- 渡邊 優

- 2024年10月9日
- 読了時間: 2分
自分は正しい、というパターン。
このパターンと長らく共存していて思ったことは、自分の正しさに苦しめられるということです。
自分の正しさや理想、それにそぐわない出来事や他人に対して腹を立てるのは勿論のこと、自分自身が、パターンの望む正しさになれない時、自分に腹を立てたり、悔しかったり、情けなかったり、惨めだったり、自責の念すら抱きます。正しく在れない自分を責めるのですね。
きっとパターンは、正しく在れば自分に価値を感じられたり、自信を持って、楽に生きられると思っています。だから、正しくあれない自分を目の当たりにした時、そのような感情を抱くのだと思います。自分を責めるのは苦しいです。なぜなら自分を否定するから。
パターンの信じた正しさとは何だろうと思う時があります。それは本当に自分が考えたことなのか、それとも誰かの受け売りなのか、きっと、そのほとんどが自分の体験でも、考えたことでもない気がします。であれば、新たな意味づけが必要ですし、自分の正しさから降りることも必要になってくると思いました。
もしかしたら、自分は正しいと、もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・
自分の正しさという小さな枠ではない、もっと大きな可能性、そこを信じてもいいのかもしれないですね。

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