top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2021年3月31日
  • 読了時間: 1分

先日のセミナーで、凡人の担当分野で生きていく。ということを教わりました。

自分に対しての清々しい見極めを得て、凡人として生きるというものです。

私は「凡人でいい」という新たな意味づけを聞いた時に、とても安心してほっとしたのを覚えています。


私は今まで学校や社会で競争し、勝ち組、負け組と優劣をつけられて生きてきました。普通である、凡人であることがまるでダメで、劣等なことのようにさえ思ってきました。それは強い何者かにならなければ負けてしまう、下になり、支配され、はたまた生きていけないとさえ思ってきたのです。


しかし、普通の凡人として生きていく、ということには、もうそれら、競争や勝ち負けから降りて生きていく、という新たな世界が広がっているのだと思います。


普通の凡人としてでいい。そこには、もう今までのように気張らなくていいし、今の自分を許していくことに繋がるのだと思いました。だから、安心できるのだと。


普通や凡人という、なんの色も味気も感じられないものから、新たな深さと味わいを感じた一瞬でした。普通であることの有難さ、凡人としてコツコツ積み上げていく喜び、それは何も特別にならなくてもいい、そのままでいいという、私にとっての、本来の在り方なのだと思います。

 
 
 

最新記事

すべて表示
「私」は思考ではない

白黒ワークで行う、あ…私は脳ではないんだな、ということは、脳の中の記憶でも、思考でもないんだな、と思います。この内容が最近とても気に入っています。 私はふと気がつくと、何かしら思考しています。そしてその思考に気がついたときは先の一節を思い出して、これは「私」ではないとして、その思考をストップさせます。すると今の思考は何だったのか、と考えた時、私はこれをパターンが作る物語だと思いました。 頭の中で繰

 
 
 
楽を求める・・

私の「誰かに甘えたい」というパターン。 海にいる時や兄といるときなど、ちょこちょここのパターンが出てくるので観察しています。 そして最近よく分かったのは、このパターンは基本、楽を求めるのだなということです。 なぜならば、誰かに甘えられたらもう頑張らなくていいと思えるし、守ってもらえると思うし、努力しなくてもそのままでいいと言ってもらいたいと、それはつまり、楽をしたいから甘えられる相手が欲しいのだと

 
 
 
内側の努力

自分を見ていてわかることがあります。 それは、内側の努力、自分を変える努力をしてこなかったという事実です。 外側の努力は誰もがしています。それはノルマや数字、締切や期日や納期に間に合わすこと、形にすること、出世すること、お金を得ること、名声を得ること、発展、前進、そんな誰にでもわかる結果を出すことが努力だと思っていました。でもそれは外側に向ける努力であって、内側の努力、自分を変える努力とは違ったの

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page