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  • 執筆者の写真渡邊 優

朝起きた時に、あれ?何だか昨日とは違う自分だ・・・

私にはそう思う時が時々あります。特に前の晩にワークをやった時などはその感覚が顕著で、自分でも驚くほどスッキリしている状態があります。

そのスッキリさは何物にも囚われていない「素の自分」そんな状態です。


当初は自分が楽になるために始めたワークでした。夜も何かを考え、その考えに囚われ、自分の正しさや正義を証明したい、自分が負けないように、傷つかないように、誰かに嫌われないように、孤立しないように、悪い評価をされないように、そんな不安や恐れが元になった考えに囚われていたと思います。


そして実際楽にもなったし、以前よりも人間関係がスムーズになったと思います。

しかしもう一段上を目指すとなったとき、意識的に自分を前に進めたい、引き上げたい、そう思ったとき、前回のセミナーの内容を思い出しました。

それが「ワークは神聖なる状態に進めるチャンスである」ということです。

以前の苦しさからの脱出から、神聖さを求めるということにすごく魅力を感じます。きっと本来の「私」がしたかったことなのだと思います。


少し意識を変えて、取り組んで見ようと思います。

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