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  • 執筆者の写真渡邊 優

主体性、それは他人ではなく自分です。

自分を見ていて思ったのは、他人の顔色を伺ったり、他人から嫌われないようにしたり、他人の評価を気にしたり、認められよう、受け入れられようとしている時、主体性は他人になっています。自分がどうしたいのか、どうありたいのかはおざなりにされ、他人中心の自分の在り方になっているんです。

これって、自分を大切にしていないことだと思いました。


本当に自分のことを思うなら、自分がどうありたいのか、どうしたいのかが一番に来なくてはなりません。パターンでいるということは、自分をどこかに置いてきているようなものです。


意識的になって自分で考え、選び、決めていく。そこに他人は関係ないのだと思いました。

あくまで自分が主体となって決めていく。それは、俺が俺がと前に出るような主張ではなく、淡々と、そして粛々に自分のことをやり、また自分の役目を受け入れ、それに徹していく。


そんな主体性を持とうと思います。

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