いました。 飽きっぽい私ですが、今思えばこの学びだけは随分長く続いています。 それだけ私のどこかで

渡邊 優
2月1日
似ている
先日のピアノレッスンの際、ある小節で楽譜と実際の演奏のリズムが違い、タイミングがずれていました。それを先生に教えられ、その場で直そうとしても、一度体が覚え、馴染んだものを修正するのは困難でした。困難というのは、修正するときに今までのやり方が出てきてしまい、なかなか思うようにいかず、ストレスを感じるというものです。YouTubeなどで曲に合わせて弾いているとこのような現象に陥りやすいと言っていました。でもこれって、パターンに似ていると思ったんです。 パターンも全く同じで、心に染みついた習慣です。 今までの習慣をやめてそこから新たな習慣を身につけるのはストレスがかかります。 しかしです。新たな正しい在り方を習慣をにできたら、それは意識せずとも自然とそのようにいられると思ったんです。 きっとピアノも人の在り方も、このように常に更新し続ける必要があるのだと思いました。一つできたらまた次があり、その繰り返しで人は進歩するのだと思います。 大切なのは、与えられた課題を淡々とこなしていく継続力だと思いました。

渡邊 優
1月30日
小さな反応
コンビニの店員の態度に「チッ」 電車で先に座られてしまった時に「チッ」 その他にも私の気づいていない「チッ」がまだまだあると思います。 この小さな「チッ」を見逃さずにちゃんと観察するということが大切だなと思いました。そのは、自分のパターンの傾向をちゃんと自覚するというものです。 私は今年、現実の自分を歪みなく自覚する、というものを一つの目標に上げています。 なぜそれを目標にしたかというと、歪みなく自分を見れていないと思ったからです。 それは「できている」「分かっている」「知っている」「優れている」などなどのパターンの物語の中にいた自分に気がついていなかったから。これはパターンとしては、現実の自分を知ってショックでした。 歪みなく自分を見るということは、パターンを歪みなく見ると同時に、現実の自分として、できていなかったり、分かっていない、劣っている自分に目を向けることだと思います。 そうやって現実の自分を知ることで、諦めることもあれば、ここは頑張ろうと思えたり、諦めと頑張り、どちらも「私」のリードで選択することができます。それには些細な反応にも目を

渡邊 優
1月29日
人はひとり
最近、人はひとりなのだと感じる時があります。 人は一人で生まれて一人で死んでいくということを、どこかで聞いたか読んだことがありますが、きっとそうなんだろうなと思うのです。 では他人は何かというと、自分を知るために必要な存在だと思います。家族も、友人も、社会での付き合いも、全てがそうなのだと思います。自分を知って自分を再創造していくことを、人の魂はやりたいのだと思います。そうでなければこんな風に自分を見たり、そのことについてブログを書く理由が見当たりません。人が一人だと思う理由がここにあります。自分自身でしか自分を再創造することができませんし、自分のパイプは自分でしか綺麗にすることしかできないからです。それが、誰にでも与えられている「私」のセッティングだと思いました。 ということはです。他人のパイプと自分のパイプを比べること自体がナンセンスだと思いました。どっちが綺麗ですごいパイプだとです。そして、自分のパイプがどんなパイプなのかを知るのは大事だと思います。自分を勘違いしないためにです。 そして、自分は一人だと理解できるからこそ、きっと他人のことも

渡邊 優
1月28日
現実を見る
昨日のピアノのレッスンにて、前回「言われたくない」のパターンに引っかかりまくったので、今回はいつも以上に自分を見ながらのレッスンに臨みました。 そしてパターンは反応するのですが、それは置いといてと黙りなさいを繰り返し、次回への課題を頂いて私のレッスンは終わりました。 そして次の方のレッスンを見ていたところ、私と同じように言われている・・いや、寧ろもっと言われているかもしれない。リズムを取る先生の手拍子にも力が入り、指導する声にも力が入る。 それを見て私は、恥ずかしさを覚えました。なぜなら今まで私は、自分ばかり言われていると思っていたからです。あ〜これもパターンだなと思いました。 それは「自分ばかり言われている」というパターンです。その内容は、私が気に入らないから、ムカつくから、見ててイライラするから、だから私ばかりに言うのだと思っていました。それが例えパターンであったとしても、そう受け取っていた自分が恥ずかしかったのです。 そしてレッスンとは、言って教え、指導すること。言うだけではなく体全体を使って見せたり、リズムを取ったりと、今足りていない、出

渡邊 優
1月27日
理想の自分とは・・
「今の自分ではダメだ」というパターンのことを考えると、それはパターンの望む理想の自分と、今の現実の自分を比較するからそう感じるのだと思いました。理想の自分とは、何でも分かっていてそつなく出来ている自分であって、それは他人よりも優れいたり、上だったり、はたまた認められたり尊敬されるような自分です。そう在れない現実の自分に対して「今の自分ではダメだ」と言っているんです。 そこまで考えるとこれも、「プライド」というパターンの自己像への執着だなと思いました。 このプライドが評価と裁きを自分自身に下し、苦しむのです。「今の自分ではダメだ」とです。 面白いもので色んなところで私のプライドという課題が露見します。 占いではいつも「あなたはプライドが高いですね」と言われますし、独りよがりにならないようにとも忠告されます。それだけ私の持っているエゴというプライドが強いのだと思います。 そして間違えないようにしたいのは、プライドがいけないのではなく、それをコントロール出来ていない私の方に問題があるということです。ですからこれからは、理想の自分を追うプライドをしっかり

渡邊 優
1月26日
凶というおみくじ
本日初詣で引いたおみくじが「凶」でした。生まれて初めて凶です。 書かれていることは、どれも「難し」「叶わず」「焦らず」といった言葉ばかりで、読むほどに不安になりました。私は案の定、慌てておみくじを畳み、まるで厄を払うように括り付けました。 そして初詣の帰りにその一連の自分を考えていました。私のその姿は「凶=悪いもの」と決めつけ、反射的に避けた自分がそこにいたのです。 後から調べてみると、「凶」はこれ以上悪くはならない状態、これから好転していく兆しだと書かれていました。 ああ、私は現実をそのまま受け取ることが、こんなにもできないのだなと思いました。 良い悪いとすぐにジャッジし、不安なものを避けようとする。これもいつもの私のパターンです。 もしあのとき、おみくじの言葉をそのまま読めていたら、そこから何かを受け取れたのかもしれないですし、自分を見直す材料にできたかもしれなかったです。それができなかった。 でも、こうして今の自分に気づけたことは、私にとって小さな収穫でした。 凶のおみくじは、意外と悪くなかったのかもしれません。

渡邊 優
1月25日
そのままの自分でいい
思い通りの自分じゃなきゃ嫌だ、今の自分ではダメだ、いつまでもパターンに反応している自分ではダメだ、負けたくない、言われたくない、自分の方が上だ、などなど、それらのパターンがあるそのままの自分でいい。それが、そのままの自分でいいということだと思いました。 最高の自己肯定感だと思います。 何かができるとか、何かを持っているとか、地位があるからとかではなく、どの自分があってもいいというそのままの自分。 それを知るまで私は、そのままの自分ではダメだと思っていました。 世間が認めるような何か、地位や名誉、はたまた成功、プライド、それらを象徴するものが、自分を肯定できる唯一のものだと思っていたのです。それがあるから自分を支えられるんだと。 しかし「そのままの自分でいい」というのは、ポジティブに考えるということではありませんでした。 ダメだと思っている自分、比較している自分、反応している自分を、「変えよう」ともしないで、ただそのまま見ている感覚です。 不思議なことに、そこには安らぎがありました。 頑張らなくても、整えなくても、良く見せなくても、自分に何かが欠け

渡邊 優
1月23日
分かっていなかった
自分のパターンを見ていて気づいたことがあります。 それは私の「言われたくない」というパターンは、「あれこれ言われない自分」だと信じているということ。また「負けたくない」というパターンは自分は勝てると思っているし、自分の方が上だとも思っている。そんなパターンの裏側というか本音に気づいたのです。 その瞬間私は、たまらなく恥ずかしくなりました。まるで今まで見ないようにしてきた自分の姿を、突然鏡を突きつけられたような感覚でした。できれば知りたくなかったし、認めたくなかった、プライドはです。 それまでは寧ろ、謙虚なつもりで私はいました。 でも実際には、「できたつもりの自分」「勝てる自分」「上の自分」でいたかっただけなのです。それに気づいたとき、穴があったら入りたいような気持ちになりました。 これが、「分かっていなかった」ということなのだと思います。 分かっているつもりで、自分の姿をいちばん見ていなかったのは、自分自身だったのです。

渡邊 優
1月22日
パターンを嫌うパターン
昨日は先生との個人セッションでした。 内面的な話がほとんどなのですが、その中で私が最近悶々としていたパターンを教えて頂きました。それが、「パターンを嫌うパターン」です。 以前にも、パターンはダメでいけないものだ、に語りかけていましたが、今回思ったのは、語りかけたからそれでパターンがなくなるわけではないということでした。 パターンはいつでもどこでも反応します。 反応しなくなるわけではないのだと思います。 語りかけの中でも言っている通り、「あなたは変わらずそこにいていいと」いうことです。 それは、何も変わらなくていいということでもあります。 しかし、パターンを嫌うパターンは、それが許せません。なぜなら、いつまでも反応する自分はレベルが低い、周りと比べてもそう感じる、相変わらず自信も持てないと。だから、パターンはいけないものだと思い続けてしまうのです。 私はこのパターンの中にいたことで、「パターンは変わらない」という事実に気づけていませんでした。 ということは、です。定期的に「パターンを嫌うパターン」を点検する必要があるのだと思いました。...

渡邊 優
1月21日
今の自分ではダメだ・・
「今の自分ではダメだ」というパターン、茅ヶ崎クラスに出た後反応しているパターンです。 このパターンは、現実の自分を直視した瞬間や、誰かと比べた瞬間に現れます。 多くの場合、それは「もっと頑張ろう」「まだ足りない」という向上心に見せかけたり、「謙虚さ」に見せかけたりしていかにも前向きな顔で現れます。きっとパターンは、私を優劣という物差しの中に閉じ込めておきたいのかもしれません。 そして真反対の白パターンが「今の自分でいい」というものです。 この言葉を置くと、それだけで身体が緩むのが分かります。今の自分でいい、今の自分からやっていこう。そこには、パターンと共に歩んでいける「私」がある気がします。身体感覚として心地よいのはこちらなので、今の私にとっての真理はこちらだと思いました。 今年は、「現実の自分を自覚する」というのを一つの目標にしています。 ただ、それと同時に、「今の自分ではダメだ」のパターンもセットで現れてきます。 その両方をちゃんと見ていく、という姿勢でいたいと思いました。 分かった気にならず、結論を急がず、ただ起きているものを見続けること。

渡邊 優
1月20日
一人になって
彼女と別れて一人になってから、一年が経とうとしています。 今思えば、随分と私のパターンを彼女は満たしてくれていました。一人では生きられないというパターンも、誰かに甘えたいというパターンも、認められたいというパターンも、愛されたいというパターンも、プライドというパターンもです。お陰で今ではそれらのパターンに私自身が向き合いながら、一つづつ自分で面倒を見るということをしています。 そしてそれは、一人にならないと気がつかないことでもありました。 自分がパターンを満たしてもらっていたことも、甘えていたこともです。 そう思うと一人になるというのは、自分の足で立つという最初の一歩のようにも思います。 一人になった当初の頃は、他人の家族やカップルを見るたびにそれこそ寂しく、孤独を感じていました。今でもそれは完全になくなることはありませんが、寂しいな、孤独だなと感じたときはパターンに語りかけて、もしかしたら、自分は一人だともう決めつけなくてもいいのかもしれない。こちらの白を天を仰ぎながらのマントラにしています。それは目に見えないけれど感じられる先祖や、今は亡き祖

渡邊 優
1月19日
プライド
自分のパターンを見ていると、そして物心ついた頃からの自分を思い返してみても、自分の課題はプライドなのだと感じます。 言われたくない。自分は分かっている、できていると思いたい。認められたい。 振り返ると、多くの反応は「プライドが満たされるか」「プライドが傷つかないか」のどちらかで動いていたように思います。 そして今思えば、それもまた、自分自身が選んできた課題だったのだと思います。遥か昔に自らが用意したセッティングだったのだと。 一方で、「このままの自分ではダメだ」というパターンも、今でもよく動きます。 それは、いつまでも超えられない自分。同じ課題を何年もやっている自分。周りと比べて劣っている自分。そうした声が、何度も浮かんできます。そんな思い通りにならない自分に悶々としているとき、これもプライドなんだなと感じます。 そうして私はどうありたいのかと考えると、それらのパターンがあってもいいと、否定せずに見ていられる自分でありたいと思うのです。そのままを受け止められる自分でありたいと。 まずは自分のパターンから練習です。

渡邊 優
1月17日
分かっているパターン
自分は分かっている、できている、というパターンの構造を知ってから、私は自分の愚かさを痛感していました。それは、ただパターンの物語の中で生き、パターンを満たし満足させていただけだったからです。 それらはパターンにとって、とても気もちのいいものです。 なぜならそこには、「自分は学んできた」「自分は自分を見てきた」 「他人よりも分かっている、できている、知っている、気づいている」という、他者との比較の中で生まれる優越感があるからです。 そして何より、 その自分に気づいていなかったことに、反省しました。 自分を見て、パターン気づいて生きていくというのは、本当に時間のかかる作業だと感じています。 けれど、こうしてまた一つ学び、パターンから降りる作業ができるのも、今は素直に良かったと思えます。なぜならそれは、自分の在り方を変えていくことへの確かな動機となっているからです。 実は驚くほど単純なことだったのに、そこに気付けないほど、「分かっている自分」をパターンは守りたかったのだと思いました。それはプライドとも言えるし、保身とも言える、私自身の課題です。

渡邊 優
1月16日
分かってないから
先日道場仲間の Mさんのブログ を読んで、 「自分はわかっている」「自分はできている」なども、何もわかってないからそういうことを思えてしまう。 とても分かりやすい説明で、私は、自分が分かっていないから分かった気になれていた、ということがやっとわかりました。「物事の理が分かっていない」というのはこういうことなんだと気付かされました。目の覚める じゃあ分かっていることとは何だろうと考えると、それはあくまでも、自分が経験したことまでなんだと思いました。だから、90%の物事を知らずに死んでいく、ということに繋がるのだと思いました。 自分が気づいていなことを仲間のブログから教えてもらう。これも、自分の分かっていないことです。 謙虚さというにはきっと、本当の意味で、自分を歪みなくちゃんと見れるからなんだろうと思いました。 分かっていない自分をちゃんと認め、受け入れられる自分でありたいです。

渡邊 優
1月15日
靖国神社
昨日は靖国神社にお参りに行ってきました。 私はこの歳になるまで、実は一度も靖国神社に行ったことがありませんでした。 靖国神社の由来も、靖国で会おうという意味も、靖国神社じゃなければいけない理由も、何も分かっていなかったのです。そして、洗脳の怖さもです。 祖国の為に死ぬのは喜ばしいこと、それは英雄だと刷り込まれ、思い込み、信念となっていく。これもパターンだと思いました。 祖国のために戦ってくれた戦没者達に感謝では言い表せない感謝を述べ、明治維新から続く歴史を博物館で拝見しました。そこには先の大戦で亡くなった方達の沢山の写真と、妻や子供達、家族に宛てた手紙と、沢山の遺書がありました。当時の心情が伺えます。それは戦士ではなく、一人の人間としての想いがです。 妻に会いたい、子供達に会いたい、子供達の成長を見守りたい、そんな当たり前の思いと未練、それらを真に受け止めて、最後の手紙で皆感謝を述べていました。怖かったでしょうし、不安だったと思います。それでも行かざる負えない状況、何とも言えません。 このようなことを二度と起こさない為にも、パターンで生きないこと

渡邊 優
1月14日
bottom of page
