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これがあった
そうか、これがあったなと、今朝は一つパターンを見つけました。 それが「自分は精神性が高い」と思っているパターンです。 真理や哲学、内面の学びをしていると、全く気づかぬうちに、ごくごく自然にこのパターンが入り込んでいました。そして気づきや学び、あらゆる知識さえも、パターンを成立させる養分にするのです。 このパターンは精神性を「価値」に変えていきます。 精神性を自分を守る新たな鎧とし、それを価値や肩書きにしていくのです。つまり、ただの自分では足りないということ。ですが精神性とは本来、何かを主張したりするものではないはず。 思い出すのは、先生が話してくれたスイミーの話です。 私たちは特別な存在ではなく、ただの凡人で、ただ一つの役割を生きているだけだ、という話です。 学びを思い出していくと色々なものが結びついていきます。それは全て、パターンから降りる学びです。 今日はこのパターンをしっかり観察することを心がけます。 明日からは両親とまた旅行です。二日ほど日記をお休みします。 いつもの母の故郷、修善寺に行ってきます。 男家庭では父親はなぜか全てにおいて後回

渡邊 優
2025年12月16日
シーズンイン
忘年会のシーズンです。この時期、私のパターンは反応しやすいです。それもそのはず、自分とは全く違う境遇や価値観など、自分と比べるパターンや、社会的評価に一喜一憂する「地位や名声には価値がある」というパターンが反応するからです。 他人と比べて優劣を決めるパターン。それは勝ち負けや上下、幸不幸など、どちらが優っているかを無意識に決めているパターンです。今年はそこにリアルタイムで意識を向けようと思います。 その他にも、認められる、必要とされる、受け入れられる、大切にされる、注目される、そんな優越感や満足感など、パターンのご馳走が世の中には無限にあります。自分で自分に与える時すらあります。大勢の中にいるときこそ、自分を観察し続けることを忘れずにいたい。それくらいパターンという習慣の力は強いからです。 このハイシーズン、ただ飲んで楽しむだけでなく、そんな自分を観察し、選び続ける自分でありたい、そう思います。

渡邊 優
2025年12月15日
痛みからこそ
人は「痛みから逃げない時にだけ成長する」のではないか、自分を見ているとそのような理解があります。 痛いところを突かれた、心が「ウッ」となる、「ズキッ」とした、締め付けられる、プライドが折れる←私にはこれが一番効く、などなど、そこが自分のネックであり、パターンが一番反応する場面です。 一般的にはその苦しさから逃げますが、逃げないで向き合うところに、強さや勇気が養われるのだと思いました。そして逃げにないとは、何よりも自分に対しての誠実さだと思います。 他人を目を向けると自分から逃げられる言い訳は無数にあります。 あの人もそうだから、この人も同じだから、みんなそうだから、私も以前はそうでした。 しかし自分はどうありたいかを考えたとき、私は自分で決めたいというのがあります。 それらのパターンの痛みを背負って、自分で決めたことに責任を持ちたいのです。 人は逃げているとき、停滞します。そして進歩とは、自分で決めたことに責任を持ち続けることだと思いました。私の先生がよく言うところの、自分で決めればいいとは、このようなことと思います。 自分で決められる、それは他

渡邊 優
2025年12月13日
比較に気づく
先日ピアノのレッスンの際、今自分は他人と比較しているな、と気づく場面がありました。 先生は他人のレッスンも勉強になるからよかったら見ていきなさいといつも勧め、私は毎回人のレッスンを鑑賞します。その際に、この場面は自分の方ができるな、ここは自分の方が上手いななどと、他人のレッスンを見ながら自分と比較をし、優劣をつけているパターンがいました。 面白いもので気づくとそのパターンはふと静かになります。そして意識がパターンから自分に戻った後、今この場での白パターンを考えました。比較から降りて今この場での自分の学びは何かと考えたのです。そんな他人のレッスンを見ていて気づいたのが、先生が教える技術であったり、抑揚のつけ方や音の出し方、譜読みから歌いながら弾くまで、それがまるで音楽の授業のようだと思ったのです。この音楽の授業をしっかり学ぶのが、今の白パターンだと思いました。 パターンでいる時私は、目線や視野が非常に狭い世界にいたことに気づかされました。 それは自分中心に他者と比べて判断し、勝手に優劣をつけてパターンの世界だけて生きていたのです。...

渡邊 優
2025年12月12日
在り方
今朝ふと思ったのは、人の心の在り方が整えば、必要なサポートや流れが自然とくるのだろうということです。いい塩梅にです。(天が養ってくださるというものです) これはずっと言われてきたことでもありますが、だから在り方が大事であり、最近言われ続けていることだと思いました。 「私」でいる時、在り方は無限に選ぶことができます。黒パターンを選ぶことも、白パターンを選ぶこともできます。「私」に立つことも、パターンに飲まれることも選べます。つまり、意識の在り方は本来とても自由で、勝手に決まるものではなく、選択の結果であるということです。 ただ、その自由さを使いこなすのには時間がかかります。(私はめちゃくちゃ時間がかかっている)長年の心の癖や思考の流れが、今までの慣れた在り方を選ばせようとするからです。刷り込まれたパターンが強いほど、新しい在り方を定着させるのには意識的な練習が必要になるのだと思いました。 パターン。 言葉の通り、自分の中でパターン化された型です。 それは今となっては古いもの、役割を終えたものばかりです。 更新の時期にきているのだと思いました。

渡邊 優
2025年12月11日
解ったつもり
私の中にある、解ったつもりになるパターン。それは俺様系のパターンです。 何度も折れて、それでも尚なくなることはないパターンです。 解ったつもりになる時それは、自分の中でそうかこういうことかと何かに気づいたあと、その気づきに執着すると、このパターンは解った気になり、できた気になって優越感を覚えます。 そうして自分に価値や賞賛を得たかったり、はたまた自分の脆さや弱さから目を逸らしたいのだと思いました。 そこで気づきに囚われるのではなく、次に進む。そのような心持ち、意識が必要だと思いました。 ということは気づきが本質なのではなく、気づきの先で私はどう在りたいのか、が本質だと思います。 「私」は解った気になりたいわけではないはずです。「私」はこの学びの真髄を追求し、そこを体験したいのだと思います。 そしてもう一つ、最近強く感じていることがあります。それはパターンを見るのではなく、観察し続けることが大事だということです。 気づきに囚われず、優越感にも同化せず、淡々と次に進む。 その姿勢こそが本来の在り方のような気がします。

渡邊 優
2025年12月10日
言われたくない
昨日は先生との個人セッションでした。 そこで気づかせていただいたのが、私の「言われたくない」というパターンです。 このパターンは、自分の内側のことを言われるのが苦手です。それは「分かっているつもりの私」や、「できているはずの私」を揺さぶられることへの恐れです。 指摘されると、どこか中心を奪われるような感覚が起こる。だから内側のことを言われたくなくなり、身構えてしまうのです。 しかし本当は、そこで揺れているのは 「私」ではなく パターンの側。 そして先生から言われたように、揺れた瞬間に立ち位置を変え、中心に戻ることこそが、強さの訓練なのだと理解しました。 指摘は痛いけれど、そこには必ず進歩の素材があります。 パターンは言われたくない、けれども「私」はそれを魂の進歩に変えていきたい。この二つがぶつかる瞬間こそ、学びが深まるところなのだと思います。 これからも、自分の中心を保ちながらパターンを扱える私へ育てていきたい。 そんな気持ちでいます。

渡邊 優
2025年12月9日
比較するパターン
他人と比較するパターンのことを考えていました。 他人と比較して優劣を競い、自分の勝ちを探し続けるパターンです。 その名も、誰にも負けたくない!というパターンです。こう聞くと何とも傲慢なパターンだと思われがちですが、私はこのパターンがどのようにしてできたのかを考えました。 長くなるのでだいぶ端折りますが、私がまだ中高生の頃、先輩や同級生にケンカに負けて、お金も奪われ、尊厳も踏み躙られ、身体も傷つき、負けたらこんな痛い思いをし、辛く苦しく、惨めな思いをするんだと学習しました。相手と私、どちらがいい悪いは置いといて、これがこのパターンの根底にある恐怖だと思いました。このような経験から、負けたら生きていけない、そんな思いからできた恐怖と不安のパターンでした。 そして今の私にとってこのパターンとは、今まで生きるために「私」の代わりに必死に働いてくれたのが、このパターンです。子供の頃から恐怖に襲われながらも必死に働いたのだから、もうこれからは「私」代わりに働いて、そしてこのパターンを救っていく必要があると思いました。 きっとパターンいうものは、このような歴史

渡邊 優
2025年12月8日
「私」は思考ではない
白黒ワークで行う、あ…私は脳ではないんだな、ということは、脳の中の記憶でも、思考でもないんだな、と思います。この内容が最近とても気に入っています。 私はふと気がつくと、何かしら思考しています。そしてその思考に気がついたときは先の一節を思い出して、これは「私」ではないとして、その思考をストップさせます。すると今の思考は何だったのか、と考えた時、私はこれをパターンが作る物語だと思いました。 頭の中で繰り広げられる物語、それはパターンの自己防衛であったり、パターンの望む他人や自分であったりと、パターンの望む結論や物語を作っているのだと思いました。そして大切なことは、それは何一つ事実ではないということです。だから「私」は思考ではない。「私」には事実を見抜く力があると思います。 ここに気がつくまでに随分時間がかかりましたが、これからは思考も観察していこうと思いました。 自分を見ていると色々教えられるので面白いです。

渡邊 優
2025年12月6日
楽を求める・・
私の「誰かに甘えたい」というパターン。 海にいる時や兄といるときなど、ちょこちょここのパターンが出てくるので観察しています。 そして最近よく分かったのは、このパターンは基本、楽を求めるのだなということです。 なぜならば、誰かに甘えられたらもう頑張らなくていいと思えるし、守ってもらえると思うし、努力しなくてもそのままでいいと言ってもらいたいと、それはつまり、楽をしたいから甘えられる相手が欲しいのだと思いました。 楽をしたい、甘えたい。それは自分の人生に起こる苦難を誰かの傘の下で守ってもらえる、そうパターンは信じるのだと思います。不安も、恐れも、心細さも、寂しさも、悲しみも、怒りも、誰かがその出来事を分かってくれたり、その出来事から守ってくれる、そんな甘えられる相手をパターンは欲しいのだと思いました。 なるほどな、と、今までの自分を当てはめると妙に納得できます。 このパターンも今まで通りケアをして、そして本当の自立に向けて、このパターンと共に「私」が立ち上がって生きていく。そんなイメージを持ちながら、しっかり語っていこうと思います。

渡邊 優
2025年12月5日
内側の努力
自分を見ていてわかることがあります。 それは、内側の努力、自分を変える努力をしてこなかったという事実です。 外側の努力は誰もがしています。それはノルマや数字、締切や期日や納期に間に合わすこと、形にすること、出世すること、お金を得ること、名声を得ること、発展、前進、そんな誰にでもわかる結果を出すことが努力だと思っていました。でもそれは外側に向ける努力であって、内側の努力、自分を変える努力とは違ったのです。 内側の努力、それは、このままじゃまずいな自分、これでいいのか自分、もしくは本当の自分の危機に直面した時(挫折など)本気で自分を変えようと思うことです。それは残念ながら自分にしかできことです。そんな自分を磨く努力が人格を作り、そして現実を作っていくのだと思いました。 しかし自分を変えずに現実だけを変えようとするのは、自分が追いついていないのでどこかで歪みが出ます。なぜなら、自分の在り方の鏡が現実だからです。なるほどな〜と思いつつ、今日も内側の努力を重ねていこうと思うのでした。 きっと人のやるべきことは、内側の努力だけかもしれないです。

渡邊 優
2025年12月4日
パターンの元
私のパターンである「間違えたら生きられない」というものですが、このパターンができた経緯を考えていました。それはまだ私が幼い頃、自分が間違えたことで父から怒られ、折檻にあい、それの繰り返しで「間違えたら生きらえない」というパターンが生まれたことでした。 それは一人じゃまだ生きられない自分を守るために、生かすためにできたものばかりです。親に見捨てられないように、嫌われないように、間違えないように、失敗しないように、怒られないようにと顔色を伺い、自分を守るため、自分を生かすために作ったパターンがほとんどです。 そう考えるとパターンの見方が変わってきます。それは、幼い頃に自分を守ってくれたものたちです。子供ながらに必死に守ってきたのです。この私という個をです。 そう思うとパターンとは裁かれる対象ではなく、愛すべきものたちだと思いました。ということはパターンとは愛されるためにあり、またパターンはその愛を教えてくれる存在だとも思いました。 パターンから学ぶことはまだまだありそうです。 そしてもう一つ、私はどうありたいのかも、ヒントを与えてくれそうです。...

渡邊 優
2025年12月3日
間違えたら生きていけない
普通はこうでしょ、こうあるべきでしょ、なんであの人はああなの。 自分の中から聞こえてくるパターンの声、これは一体何のパターンなのかと考えていました。共通するのは、相手を認めたくない、変えたいというもの。 何でなのだろう・・・と考えると。 自分が安心したい、自分が正しいと確認したい、もう一つ引っかかるのが、相手が普通じゃないと困ること、相手が変わってくれないと困ることとは何だろうと熟考すると、自分の間違えを認めたくない、というものがありました。相手が変わらない=自分の価値観が間違っているのかもしれない、そこに触れるのが怖いのだと。 自分が間違っていること、それは自分の存在の否定になるとパターンは思います。 だからパターンは正しくある=存在の安定を求め、間違うこと=存在が消える恐怖になるのだと思いました。そしてやっと分かったのが、間違えたら生きていけないというパターンです。だからパターンから見える他人の間違いも正したくなる。 間違えたら生きていけないというパターンですが、思い返してもこのパターンは幼い時からあるパターンだと思うので、時間をかけてケアを

渡邊 優
2025年12月2日
人として・・
最近自分の価値観の更新をするのにあたって「人として大事なこと」とはなにか、ということを考えています。人の持つ狡さや卑怯、誤魔化しや隠すこと、逃げること、嘘をつくこと、人のせいにすること、八つ当たりすること、これらは私も使ったことがあります。そしてそれを使うと、どこか後ろめたさが残ります。ということは、真理ではないということです。人の持つ良心がそれは違うと教えているのかもしれないです。 そしてその反対にあるのが、誠実さや素直さ、正直さや向き合う強さ、引き受ける責任感や自立心、逃げない誠意や誤魔化さない実直さ、忠実さや謙虚さなど、他にもたくさんありますが、人として大事なこととは、このようなことだと思いました。 そしてこれらは、お金や名声よりもよっぽ大事なことだと思いました。寧ろお金や名声というのは、これらの結果なのだと思います。 そして哲学や宗教というのは、この人として大事なことを教えているのだと思いました。 そしてそれができない状態、やれない状態がパターンでいる状態です。「昔は何言っちゃんてんの?綺麗事でしょ!」と本気で思っていました。だから、パタ

渡邊 優
2025年12月1日
繋がり
昨日は母方の祖父母のお墓参りに行ってきました。 畳屋の主人として90歳まで働いた働き者のお酒好きの祖父。人付き合いが上手で、買い物に行っては近所から仕事を貰って帰ってくる営業担当の祖母。この二人の好きだったものを持ってお墓参りに行ってきました。 今年は何となくですが、目に見えない方達から色々助けてもらった感覚があったので、そのお礼と感謝を伝えに行ってきたのです。 以前京都のツアーに行った際、案内してくれたお坊さんの話がとても印象的でした。 「あなた方の先祖には子供を産んですぐに亡くなってしまった方や、厳しい飢饉を乗り越えて何とか命を繋いでくれた方がいます。その繋いでくれた大切な命をしっかり生きてください。」というお話でした。そう言われるまで私は気づかなかったのです。自分の命というものは、与えられた命だということと、一人の力でここまで来たんじゃないということにです。そう思うとなんとも言えない有り難さと嬉しさ、そんな思いが湧いてきて、祖父母との繋がりを墓前の前で一層感じました。 パターンで生きていると自分のことしか見えません。ですから見えない人たちか

渡邊 優
2025年11月29日
あるな、と思ったこと。
昨日は先生との個人セッションでした。 そこで他人と比較するパターンについての話がありました。なぜ人は他人を気にするのか、それは他人と自分を比べて優劣をつけて勝ちたい、このパターンはそういうものだと。 家に帰った後このパターンのことを考えていました。自分にも あるな と。 私が以前グループに出ていた際、その時はずっと心の中で人と比べていたのを覚えています。自分は上か下か、勝っているか負けているか、その戦いは尽きることがなく、無意識に一喜一憂してはよく疲れていたのを思い出します。そしてこのパターンは自分も当然比べられていると思っているので、自分の開示を極端に怖がります。近況発表の際、見下されていないか、ばかにされていないかといつもドキドキしていたのを思い出しました。当時はまだパターンは良くないものと思っていたので余計にだったと思います。 今見てもそのパターンは変わらずそこにあり、たまに気にして比べるので、しっかり語りかけて白パターンを選んでいこうと思いました。 あるな、と思うこと、まだまだありそうです。

渡邊 優
2025年11月27日
目の前のことを
最近の自分のパターンの反応を見ていると、理想を求めることが多いなと実感します。 理想の兄を求め、理想の他人を求め、他にも理想の両親を求めるパターンもあれば、理想の自分を求めるパターンもあります。 あらゆることに理想を求め、それは尽きることがありません。理想を求めることは一見、やる気や目標を持つといった良いことに思われがちがちですが、パターンの理想は叶わぬ理想、妄想です。蜃気楼を追い求め、それが叶わないと知った時落胆し、悔しい思いをするのです。私も何度も味わいました。 そして最近意識したいと思っているのが、目の前の現実を受け止められる自分でありたい、というものです。 理想の兄ではなく、目の前の現実の兄を、理想の自分ではなく、現実の自分を、理想の両親ではなく、現実の両親を、そうしてあらゆる現実と向き合い、諦めていく。(諦めとは明らかに認めることと以前先生から教わりました)そして一番大事なのが、自分のパターンに対してです。自分のパターンを受け入れられるから、現実も受け入れられるのです。 自分のパターンを認め、そして目の前の現実も受け止められる自分であり

渡邊 優
2025年11月26日
甘え
自分は沢山の人に甘えてきたな〜、と振り返っていました。両親や祖父母や兄は勿論のこと、沢山の周りの大人にです。そしてそれは大人になってもパターンとして続き、先生や彼女や友人、そして甘えさせてくれない時には相手に腹が立ち、相手に問題があると思っていました。何ともパターンらしいです。 甘えが強い自分だから甘えについてはよくわかります。それは、他人に甘える人というのは、自分にも甘いし、他人にも甘いです。だから停滞感やモヤモヤ感は常にありました。それは、全ての人が自分の思い通りに甘えさせてくれるわけではないですし、何よりも本来の人の生き方とは外れているのでいつもスッキリできないのです。 だから必要なことは外に自分の支えを求めるのではなく、頼りになる自分となり、自分を頼りに生きるということです。私はそうありたいと思いました。 そして同時に、沢山の人に支えられて育てられ、甘えさせてもらった感謝は忘れずに、今度は私がそちら側にいくと決めたことです。 そしてまずは自分から、パターンが甘えたい時は存分に「私」に甘えればいいし、甘えたくない時は甘えなくていい。そのまま

渡邊 優
2025年11月25日
顔
久しぶりに自分の昔の写真を見ました。 まあ〜何とも恥ずかしいくらい生意気な顔をしています。 その顔を見ていて思ったのは、心は顔に出るんだな、ということです。 当時、20代〜30代頃の私の顔つきは、俺俺、俺様と、我が前面に出ていて、戦うモード、負けたくないモード、そんなイキっている顔つきをしていました。今思えばどれだけ自分を大きく見せて、舐められてたまるかと思っていたのを思い出します。そしてそのパターン(舐められたくない)は今でも変わらずそこにあり、変わったことといえば、以前よりもパターンが幾分か静かになったこと、そして幾分かコントロールできるようになったことです。 そして当時の顔と今の自分を顔を比べると、幾分か柔和になったようにも思います。 きっと人って、心の在り方がそのまま顔に出て、その人の雰囲気として現れるのだと思いました。 自分はどんな顔が好きかな?と考えた時、笑顔の素敵な顔でありたいと思いました。 穏やかな笑顔が自然と出る。それは作り笑いでも、苦笑いでもない、幸せな笑顔です。 そんな顔になれたら良いな〜と、写真を見ながら思うのです。

渡邊 優
2025年11月24日
清濁併せ持つ
「清濁併せ持つ」以前先生が仰っていた言葉です。 その必要性を最近感じています。(遅い) それは、ただ純粋で良い人なだけではダメだということです。 世の中には色々な人がいて、人の尊厳を平気で踏み躙る人もいれば、人を利用する人もいます。そこに対して、はい良いですよ。ではダメだということです。 黒パターンは兎角嫌厭されがちですが、時には黒っぽい白パターンを使い、強く出る凄みも必要だと思いました。 白パターンだけだと極端な話、バカになってしまうと思います。 それは黒パターンがあるからこそ、黒パターンの思考や狡さなどがわかり、そこに乗らない自分でいられますし、時に黒っぽい力も使うことができます。そういった使い分けが必要だと思いました。それは黒パターンが自分の中にあるからこそできることです。 黒パターンは自分を育ててもくれますが、人を見る目や人との関わり方にも大きく影響できると思いました。そして黒パターンはなぜあるのか?と考えた時、必要だからあるのです。自分を育てるだけではなく、人生のエッセンスにもなるのだと思いました。 清濁併せ持つ、それが本来の人の在り方

渡邊 優
2025年11月22日
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