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  • 執筆者の写真渡邊 優

自己探求とは、私にとって自分を支えるものであり、救いであり、進化であり、生きる喜びです。

他者に視線を置かずに自分に目線を向けることが、これほど面白く、魅力的だとは始めた当初は全く思いませんでした。


それもそのはず、最初は自分を見れば見るほど目に余る自分を知ることになるので、自分自身をジャッジし、自分を見るのが嫌になるというループに嵌っていたからです。

きっとこのジャッジは以前は無意識に行っていたことと思います。

無意識のうちに自分にダメ出しをして、自分を痛めつけていたようにも思います。


一般的には、こんな自分ではダメだと自分に厳しくして、こうあるべきと自分に課すことが成長だと思われます。しかし自己探求をすればするほど、それが全く逆のことだと思うようになりました。

自分にダメ出しをせず、それもあっていいと自分を許し、もうそこに(こうあるべきに)囚われるのはやめようと、新たな白パターンへと選びかえる。


そこには自由や解放感があり、安堵感さえも感じます。

これでいい、今の自分から始めればいいんだと。


しかし自分にダメ出しをすると、自己嫌悪や恥ずかしさを感じ、自分が情けなくもなります。それは自分に対する理想や、自分が思い描いていた自分との違いに落胆したからです。


自己探求は現実を知るということでもあります。

理想の自分でも、思い描いた自分でもない、そのままの自分です。


そのままの自分を受け入れ、許すからこそ、本当の次のステップが踏めるのだと思います。

だから、救いであり進化のだと思う。





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