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  • 執筆者の写真渡邊 優

先日のセミナーで、凡人の担当分野で生きていく。ということを教わりました。

自分に対しての清々しい見極めを得て、凡人として生きるというものです。

私は「凡人でいい」という新たな意味づけを聞いた時に、とても安心してほっとしたのを覚えています。


私は今まで学校や社会で競争し、勝ち組、負け組と優劣をつけられて生きてきました。普通である、凡人であることがまるでダメで、劣等なことのようにさえ思ってきました。それは強い何者かにならなければ負けてしまう、下になり、支配され、はたまた生きていけないとさえ思ってきたのです。


しかし、普通の凡人として生きていく、ということには、もうそれら、競争や勝ち負けから降りて生きていく、という新たな世界が広がっているのだと思います。


普通の凡人としてでいい。そこには、もう今までのように気張らなくていいし、今の自分を許していくことに繋がるのだと思いました。だから、安心できるのだと。


普通や凡人という、なんの色も味気も感じられないものから、新たな深さと味わいを感じた一瞬でした。普通であることの有難さ、凡人としてコツコツ積み上げていく喜び、それは何も特別にならなくてもいい、そのままでいいという、私にとっての、本来の在り方なのだと思います。

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