top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

許しとは、について考えていました。

自分に対してこうあるべき、というものが強ければ他人にもそう思ってしまいますし、今まではこうだったや、普通はこうでしょというものが強ければ、なかなか「許し」というものを体現できないと思います。寧ろ否定や追求の方が実社会では多いかもしれません。しかし人間というのは失敗もするし、年を取れば物覚えが悪くなったり、物忘れもひどくなったり、目も悪くなったり、今まで出来ていた事が徐々にできなくなります。それでも、そんな自分を許していく。それは自分に対して愛の手を差し伸べて救っているような感じがします。

こうやって一つ一つ自分を許して行った時、きっと他人も同じように許せるのでしょう。

きっとそこには凝り固まった固定観念というものはないのかもしれません。それほど自由な感覚があります。


自分を許せる者だけが他人をも許せる。それは誰かを救うことになるのかもしれません。

それほどの深い愛が、許しにはあるのだと思います。

最新記事

すべて表示

2ヶ月ぶりのセミナーに参加しています。 いつもの2ヶ月よりも随分と時間が経った気がします。そしてこのセミナーでまたモチベーションを上げて、粛々と自分と向き合い、ケアできていなかったパターンをケアして、新たな白パターンを選んで行動していく。それは実はすごく単純なことだと思いました。 きっと難しくしているのは私のパターンで、まだどこかで自分のパターンを許しきれていないパターンがあるのだと思います。 そ

こう書くと誤解を招くかもしれませんが、自分に起こる出来事って、自分で招いているのではないか?と思っています。私が最近騒いだパターンで、利用されたくない、というものがあります。ですが、ハッキリと断らなかったり、NOを突きつけなかったのは自分の問題で、どうぞ私を利用してくださいと自ら表明しているようなものだと思いました。 私自身この学びをしていると、誰でも受け入れられて、誰にでもいい人で、素晴らしい人

哲学の大事さを最近痛感しています。 哲学というと難しく考えがちですが、例えば、自分にとっての仕事とは、家族とは、友人とは、成長とは、趣味とは、など、生きていく上での指針となり、また過去の体験や学びから導き出された、自分の規範ともいうべきものです。 そこをちゃんと考えて、今後の自分の生活や仕事に活かしていく。そうして初めて哲学というものが生きてくるのだと思いました。そこは考えるだけでも、座学だけでも

bottom of page