top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2023年4月11日
  • 読了時間: 1分

良いとか悪いとかない。

道場で習っているとこのような言葉が出てきます。今まで何のこっちゃ?と意味がわかりませんでしたが、やっとこの経験ができそうです。


それは自分の中にあるものに対して(パターンに対して)良い悪いで見ないということ。これなら感覚としてわかります。(語りかけではそうですからね)


自分の中に良いところと悪いところがあるというパターンでいると、悪いところを見せようとせずに隠し、また悪いと思っているところの話題になると何だか責められている気がして居心地が悪くなります。そして自らもそれを悪いものとしてジャッジするので、見るのが嫌になるんです。

自分自身に良い悪いというレッテルを貼って裁き、そして差別をする。それを自分にです。


ここではそういう判断をなくして、ただあるものとして見ていく。

それがどれだけ強い妬み嫉みであろうと、恨みや嫉妬であろうと、憎しみや怒りや卑しさや欲であろうと、それらから目を背けず、そして蓋をせず、そのままの自分を見ていく。あるがままにです。


これは語りかけとともに、あらゆる場面で自分を見ていく時の基準にしようと思いました。


自分の中に良いとか悪いとかはない。

そう思うと、解放される気がしますね。

 
 
 

最新記事

すべて表示
「私」は思考ではない

白黒ワークで行う、あ…私は脳ではないんだな、ということは、脳の中の記憶でも、思考でもないんだな、と思います。この内容が最近とても気に入っています。 私はふと気がつくと、何かしら思考しています。そしてその思考に気がついたときは先の一節を思い出して、これは「私」ではないとして、その思考をストップさせます。すると今の思考は何だったのか、と考えた時、私はこれをパターンが作る物語だと思いました。 頭の中で繰

 
 
 
楽を求める・・

私の「誰かに甘えたい」というパターン。 海にいる時や兄といるときなど、ちょこちょここのパターンが出てくるので観察しています。 そして最近よく分かったのは、このパターンは基本、楽を求めるのだなということです。 なぜならば、誰かに甘えられたらもう頑張らなくていいと思えるし、守ってもらえると思うし、努力しなくてもそのままでいいと言ってもらいたいと、それはつまり、楽をしたいから甘えられる相手が欲しいのだと

 
 
 
内側の努力

自分を見ていてわかることがあります。 それは、内側の努力、自分を変える努力をしてこなかったという事実です。 外側の努力は誰もがしています。それはノルマや数字、締切や期日や納期に間に合わすこと、形にすること、出世すること、お金を得ること、名声を得ること、発展、前進、そんな誰にでもわかる結果を出すことが努力だと思っていました。でもそれは外側に向ける努力であって、内側の努力、自分を変える努力とは違ったの

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page