top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

先日の道場の日記に「パターンの思考」というものが書かれていました。

これ、本当によくあることで、自分の正しさを納得したいがために、ひたすら自分の正当性を考えたり、誰かに自分の正しさを共感してもらいたかったり、そんな自分の正しさを認めてもらい、安心したいと、パターンは思っているのだと思います。かくいう私も、まだまだそういうところがあります。


しかしどれほど考えても、どれほど話しても、納得することはありませんでした。腹落ちしていないのです。それはきっと「自分は正しい」というパターン自体がケアされていないからだと思います。

それと同時に、本当の意味で、パターンは他人ではケアされないのだと思いました。

どれだけの慈悲をもらっても、どれだけ共感をされ安心しても、時間が経つとそれは薄れ、忘れていきます。


私の世界の王である本当の私が、民であるパターンを愛さなければ、民たちも納得しないのだろうと思いました。自分のことは自分にしかできない。これもまた真理なのだと思います。


あらゆる場面で出てくる「自分は正しい」

しばらくこのパターンのケアに時間を使おうと思いました。

最新記事

すべて表示

やっと朝晩が涼しくなってきました。 今朝は特に清々しい朝で、頭もスッキリして気持ちよく目覚めることができました。 この気持ちよく目覚めること、これすごく大事なことだと思います。 何かを思い悩み、寝不足になった時はなかなか清々しい朝を迎えられませんし、怪我や病気の時もそうです。しかし今、こうして気持ちのいい朝を迎えられるということは、とてもラッキーで恵まれていると思うんです。そのことに感謝しながら、

ここ最近講座を行っていますが、なんでこういうことをやろうと思ったのか、またなぜ今までやってこなかったのかを考えていました。 今までは、自分には自信がない、自分には無理だと言い訳をして、ただ楽がしたかったのだと思うんです。新たなことにチャレンジしなければ人目に晒されることもないし、他人からの評価やジャッジを受けることもない、したがって傷つくこともないから、一歩を踏み出さなかったのだと思います。 かと

パターンの王様、思い通りじゃなきゃ嫌だ。 最近自分を見ていて、そしてこのパターンを集中的にケアしていて思うことは、人の持つ苦しみのほとんどが、この「思い通りじゃなきゃ嫌だ」のパターンではないかと思いました。それは、思い通りにならない目の前の現実と、思い通りにならない自分に抗うことで苦しむからです。 外側で起こる現実も、自分という個性も、受け入れられずに抗うことでしか対処できないのだとしたら、それは

bottom of page