- 渡邊 優

- 8月22日
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今年のお盆は実家に帰って、以前親戚に見せてもらった沢山の先祖の戸籍の写真をよく眺めていました。江戸時代、弘化一年から続くその戸籍には、養子できたもの、養父に養母、様々な方の名前があり、その一人一人が親であり子でありと、その命のつながりを想うと何とも不思議な感覚に襲われました。
今と変わらず子を思う両親がいて、そして可愛がり、命が代々繋がっていく。
会ったことのない先祖の方ですが、確かに血が繋がっていて、その方達のDNAが私の中にも流れている。父方と母方両方を合わせたら膨大な量の繋がりがあり、それを考えると感慨深さを感じ、同時に感謝も湧き上がってきました。大切に受け継がれてきた命が、この私の中にもあるのだと思ったのです。そしてそれは私だけではなく誰の中にもあるのです。大切な命がです。
そして更に視座を広げてみると、ある時点を境に血の繋がりは一つに収束していきます。それはまだ日本の人口が少なかった頃、近親相姦で人口を増やしていた時代、更にその前になります。それが日本神話に出てくる日本人全員が天照大神の子供となるのです。この血の繋がりというものは元を辿れば実は同じであったというのです。人類みな兄妹とはこのことを言うのだと思いました。私にはまだその感覚はありませんが、先祖の戸籍から思いを馳せていくとそんなことにまで想像が広がるのです。
そう思うと隣人への見方が少し変わる気がします。もしかしたら先祖のどこかで繋がっているかもしれない兄弟かもと。

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