top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

以前、過去の過ちを謝るというワークをやりました。

沖縄、茅ヶ崎グループと、同じワークをやった方々はご存知かと思いますが、私は高校生のときに、自分の弱さが原因で、クラスメイトを苦しめ、辛い思いをさせるという過ちを犯しました。

その30年前の過ちを、やっと謝ることができました。

謝ったあと彼は「ゆたか、俺全然覚えとらん…今度一杯奢れよ!」といっていました。もしかしたらこれは、彼の優しさかもしれませんし、本当に覚えていなかったのかもしれません。

しかし、本当に謝れて良かった。

途中、凄い怒られたらどうしようとか、嫌われたらどうしようと、黒パターンの思考が生まれては消え、としていましたが、ちゃんと今日謝る!という白を選びきり、正直に30年前の出来事を謝れたことは、私の内側に何とも言えない軽さと喜びが生まれました。

それまで30年間持っていたしこりは、後悔や罪悪感だったと思います。


謝るという行為。

これは決して、ダメなことでも、弱いことでも、負けることでもなく、ただ正直に、誠実に、過ちを認めることと、私は思います。


今回彼に謝れたこと、そして彼が許してくれたこと。

この謝るという偉大な学びに感謝です。




最新記事

すべて表示

私のこの日記でもちょくちょく出てくる「他人の評価」「他人からのジャッジメント」「他人の裁き」これが嫌というパターンがあります。 パターン的にはこれをされると、何だかバカにされている気がするし、上から目線で見られている気がする、そうであると不快感を抱き、腹が立って、悔しい、とパターンは言います。 そして今選んでいる白パターンが、もう他人の評価に囚われて自分を苦しめるのはやめよう、です。 これは、自分

あっ、これパターンだな・・・と思った時、できるだけ力を抜くようにしています。 そうすると不思議と体だけではなく、心の力も抜けて、身構えていたり、緊張していたり、こうあらねばと凝り固まっていた心のひだが解けていくような感覚になります。 そのままの自分でいいとは、どうにかなろうとしなくていいし、どうにかしようとしなくていいのだと思いました。そのままの自分で、できるだけのベストを尽くせばいいし、ただ手は

誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手

bottom of page