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  • 執筆者の写真渡邊 優

他人からの自立、彼女からの自立。

それは他人と、彼女への依存からの卒業ですが、この依存といものは、とても危険なものに思えてきました。


"依存"この私のパターンは、「嫌われたくない」「捨てられたく無い」「愛されたい」「大切にされたい」「認められたい」「一人では生きていけない」等々というものですが、嫌われたくない、捨てられたくない、愛されたい、認められたいが故に、他人や彼女の都合のいい人になってしまうというものです。


これは他人に自分を差し出してしまい、自分を大切にしないどころか、自分の人生を生きていないということでもあります。それは自分の可能性を自ら潰し、本来あるべき自分の力を使って生きていないということであり、「私」本来の人生の目的と大きく逸れていると思いました。


きっと本当の「私」は「私」の普遍的な資質を使い、「私」を表現して生きていく。それは今生での一つの目的でもあるの思うのです。


しかも、他人に依存してしまうと、他人次第という振り回される生き方になってしまい、本来の在り方から大きく逸れてしまいます。


さらに言えば、相手も都合のいい人間に依存し、共依存の関係になってしまう。


これではお互いに成長するどころではなく寧ろ、弱さや脆さを助長し、依存を強くしてしまうため、この関係性は非常に危険な、諸刃の生き方のように思いました。


益々自立しなければ!そんな風に思った次第です。

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