• 渡邊 優

許しとは、について考えていました。

自分に対してこうあるべき、というものが強ければ他人にもそう思ってしまいますし、今まではこうだったや、普通はこうでしょというものが強ければ、なかなか「許し」というものを体現できないと思います。寧ろ否定や追求の方が実社会では多いかもしれません。しかし人間というのは失敗もするし、年を取れば物覚えが悪くなったり、物忘れもひどくなったり、目も悪くなったり、今まで出来ていた事が徐々にできなくなります。それでも、そんな自分を許していく。それは自分に対して愛の手を差し伸べて救っているような感じがします。

こうやって一つ一つ自分を許して行った時、きっと他人も同じように許せるのでしょう。

きっとそこには凝り固まった固定観念というものはないのかもしれません。それほど自由な感覚があります。


自分を許せる者だけが他人をも許せる。それは誰かを救うことになるのかもしれません。

それほどの深い愛が、許しにはあるのだと思います。

最新記事

すべて表示

もう抗わない

「思い通りにしたい」「思い通りじゃなきゃ嫌だ」「思い通りの自分じゃなきゃ嫌だ」 この私のパターンは、目の前の現実、もしくは現実の自分に抵抗し、抗っているのだと思いました。現実という世界に抗えば抗うほど、苦しさ、悔しさ、もどかしさは強くなり、それはまるで川の流れに逆らって泳ぐかの如く、もがき苦しむようです。 それは時に理想の自分像を追ってみたり、理想の結果を求めてみたりと、現実とは違う、何か理想郷的

夫婦喧嘩は犬も食わない

両親がめっちゃ夫婦喧嘩をしているんですね。 その模様が毎日LINEで父、母の両方から飛んできます。 その二人の内容は、お互い怒りに満ち満ちており、できる限り聞くようにしていますが、その度に私のパターンは騒ぐのです。 特に父に対しては「もっと母に優しくしてほしい」「もっと母を理解してほしい」このあたりが騒いでどうしても母親の肩を持ってしまう。 そうするとイラッとして、腹が立って、三行半をつけてしまう

待つということ

自分を待つ。 自分の成長を待ってあげる。この意味が当初理解できませんでした。 結果と成果が重視される社会にどっぷりと浸かっていた自分には、自分を待ってあげるということがどういうことか理解できなかったのです。 自分の成長、成果、結果をもっと早く手に入れたい。 そのあまりに慣れ親しんでいたパターンは、何事にも行動が必要で、努力があって、それに対する目に見える結果という対価が必要だと信じていたのです。