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  • 執筆者の写真渡邊 優

ここ最近、以前の日記に書いたインナーチャイルドと共にいます。

しかし子供って健気ですね。辛く、苦しいことがあってもなるべく表に出そうとしないし、心配させようともしないで我慢する。こういうのを、健気というんだな、と思いました。


子供はも一人では生きられないということを本能的にわかっています。だから、健気にならざるを得ないのだと思います。自身のインナーチャイルドと共にいると、当時の気持ちが痛いほど伝わってきます。弱々しく、細々とした、色んな感情が入り混じった子供の思い。

そこに現れる絶対という存在の父親。恐怖と不安に怯えた状態。


何年も何年もそこで止まったままでいました。

今からでも遅くない、しっかりと自身のインナーチャイルドを救済して行こうと思います。

これこそ、自分にしかできないことだ。

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