- 渡邊 優

- 3 時間前
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先日、パターンのことを考えている時に、ひとつ気づいたことがありました。
そうか、パターンは「許される」と思っているのだ、とです。
自分は他人から許される、愛される、認められる、受け入れられる、大切にされる、必要とされる。
そういう人物だと、パターンはどこかで思い込んでいる。
しかし、現実はそうではない。
だからこそ、思い通りにならないとショックを受けたり、悔しさが出てくる。
認められないと腹が立ち、受け入れられないと傷つく。
傲慢でありながら、同時にとても弱く、我儘でありながら、いつまでも満たされない。
まるで子供のように、内面は忙しく揺れ続けています。
自分の中にある甘えや驕りの正体を見たとき、力が抜けるような溜め息が出ました。
これが、まごうことなき現実の自分か、とです。
現実の自分を知るというのは、パターンにとっては残酷です。
なぜなら、自分はそうではないと思っていたり、見たくないもの、知りたくないものを、突きつけられるからです。では、誰がその残酷さを感じているのか。
それは、「わかったつもりでいるパターン」「できたつもりでいるパターン」達です。
これが、素直さや成長から遠ざけてしまうのだと思いました。
そう考えると、はっきりしてきます。
私が育てたいのは、そのパターンではなく、それらを見ている「私」なのだとです。

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