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  • 執筆者の写真渡邊 優

これを選んだから大丈夫とか、これを持っているから安心とか、そういった絶対はないのだと思いました。これで大丈夫ということは何もないのだと。

けれど、パターンは絶対を求めてしまう。絶対安心できるもの、絶対大丈夫なもの、絶対失敗しないもの、絶対間違いのないもの。絶対、絶対。その保証があれば傷つかないでいれたり、間違って惨めな気持ちにならずに済んだり、失敗して苦しい思いをしないで済む。だから、パターンは絶対大丈夫なものを求めてしまうのだと思いました。


しかし残念ながら絶対などという世界はどこにもなくて、その絶対のない世界で大切なのがきっと、「私」を使って快・不快の判断をするすること、いわゆる直感であったり、絶対がなくても大丈夫を選ぶことだったり、保証など何もない世界で自分を支えていくことなのだと思う。


もう絶対を求めなくてもいい。

傷ついても間違ってもいい、前に進められる自分になろう。



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