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  • 執筆者の写真渡邊 優

心が折れる・・

心を折る作業って、大事なことのように思います。


自己肯定感を持てるようになるというと、何だかとても自分に自信が持てたり、自分に対して安心感を持てたり、いい事づくめ。でもそれって、誰が求めているの??と考えた時、パターンが求めていると分かります。

しかし、それを求めて自分に与えていくと、間違った黒パターンの自分を形成してしまう。

それは幻想的な自分であったり、理想的な自分であったりします。でもそれって、本当の現実的な自分ではないからどこかで無理が生じ、理想でない自分を知った時に苦しみへと変わります。こんな自分ではダメだと。


まあ、自分のことではあるのですが、そこで、心を折る作業がとても大事になってくるのではないか?と思いました。実際、心が折れている時な大変なのですが、その後、折れた心は強化できて、ちゃんと本来の自分と向き合えるようになる。それは少し現実的になり、一喜一憂しないで、パターンと向き合い、「黙りなさい」を駆使しながら自分を統制していく。それはパターンに対しての強さが備わってきた。そんな感じがしています。


心が折れると言うと、傷つく、立ち直れない、困難、自信をなくすなど、マイナス要因ばかり思い浮かべますが、強さが備わる、へこたれなくなる、現実的になる、統率力が備わるなど、プラスの面も備わるのだと思いました。


もしかしたら強く見える人たちって、こうやって心が何回も折れて、何回も立ち上がってきた人たちなのだと思います。だからこそ、心が弱っていたり、心が折れている人の気持ちがわかるのだと思う。

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