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  • 執筆者の写真渡邊 優

人が成長すること、それは何を言われても平気な心になるわけでもなく、嫌なことが起こらなくなるわけでもなく、どんなことが起こっても一切引っかからない自分になるわけではないんだなと思いました。(今までは思っていた!)


生きていれば嫌な事も、人と交われば不快なことも、思い通りにいかない色んなことが起こるのが人生だと思います。しかし、そんな不快な状態、不機嫌な状態、辛い状態から自分を立て直せるようになること、自分を支えられるようになることが人の成長なんだと思いました。


今思えば不快なことや嫌なことが起こると、いつまでも引きずって誰かに同調してもらうまで自分の気持ちが収まらなかった気もしますし、何かにすり替えないと(人のせいにしたり、お酒を飲んだり、他に楽しいことをしないと)自分が保てなかった気もします。


もしかしたら強い心というのは、鋼の心ではなく、自分を支えられる強さなのかもしれない。

この自己探究という道がどこに続いて、どんなプロセスがあるのかサッパリ分かりませんが、少しづつ少しづつ自分の確かな成長を感じられている今に生命力を感じます。


人が成長し変わること、それは周囲を変え、そして人生を変えるのかもしれない。




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