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  • 執筆者の写真渡邊 優

パターンに対して、パターンはいけないもの、ダメなもの、利己的で不快なもの、自他に迷惑をかけるもの、以前はそんな風に捉えていました。だってパターンのせいで苦しい思いもするし、怒られるし、まだ自分はそんなことに囚われているのかと自分を責めてしまうし、自分のレベルの低さを思い知ってしまい、そんな自分が受け入れられないし嫌だったんです。


でもパターンって本当に子供で、彼らが求めているものは、愛されたいという愛情だったり、受け入れられたいという受容だったり、分かってもらいたいという理解だったりして、そんな本当の私からの愛だと思うんです。ジャッジや裁きではない暖かな愛です。そしてパターンはただそこにあって、可も不可もなく善悪もないものだと、それがわかるようになりました。


必要なのは裁きではく愛なんだって。


パターンの救済は、愛が必要なのだと。

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