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  • 執筆者の写真渡邊 優

先日友人が自宅に訪れた際、私のパターンが友人と自分とを比較をしている状況があったので、このパターンについて少し考えてみました。友人のプライバシーがあるので状況はお話できませんが、その比較している時の私のパターンの心情は、羨ましかったり、少し寂しかったり、ちょっぴり妬ましく思ったものでした。それは自分にはないものを持っていたり、逆立ちしてもなれないものでした。

なんでそう思うのだろうと考えてみると、やっぱり、今の自分に満足していないからなんだと思うのです。今の自分に。。


そしてこの他者と比べるパターンは自信が欲しいのだとも思います。

何かと比べて安心感や優越感を感じたり、また今回のように羨ましく、妬ましく思ったりもします。

そしてその比べる先には際限がなく、きっと求めるものも大きくなっていく。

そうすると更に今の自分には満足できなくなっていくと思うのです。


今の自分、その全てにOKを出せたらどれだけのパターンが救われるのだろう?

やっぱり、私のパターンは私が救っていきたい。そんな風に思うのでした。

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