top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

自立するということは、自由になることだと思います。

誰の評価を気にするわけでも、誰からの承認もいらない、自分の理解だけあればよい。

そのような自分の世界を生きていける自由があるのだと思います。


誰からも理解を得られないことに少しの不安を覚えるかもしれないし、誰からも賛同されないことに迷いが生まれるかもしれない。しかし、自分のやりたいことに対して誰の理解や賛同が必要なのだろう?

最初の一歩の背中を押してもらいたい?君なら大丈夫だと自信がつく言葉をかけて貰いたい?否、関係ないでしょう。自分を生きるということはそういうことではない。自分で自分の背中を押せばいいし、自分を前に進めて少しづつ自信もつけていけばいい。そこに他人はいらない。


それでも他人からの評価でパターンが引っかかる時もあり、思い通りにならない時にもパターンが引っかかりと、でもその時はまたワークをやって自分を楽にしていけばいい。

そこに、自由があるのだと思いました。


全てが思い通りになる自由ではなく、自分で自分の面倒を見ていける自由。

新たな自由の発見です。

最新記事

すべて表示

あっぶね!パターンだった

この一週間、パターンを調教するにあたって戦い続けてきたわけですが、それが、パターンがパターンを調教していたということがわかりました。「自分は弱い」というパターンに対して、「強くならなければいけない」というパターンが戦っていたわけです。先生に教えてもらいました。 朝起きていきなり戦っていたわけですから、通りで朝からイライラしていたわけです。 そして改めて本当の「私」の立ち位置、スタンスを改めて確認し

やり続ける、それが普通になるまで

自分を見ていて思うことがあります。 パターンは強いなと。元来黒いエネルギーなので強いことは強いのですが、思考を乗っ取るほどのパターンの言い訳やら思いは本当にとめどなくあり、黙りなさい等々を連発して都度パターンから私へと意識を戻しています。 それはまるで合戦のようで、私かパターンかの主導権争いです。 ここは負けられない戦いです。優しさでも、理解でも手懐けられなかった私の暴れ馬たち。 今思えば当然かと

自分が嫌い・・

自分が嫌いだというパターン。 もう随分前に語りかけていましたが、今改めて「自分のことが嫌なのか・・」と考えていました。そしてパターンは「自分が嫌い」なのだという思いに至りました。 何で嫌なのかと聞いてみると、弱いところも、バツが悪い自分を隠すところも、そうやって保身で生きているところも、堂々と出来ずに虚勢を張るところも、そんな自分がパターンは嫌なんです。 本当は堂々と生きたいし、自分に尊厳を持ちた

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page