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  • 執筆者の写真渡邊 優

私の場合、パターンが騒ぐ時は大抵他人が存在します。

だからこそ、パターンと向き合うキッカケを得られ、パターンを受け入れることによりまた一つ、パターンに囚われない自由を手にします。そして新たな在り方となる白パターンを選び、自分を前に進めることができます。


ということは、他人という存在は、自分の黒パターンを気づかせてくれる存在であり、成長に必要な相手であり、お互いを通じて学んでいるともいえます。

それは相手の全てを受け入れる、ということではなく、相手を通じて自分に向かわせる、ということだと思いました。


それは、安請け合いする自分が断ることを学んだり、自分の今のレベルを知ったり、まだまだ他人を使って黒パターンを満たそうとする自分がいたりと、自分を知るための存在なのだと思います。

他人は自分の鏡とは、こういうことなのだと思いました。自分を見るために必要な存在。


人間関係が面倒だと思う他人、厄介だと思う他人、うんざりする、面倒臭い他人。

しかし、他人という存在があるお陰で自分が成長することができる。これは確かなことだと思います。

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