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  • 執筆者の写真渡邊 優

仮釈放 著 吉村昭を読んで。

浮気した妻を刺殺し、浮気相手を殺傷し、その母親を焼殺し、無期懲役に服した犯人が刑法に従い、15年目で仮釈放となった。

どれほど待ち望み、待ち焦がれた「自由」を犯人(菊谷)はこの実社会で享受することができるのか?という内容のものでした。

菊谷が望んでいた自由とは、白米があって、美味い飯が食えて、酒が飲めてタバコが吸えて、自分を見張る煩い刑務官もいない、そんな自由だったのです。

しかし現実は全く違っており、自分の素性をひたすらに隠し、嘘をつき、会話の端々に気を遣い、人の顔色を伺い、怯え、人との会話も減り、人を極力避けるようになり、受刑者であったことを気づかれまいとして、闇の中で息をひそめるようにして過ごすという、服役中に望んでいた自由とは程遠いものだったのです。

寧ろ刑務所にいた時の方が、自分の素性を知っている人がいて、理解してくれている刑務官いて、会話はできないが似たような仲間がいて、そことは心が通じ合えてる。刑務所にいた時の方が寧ろ自由であったと、菊谷は思うようになるのです。

自由とは外側だけに求めるものではなく、内側にあるものかもしれないと、考えさせられる内容でした。

人というものは、理解されたり、分かり合えたりすることで、自由を感じられるものなのかもしれません。

私たちのやっているパターンのケアも、理解し、受け入れ、少しずつ心を自由にしていっているものだと思います。

改めて自由というものを考えさせられる作品でした。

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