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  • 執筆者の写真渡邊 優

自分の黒パターンを見ていると、自分に嫌気がし、黒パターンを変えたくなる時があります。

これも黒パターンはダメだ、というパターンなのでケアしていますが、新たな白パターンを考えている時に、ふと出てきた答えが「黒パターンを理解し、見守れる自分になろう」でした。


この黒パターンを見守るという視点ですが、新たな感覚です。

何せ黒パターンには散々苦しめられてきた、という認識の元に立っているのですから、耐えられずに早く何とかしようとしてきたのも事実です。


しかし、黒パターンもドロドロもあってよし、という世界にありながら頭では理解していましたが、腑に落ちるというところまでは行っていなかったんだと思います。

少し、自分の黒パターンと共にありながら、見守るという視点も持っていきたいと思いました。


私も見守られていると思うと、なんか安心します。

もしかしたらこうして、今までずーっと誰かから、何かから見守られてきたのかもしれません。

見守るという行為には、そんな暖かさがあると思いました。




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