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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 3月28日
  • 読了時間: 2分

先日ネットを見ていると、「他人と比較して辛い」という記事が目に止まりました。

これは私にも多々経験があり、とても共感できます。


他人との比較で自分が劣っていれば、自分をダメだとみなして辛くなり、

逆に優っていれば、安心感や優越感を得る。そんな構造です。

しかし、この「比較」というものも、プラスとマイナスの意味づけができるのではないかと思い、整理してみました。


比較

パターンが比較していることに気づく/比較して辛い気持ちがわかる/自分の現在地点を知る/見習う/参考にする/学ぶ機会になる


ただ一つの事象


優劣をつける/卑しい行為とみなす/自己嫌悪になる/認めるのが辛い/苦しい/落ち込む/がっかりする/エゴ/パターン


最初、私はマイナスの意味づけばかりが浮かび、プラスの意味づけを考えるのに苦戦しました。

ということは、それだけパターン側に寄っていたということです。


そして気づいたのは、同じ「比較」という一つの事象でも、両方の意味づけができ、どちらも選択できるということでした。ここに、可能性や自由さがあります。


パターンから見れば、比較は辛く卑しい行為かもしれません。

しかし、別の角度から見れば、それは自分を知り、学ぶための機会にもなります。もしかすると問題なのは「比較そのもの」ではなく、そこにどんな意味を与えているのか――なのかもしれません。


そして最も大事なことは、誰が、比較をしているのかということです。

ここを見落とすと本質が疎かになりかねません。

負けたくないというパターンなのか、自分は正しいというパターンなのか・・

自分ごとのように、そこをしっかりと見極めていきたいと思います。

 
 
 

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