- 渡邊 優

- 7月14日
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神棚が我が家に来てから二ヶ月ほど経ちました。
日々の祈りの中で、感謝と反省、そして人々の幸せを祈っていますが、以前の自分はどうだったろうと考えると、全く逆だったと思います。
自分が反省するよりも、他人に、相手に反省してもらいたい、そう思うのが普通でした。
幸せも同じで、他人の幸せよりも自分が幸せになることが先でした。他人の幸せなど見向きもしなかったです。寧ろ面白くなかった。今思えばそれは、パターンの求める幸せであり、パターンが満たされることを優勢していたのです。すると当然パターンは他人が満たされることを面白く感じません。
そんな具合にパターン中心だったのです。
神聖なものが家に一つでもあるといいです。
そこの前では裸になって自分を見つめ、自分に気づき、そして宣言をする。
私はどうあるのか、どうありたいのかと。
そして自分だけに留まらず、他人の幸せも願えるのです。
そこが、自分自身が一番驚いているところ。


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