top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

早いものでもう年末です。

私も昨日から大掃除をしたり、実家に帰省する際のお土産の買い出しをしたりと、新年に向けての準備をしております。そして今年一年を振り返ると、パターンに始まってパターンで終わるという一年でした。この年末においても自身のプライドという大きなパターンとも向き合い、来年への布石を感じられる年末にもなりました。故に、確かな手応えを感じた年でもあります。


特にこの学びをしていると、どこか自分が特別で、高尚な気にもなっていたと思います。しかし今改めて考えると、この学びは特別でも何でもなく、宇宙の摂理に乗っとって生きるという、ごくごく当たり前の、普通のことを教えているのだと思います。その普通と言うことが、一番大事なのかもしれません。


そういう意味でも、パターンが求める特別ではなく、普通の人間になるということはとても大事なことのように思いました。そんな当たり前で大切なことを、おぼろげながらも感じられた一年でした。


この宇宙に感謝しながらも、また来年も普通に生きて、普通に学んでいこうと思います。そのためには今まで通り淡々と白パターンを選び続け、実践し、その後は天に委ねていく。もう思い通りにしない、ということが、大事なことのようにも思いました。


本年も大変世話になりました。

明日30日より〜新年1月4日まで日記はお休みいたします。

どうぞ皆様方においても、お体には十分気をつけて、良き年をお迎えください。



最新記事

すべて表示

人生の指揮権

誰が人生の指揮権を握るのか・・・ パターンか、「私」か、無意識か意識的か、その大きな違いを最近実感しています。 パターンが生み出す感情を、昔、自動感情と言っていた方がいました。だからその感情に飲み込まれても仕方がないと。以前の私なら、うん、そうだ。と納得し、仕方がないこととして処理していたのだと思います。そしてその感情で行動し、もしくは我慢して、その都度苦しい思いをして、仕方がないと自分に納得させ

やりこむことが大切なのかも

傷つきたくない、というパターンが私にはありますが、その反対にあるのが、傷ついてもいい、という白パターンです。ですが中々これは直ぐには選べないので、もう一つこの手前にある白パターンが、もしかしたらもう決めつけなくてもいいのかもしれない、という白パターンです。誰かが怒って何か言ったとしても、もう傷つくと決めつけなくてもいい、というものです。 この意味が最初はわかりませんでした。だって傷つくもん・・・と

認められたい

●認められたい。 なぜならば、認められたら自分に価値を感じられるし、自分の頑張りが報われた気がするし、自信にも繋がると、と、私のパターンは言います。 そこで反対の白パターンを考えた時、○もしかしたらもう、他人に求めなくてもいいのかもしれない。と考えました。なぜなら「私」が認めていくから、というものです。それは、他人に認められなくても私はやっていきたい、頑張りたい、という魂の叫びのようなものです。他

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page