top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

もう他人に自分を差し出さないと決めてから、自分の在り方だけを見つめればいい、そう思う事が増えました。自分の在り方とは、他人の評価を気にしたり、他人の顔色を伺ったり、他人にどう思われることを気にする在り方なのか、もしくは自分が強くなりたいのか、勇気を持ちたいのか、優しくなりたいのか、そんな在り方を土台としての自分を育てる、自分が主体としての在り方をしたいのかです。


他人主体なのか、自分主体なのかです。

自分主体となると、自己中心的と思われがちですが、他人を使った自己中心的ではないので、周りには迷惑をかけないはずです。ですから本来の自分主体になると、自分自身とその人生を作っていくので、その元になる在り方が大事になってくるのだと思いました。


自分に目を向けるとは、やもすると自分の悪いところを見て反省しなさいと、パターン的には思いがちです。しかし広義の意味で自分に目を向けるとは、自分の在り方を考えなさいという意味だったのです。良くも悪くも、在り方次第で全て変わってくるからです。


この元となる自分の在り方。

しっかり見つめていこうと思います。

最新記事

すべて表示

人生の指揮権

誰が人生の指揮権を握るのか・・・ パターンか、「私」か、無意識か意識的か、その大きな違いを最近実感しています。 パターンが生み出す感情を、昔、自動感情と言っていた方がいました。だからその感情に飲み込まれても仕方がないと。以前の私なら、うん、そうだ。と納得し、仕方がないこととして処理していたのだと思います。そしてその感情で行動し、もしくは我慢して、その都度苦しい思いをして、仕方がないと自分に納得させ

やりこむことが大切なのかも

傷つきたくない、というパターンが私にはありますが、その反対にあるのが、傷ついてもいい、という白パターンです。ですが中々これは直ぐには選べないので、もう一つこの手前にある白パターンが、もしかしたらもう決めつけなくてもいいのかもしれない、という白パターンです。誰かが怒って何か言ったとしても、もう傷つくと決めつけなくてもいい、というものです。 この意味が最初はわかりませんでした。だって傷つくもん・・・と

認められたい

●認められたい。 なぜならば、認められたら自分に価値を感じられるし、自分の頑張りが報われた気がするし、自信にも繋がると、と、私のパターンは言います。 そこで反対の白パターンを考えた時、○もしかしたらもう、他人に求めなくてもいいのかもしれない。と考えました。なぜなら「私」が認めていくから、というものです。それは、他人に認められなくても私はやっていきたい、頑張りたい、という魂の叫びのようなものです。他

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page