top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

一匹狼。

その在り方をまざまざと見せてくれたのは他でもなく、バレエの先生でした。

私のクラスの先生は、普段はプロのダンサーとして活躍しており、全国のツアーに参加しながらその合間に私たちにバレエを教え、自身も練習するという生活をしています。

そんな先生同士が馴れ合ったり、依存している姿は見たことがありません。

もちろん信頼関係があると思われる会話は聞こてきますが、自分のことを淡々とやるその姿は、圧倒的なプロの世界。プロ意識とは一切パターンの入る隙がなく、自分のことを淡々とやり、結果を出していく。そんなことの様に思いました。


そんな先生の姿は生き方に通じていて、自分の人生だけは自分で創るしかない、この努力だけは誰かに手伝ってもらう訳にはいかない。

いや、手伝ってもらうことができない。代わりにやってもらうこともできない。

そんな当然のことを、パターンの入る隙なくやっている姿は平然としていて、当たり前の様にも見えます。


これがプロか・・・と感動しました。

そして生徒たちに教えるときはそのレベルまで降りてくる。

圧倒的にレベルの低いところまで降りてきて教える。

それができるのもまたプロなのだと、まざまざと教えられた気がします。

この様な新たな在り方を毎々教えられ、考えさせられ、良い経験をさせてもらえるのもまたバレエなんだなと。


奥が深いな、バレエ。



最新記事

すべて表示

人生の指揮権

誰が人生の指揮権を握るのか・・・ パターンか、「私」か、無意識か意識的か、その大きな違いを最近実感しています。 パターンが生み出す感情を、昔、自動感情と言っていた方がいました。だからその感情に飲み込まれても仕方がないと。以前の私なら、うん、そうだ。と納得し、仕方がないこととして処理していたのだと思います。そしてその感情で行動し、もしくは我慢して、その都度苦しい思いをして、仕方がないと自分に納得させ

やりこむことが大切なのかも

傷つきたくない、というパターンが私にはありますが、その反対にあるのが、傷ついてもいい、という白パターンです。ですが中々これは直ぐには選べないので、もう一つこの手前にある白パターンが、もしかしたらもう決めつけなくてもいいのかもしれない、という白パターンです。誰かが怒って何か言ったとしても、もう傷つくと決めつけなくてもいい、というものです。 この意味が最初はわかりませんでした。だって傷つくもん・・・と

認められたい

●認められたい。 なぜならば、認められたら自分に価値を感じられるし、自分の頑張りが報われた気がするし、自信にも繋がると、と、私のパターンは言います。 そこで反対の白パターンを考えた時、○もしかしたらもう、他人に求めなくてもいいのかもしれない。と考えました。なぜなら「私」が認めていくから、というものです。それは、他人に認められなくても私はやっていきたい、頑張りたい、という魂の叫びのようなものです。他

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page