top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

私は以前、こういった心の学びや真理の学びをしてくると、どこか人よりも上で、位の高い人間になると思っていました。

それは誰からも認められ、誰からも愛され、性格も温和となり、怒りなどなくなり、仏のような存在になる。ましてやカウンセラーとはそういうところに近い存在だと思っていたのです。


しかし学べば学ぶほど、自分を見れば見るほど、現実は全く逆で、どんどん現実の己を知ることになり、別に自分はそんなに大したものじゃない、そう思う様になったのです。

途中、全然大したことない自分を知り、理想の自分とかけ離れた現実の自分を知ると「自分はダメだ」というパターンが騒いで悶絶した時もありました。しかし、そこを超えてくると、諦めにも似たような、もう自分の中の何も変えられない、無理だ・・もうこの自分でいくしかない、そう思う様になったのです。


この自分というのは、傷つきやすくて、そのくせプライドが高くて、負けず嫌いで、弱虫で、ビビリで、すごい奴だと思われたくて、自分を大きく見せたくて、認められたくて、誰からも愛されたい、そんな黒パターンだらけの自分です。そんな自分の持つパターンを変えようとすればするほど苦しみは増すのでした。

きっと、そんな沢山の黒パターンを持つ自分にOKを出して、それを持ちながら何を選ぶのか、というところで努力しながら生きていくのが、成長なんだと思う。


大したものになる必要もなく(そもそもなれない)、だからと言ってダメなわけじゃない。

プライドや、見栄など、そういった鎧がまくてもそのままの自分でいい。そう思えたら素敵なんだと思う。

最新記事

すべて表示

一人の大切さ

一人でいることの大切さを、最近実感しています。 一人でいられるようになる。それは、自分の足で立ち、誰かに依存しないということです。 一人になるのが大の苦手な私だからよくわかります。常に誰かに支えてほしい、分かってもらいたい、守ってもらいたい、愛されたい、そんな甘えが今までは普通でした。 そして物理的に一人になっても、パターンは騒ぎます。一人が、孤独が嫌だと・・・寂しいと・・ そんな時パターンは誰か

プライド

何かを新しくはじめる時、自分を見ていていつも思うことがあります。 プライドが邪魔をするなぁ〜と・・ ダメだと思われてしまわないか、ジャッジされないか、見下されないか、なんでそんなことを気にする?と自分に聞いてみると、ダメ出しされて傷つきたくない・・・心が折れてへこみたくない・・・ そんな自分のプライドというパターンが、傷ついたり凹むのを怖がって、何かに挑戦するのを躊躇させるんです。保身という仮面を

嫌いということ

誰かが嫌いだと思う時、それが相手のせいなのか、もしくは自分の問題なのかで取り組み方が大きく変わると思います。 相手のせいだと思う時、その怒りの刃は相手へと向き、なかなか収まらないどころか日増しに大きくなっていく気がします。ですが自分の問題として受け止めた時、怒りは外に向けて暴れ回るものではなく、あるべき場所に収まる気がします。きっとパターンはちゃんと私に受け止めてもらいたい、そう願っているのではな

bottom of page