top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

茅ヶ崎に越してきて10年が経ちます。

元々自然が好きで、20代の頃辻堂に住んでいたこともあり、いずれは湘南に家を持ちたいと思っていたのです。そして早10年が過ぎ、当時のことを思い出していました。


当時の私が信じて執着していたのは、お金に権力、異性、力、そのような物質社会、それらが全てであり、そこを中心とするのが人の人生だと思っていました。またそれらを得るために躍起になっていたと思います。


そして今思うのは、そこを追ってもキリがないということです。

歳を追うごとに必要なものは少なくなっていきます。身体的にも沢山のものを抱えるだけの体力も気力もなくなります。それと同時に、精神的に満たされている感覚も強くなってきました。


10年前はもっともっとと色んなものを追い求め、内面的にも承認欲求として飢えていました。

そして今はもう十分という満足感すらあります。10年で随分変わるもんだと、自分を見ていてビックリします。しかし成長に対してはここで十分ではなく、いけるところまで行ってみたい、という思いがあります。そのためにも、自分を大切に扱える自分でありたい。そう10年目にして思うのでした。

最新記事

すべて表示

やっと朝晩が涼しくなってきました。 今朝は特に清々しい朝で、頭もスッキリして気持ちよく目覚めることができました。 この気持ちよく目覚めること、これすごく大事なことだと思います。 何かを思い悩み、寝不足になった時はなかなか清々しい朝を迎えられませんし、怪我や病気の時もそうです。しかし今、こうして気持ちのいい朝を迎えられるということは、とてもラッキーで恵まれていると思うんです。そのことに感謝しながら、

ここ最近講座を行っていますが、なんでこういうことをやろうと思ったのか、またなぜ今までやってこなかったのかを考えていました。 今までは、自分には自信がない、自分には無理だと言い訳をして、ただ楽がしたかったのだと思うんです。新たなことにチャレンジしなければ人目に晒されることもないし、他人からの評価やジャッジを受けることもない、したがって傷つくこともないから、一歩を踏み出さなかったのだと思います。 かと

パターンの王様、思い通りじゃなきゃ嫌だ。 最近自分を見ていて、そしてこのパターンを集中的にケアしていて思うことは、人の持つ苦しみのほとんどが、この「思い通りじゃなきゃ嫌だ」のパターンではないかと思いました。それは、思い通りにならない目の前の現実と、思い通りにならない自分に抗うことで苦しむからです。 外側で起こる現実も、自分という個性も、受け入れられずに抗うことでしか対処できないのだとしたら、それは

bottom of page