top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

努力すること。

この努力について改めて考えてみました。仕事での努力・・・辛くて苦しいイメージしかない・・・

スポーツ(体育)勉強、どれも面倒臭く楽しいイメージが湧いてこない・・・これは黒パターンでのイメージ(マイナスの意味づけ)じゃあプラスの良きイメージってどんなこと?そう考えた時のプラスの意味づけが、夢や目標のため、前に進むため、成長のため、生きると言うこと自体が努力かも。今の自分にとっての努力の意味づけですが、きっとこの先には、家族のためや誰かの支えのため、地域のため、世の中のため、そうやって自分以外へと努力の世界が広がっていくんだろうと思うのです。

それはどちらが正しいとかではなく、当然の道のりであり、きっと誰しもが通る道なのだと思います。この道をすっ飛ばしていくとどうしても無理が生まれ、自分を蔑ろにしたツケがまわり、苦しさや辛さが生まれると思います。それはやっぱり純粋な思いからでの他への努力ではないからだと思うんです。邪な思いとまでは言わないまでも、自分以外の誰かにする時って、どこか自分のためにやっていたりする。好かれるため、嫌われないため、いい奴だと思われたい、愛されたい、大切にされたい、しかしそう思われなかった時、そう扱われなかった時に不満や怒りや苛立ちを覚え、他への努力が苦しみへと変わっていく。

だからこそすっ飛ばさずに、自分のための正しい努力が大切なのだと思います。

この正しい努力を、根気強く続けていこうと思います。



最新記事

すべて表示

私のこの日記でもちょくちょく出てくる「他人の評価」「他人からのジャッジメント」「他人の裁き」これが嫌というパターンがあります。 パターン的にはこれをされると、何だかバカにされている気がするし、上から目線で見られている気がする、そうであると不快感を抱き、腹が立って、悔しい、とパターンは言います。 そして今選んでいる白パターンが、もう他人の評価に囚われて自分を苦しめるのはやめよう、です。 これは、自分

あっ、これパターンだな・・・と思った時、できるだけ力を抜くようにしています。 そうすると不思議と体だけではなく、心の力も抜けて、身構えていたり、緊張していたり、こうあらねばと凝り固まっていた心のひだが解けていくような感覚になります。 そのままの自分でいいとは、どうにかなろうとしなくていいし、どうにかしようとしなくていいのだと思いました。そのままの自分で、できるだけのベストを尽くせばいいし、ただ手は

誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手

bottom of page