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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 5月25日
  • 読了時間: 2分

丸裸でありたい・・・と思っています。それはプライドという鎧を脱ぐということです。

パターンは何者かになることや、何かを得ることに価値を感じます。しかし今の私にはそれよりもよっぽど大事なことではないか?と思っています。


それは知識や理論で自分を武装したり、持ち物や見た目で自分を大きく見せるたり、要領よく生きるための処世術を身につけることなど、そんな一般的に価値があるとされることよりも、丸裸の自分としていられる方が、何だか価値を感じます。


そもそも丸裸の自分では自信がなかったり、自分を認められないのであらゆるもので自分を守り、また自分を過大評価して勘違いし、更に裸になれない自分をこさえてしまったのだと思います。

またそこでは現実の自分を知ったときのショックや落ち込みがあります。それは現実と理想のギャップがあるからです。ですから必要なのは、現実の自分を澱みなく見る目や、理解する力、それはパターンではできないことだと思いました。


丸裸の自分になるのは正直怖いです。やったこともないですし、どんなことが起こるのかなど、パターンとしては傷つくのが怖いのです。しかし、それよりも大切なものが育まれるのではないかと思っています。それは勇気や強さです。きっと、裸になったところからでしか得られないものがあるのだと思います。


今日も自分を見て、裸の自分を探究していきます。

 
 
 

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