• 渡邊 優

許しとは、について考えていました。

自分に対してこうあるべき、というものが強ければ他人にもそう思ってしまいますし、今まではこうだったや、普通はこうでしょというものが強ければ、なかなか「許し」というものを体現できないと思います。寧ろ否定や追求の方が実社会では多いかもしれません。しかし人間というのは失敗もするし、年を取れば物覚えが悪くなったり、物忘れもひどくなったり、目も悪くなったり、今まで出来ていた事が徐々にできなくなります。それでも、そんな自分を許していく。それは自分に対して愛の手を差し伸べて救っているような感じがします。

こうやって一つ一つ自分を許して行った時、きっと他人も同じように許せるのでしょう。

きっとそこには凝り固まった固定観念というものはないのかもしれません。それほど自由な感覚があります。


自分を許せる者だけが他人をも許せる。それは誰かを救うことになるのかもしれません。

それほどの深い愛が、許しにはあるのだと思います。

最新記事

すべて表示

外側から派生して自分の中で起こること、腹立たしさや苛立ち、悔しさ、なんとも言えないもどかしさ、分かってもらえない苦しさ、受け入れてもらえなかった悲しみ、嫌われた寂しさ、一人きりの惨めさ、そんな自分の中に沸き起こる全てのことを自分で引き受けていく。そのことを改めて実感するセミナー1日目でした。 なぜ引き受けなければいけないのか・・ 引き受けないでいると、 寂しさに耐えられずに、他人を利用して自分の側

今日はこれから茅ヶ崎グループのセミナーです。 前回のセミナーはコロナに感染したためお休みしましたので、約4ヶ月ぶりの学びになります。 この4ヶ月どうだったかと言うと、ごくごく普通の毎日を過ごしていました。 その中でコロナに感染したり、肋骨を折ったりしたので家にいる期間が長かった分、自分に向き合う時間も、物事を考える時間も多かったように感じます。 特に思考には注意を払って見ていました。この思考はどこ

先日、ある方から食事に行こうと誘われました。しかしその方と食事にいくと話が長くなるのでいつも断っていました。そして今回も断ったのですが、断った際に自分の中で違和感を感じました。断ることに躊躇している自分がいたんです。なぜ躊躇していたのかというと、断ったら嫌われるんじゃないか、冷たくされるんじゃないか、自分が傷ついて一人になるんじゃないか、そんな思いがありました。だから躊躇したんです。 そんな断る、