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  • 執筆者の写真渡邊 優

他人の評価が怖いという黒パターン・・・

それは他人からどう見られているのか、笑われていないか、見下されていないか、心の中でダメだしされていないか、そんな他人の評価が気になって、怖くて、不安でしょうがない時がありました。

それは自信をなくすだけではなく、他人との付き合いもどこかぎこちなく「勝ち負け」という領域で他人も自分もジャッジしていたと思います。


パターンからしたら、他人からの悪評で負けた気になるのが嫌だったのでしょう。それに、傷つくのも嫌だったのでしょう。いずれにしても、他人よって自分が支えらているということになります。

それはとても苦しい。なぜなら、他人の評価で自分が決定されてしまい、自分を蔑ろにしてしまっていたからです。


それは自分に失礼でもあるし、他人との関係も失礼だと思いました。

なぜなら、違いを受け入れていないからです。


もう他人の評価に囚われて、自分を苦しめるのはやめよう。

これは、選び続けていきたいところ。

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