top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2021年9月3日
  • 読了時間: 2分

私は昔他人から嫌味を言われたり、心外な言葉を言われた際、自分に眼差しを向ける前は、あの人がこうだから、こういったから、こういう人だからと、全て他人に目が向いていて、他人のせいで自分はこんなにストレスや不快感を抱いていると、全てを他責にしていました。

そこでは相手に憤慨したり、怒りを覚えたり、この相手が変われば自分は楽になれる。そのように考えどうにか自分の正しさや、怒りを露わにして「相手を変えよう」としていました。

しかしこれは、もの凄くエネルギーのいる行為です。


しかし自分に眼差し向けるようになってからは、だから自分はこんなに悔しい、悲しい、辛い、苦しい、本当はちゃんとわかってほしかった、もっと大切にして欲しかった、正当に扱ってほしかったなど、自分の本当の本心に目を向けて、自分を理解する、という行為をしてきました。

それはきっと自分の本心に気づいて、自分を大切にする行為だったと思います。


自分が楽になりたい、何かに囚われて苦しみたくない、そういった思いから初めたこの学びですが、気づいたら以前よりは随分と楽になってきたと思います。


今でも嫌なことは起こるし、失礼なことを言われたりもします。

しかし、最低限自分の中に起こることだけは、自分で責任を持って引き受けていく。

それだけは、自分の誇りとして持っていたいと思います。

自分を理解する。それは自分を大切にすることだと。


 
 
 

最新記事

すべて表示
「私」は思考ではない

白黒ワークで行う、あ…私は脳ではないんだな、ということは、脳の中の記憶でも、思考でもないんだな、と思います。この内容が最近とても気に入っています。 私はふと気がつくと、何かしら思考しています。そしてその思考に気がついたときは先の一節を思い出して、これは「私」ではないとして、その思考をストップさせます。すると今の思考は何だったのか、と考えた時、私はこれをパターンが作る物語だと思いました。 頭の中で繰

 
 
 
楽を求める・・

私の「誰かに甘えたい」というパターン。 海にいる時や兄といるときなど、ちょこちょここのパターンが出てくるので観察しています。 そして最近よく分かったのは、このパターンは基本、楽を求めるのだなということです。 なぜならば、誰かに甘えられたらもう頑張らなくていいと思えるし、守ってもらえると思うし、努力しなくてもそのままでいいと言ってもらいたいと、それはつまり、楽をしたいから甘えられる相手が欲しいのだと

 
 
 
内側の努力

自分を見ていてわかることがあります。 それは、内側の努力、自分を変える努力をしてこなかったという事実です。 外側の努力は誰もがしています。それはノルマや数字、締切や期日や納期に間に合わすこと、形にすること、出世すること、お金を得ること、名声を得ること、発展、前進、そんな誰にでもわかる結果を出すことが努力だと思っていました。でもそれは外側に向ける努力であって、内側の努力、自分を変える努力とは違ったの

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page