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  • 執筆者の写真渡邊 優

自分主体で物事を考える、これは大事なことだと思います。

どうしたら自分が成長できるのか、どうしたら自分を伸ばすことができるのか、そういうことを自分主体で考えます。その反対の他人が主体になっている場合、他人からどう思われるか、どうやったら好かれるか、どうやったら嫌われないか、どうやったら受け入れられるか、認められるか、良い評価を得られるかと、他人主体で考えます。


私は学校や家庭や社会で、他人を嫌ってはいけない、と教わってきました。ですから、それでも嫌われる人は相当ダメな人だと思っていたのです。そして実際に自分が嫌われた時、自分がダメだから嫌われたのだと思ったのです。そうこうしていくうちに、他人に嫌われない生き方を必死に模索しました。そうして他人主体で生きた時期もあったのです。今思うと、酷く他人を怖がっていたと思います。


そして今は、自分主体でいい、それを選ぶようにしています。

それは、どのパターンを選んだら自分にとっての真理であり、また成長へとつながるのか、そう自分に問いただすことは非常に大事だと思うからです。


自分主体で、自分に問いただす。

他人ではなく自分にです。

自分の内にしかその答えはない気がします。

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