top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

私の今年の目標として、白パターンを選び切る、というものがあります。

この5月まではクリアーしていますが、流石に40年以上使ってきた心のパターンだけあって、黒パターンでの思考が頭をよぎったり、妙に納得したりしてするので、その都度白パターンへの修正をかけています。


黒パターンでの思考は妙な気持ちよさがあります。それは、自分は間違っていない、今まで通りでいい、などの保身や、黒パターンでの自己主張です。それは一見正しそうに見えるのですが、黒パターンでの正しさにはどこか苦しさが付き纏います。きっと保身や逃げなどの、私の選びたくないところにいこうとするから故の、苦しさのようにも思います。


そう考えると感覚は正直です。

快か不快かで捉えたとき、私の望むところと、そうでないところがハッキリしてきます。

これからは白パターンを選ぶのと同時に、その時の感覚もしっかり把握していたいものです。

私の望むものかどうかを・・

最新記事

すべて表示

私のこの日記でもちょくちょく出てくる「他人の評価」「他人からのジャッジメント」「他人の裁き」これが嫌というパターンがあります。 パターン的にはこれをされると、何だかバカにされている気がするし、上から目線で見られている気がする、そうであると不快感を抱き、腹が立って、悔しい、とパターンは言います。 そして今選んでいる白パターンが、もう他人の評価に囚われて自分を苦しめるのはやめよう、です。 これは、自分

あっ、これパターンだな・・・と思った時、できるだけ力を抜くようにしています。 そうすると不思議と体だけではなく、心の力も抜けて、身構えていたり、緊張していたり、こうあらねばと凝り固まっていた心のひだが解けていくような感覚になります。 そのままの自分でいいとは、どうにかなろうとしなくていいし、どうにかしようとしなくていいのだと思いました。そのままの自分で、できるだけのベストを尽くせばいいし、ただ手は

誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手

bottom of page