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  • 執筆者の写真渡邊 優

大人になる、体だけではなく、心も、精神も大人になる。

大人になるって、自分で自分のパターンの面倒みていくことだと思いました。

パターンは兎角他人に依存して、自分のパターンの面倒みてもらおうとします。

認めてもらいたい、理解してもらいたい、愛されたい、守られたい、受け入れられたい、大切にされたい、しかしそれらは普通の社会ではもらえないのが当たり前です。しかし幻想を求めてしまう。なぜならパターンだから・・・自分が満たされればそれでいい、とてもエゴイスティックな発想です。


大人になるとは、そんなエゴイスティックなパターンを自分で面倒を見て、自分に責任を持つことだと思いました。そしてパターンに頼らずに生きていくことが、大人になり、自立することだと思います。


パターンで生きてきた分、最近そんなことをよく考えます。

パターン同士はなぜか引き合い、お互いに依存関係をきずいてしまいます。類は共を呼ぶのか、似たもの同士なのか、そこではお互いパターンに気付けずに自分の正しさが優ってしまい、盲目になってしまうのです。まるで罠かのように。


そうならないためにもまずは自分に気づくこと、そのためには自分をよくよく観察すること。

どんな粒さな感情でも感覚でも見逃さず、しっかりと自分を見て感じて、目覚めている自分であることが、ちゃんと生きる一歩なのだと思いました。


大人になろう、せめて自分のパターンの面倒だけでも自分で見れる私となろう。



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