top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

「許す」この許すという行為。何かを許そうなどと、今まで意識して使ってこなかった。と思いました。全ての自分を許すなど、一見簡単なようですが、めちゃ難しい。それほど自分をジャッジし、他もジャッジして生きていたのだと思います。


寧ろその逆、あんなことを言われて許さない、もしくはこんな自分じゃダメだ許せない、こちらの方がずっとずっと使ってきたと思います。そしてその感覚はしっかりと覚えていて、許さない、許せない状態というのはその物事に囚われて考え、ストレスを感じ、苛々して苦しく、辛いもの。感情的にも復讐心ややり場のない怒りを覚え、心身ともに疲弊する。これは非常に狂おしい状態でした。


しかしその逆の許しには、囚われた自分を自由にし、解放感を与え、勿論ストレスも感じず、軽やかでたおやかな自分へと、自然と誘っているようにも思います。


昔読んだ本にこんなことが書かれていました。「プラトンやソクラテスが唱えていた幸せの定義とは、真善美に触れている時、人間というのは幸せを感じる、そういうものだ。それが今では酒を飲んで皆と騒いだり、好きなことをすることが幸せだと勘違いしている。幸せとは個人的なものではないのだ」


真善美に触れている時、幸せを感じる。これは、分かる気がします。

きっと許しも、この真善美に間違いなく入っている、そんな気がしました。

最新記事

すべて表示

魅了されている・・

自己の執着の源を発見するに従って、私たちは自分自身に魅了されているという、極めて重要な驚くべき発見にいたります。 私、真実と主観性より これを読んだ時、自分のパターンそのままだと思いました。 すごいと思われたい、負けたくない、自分は正しい、自分の方が上、思い通りじゃなきゃ嫌だ、全て自分に魅了されている言動です。まるで世界が自分中心で回っているかのよう!現実はそうではないのにです。実際は負けることも

心のカラクリ

昨日は心のケア講座にご参加くださりありがとうございました。 講座では心のカラクリをお伝えしていますが、私が初めて心のカラクリを学んだ時のことを思い出しました。それは私が初めてカウンセリングを受けた日のことです。その時カウンセリングの先生から、丁寧に優しく図を書いてもらって習ったのを覚えています。そして暫く大事に大事にその紙を持っていました。きっとこれが自分を助けてくれる、救ってくれると何とはなしに

ただそこにあるものとして

パターンに対して、パターンはいけないもの、ダメなもの、利己的で不快なもの、自他に迷惑をかけるもの、以前はそんな風に捉えていました。だってパターンのせいで苦しい思いもするし、怒られるし、まだ自分はそんなことに囚われているのかと自分を責めてしまうし、自分のレベルの低さを思い知ってしまい、そんな自分が受け入れられないし嫌だったんです。 でもパターンって本当に子供で、彼らが求めているものは、愛されたいとい

bottom of page