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  • 執筆者の写真渡邊 優

自分の中にあるネガティブなものたちに何を与えるのか・・・


そもそも自分の中のネガティブなものを中々見ようとしませんでした。

ネガティブはいけないもの、ダメなものと決めつけ、ジャッジしていたからです。

そうすると当然与えるものは決まってきます。裁きに軽蔑、許されざるものとして自分の中に押し込め、見て見ぬ振りをするんです。なかったことのように。


そうするとそれはどんどん大きくなり、常に怒りを抱えたような、悶々とした鬱積だけが心に残っていました。きっとそれは、救われずにいたパターンたちの嘆きだったのです。


しかし、そのネガティブなものたちに理解や受容という光を与え、癒していくうちに、それはらはあっていいものとして許され、少しづつ少しづつ落ち着いていきました。


少しづつですが、その子達にも笑顔が戻ってきたようにも思います。安心したような、満足したようなそんな笑顔です。


自分に何を与えるのかはとても大事なことだと思います。

裁きや否定なのか、理解や許しなのか、それによりネガティブなものたちの質が変わります。


何を与えていくのか、もっともっと光を与えていいのだと思う。


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