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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2022年12月12日
  • 読了時間: 2分

自分を見ていて最近思うのが、プライドって厄介だな〜と思うんです。

私の場合、間違いやミスをしたとき、いつまで立ってもウジウジとそのことを考えて、自分を責めるんです。プライドというパターンが自分を許さないんですね。プライド自体が自分のハードルを上げているので、プライドにそぐわない自分に対しては、自分はダメだと言って自分を責め、傷つけます。もしかしたら自分はダメだと言っていたパターン自体が、プライドだったのかもしれません。


最近そのことに気づいてからは、ミスや間違いをした際は「今度からは気をつけよう」それだけに止めるようにしています。その方がよっぽど健全で、正しく生きていかれる気がします。それは過去にとらわれずに、今選ぶものとこれからの自分を優先しているので、心身が前向きになれるんです。


何となくですが、昭和の日本人には「反省することの美学」があるような気もします。

昔の学校では、反省のために廊下に立たされたり、反省文なるものを長々と書かされたのを覚えています。きっとそんな色々な体験から、長く反省することが良いことだと意味付けしてきたのかもしれません。反省は大事です。しかし反省しすぎるのも、自分を停滞させる原因となります。


反省は一回ちゃんとしたら、もう次に進むのが本来の在り方だと思いました。

私の場合、プライドというパターンはあらゆる自分に波及しています。

その一つ一つをしっかり見て、あらゆるワークや手法を使いながら、逃げずに向き合っていくことが、大事なことだと思いました。



 
 
 

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